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今までの車両より近代的な外観の462号が、同型の2両の付随車5200号と5412号を牽引しています。462号は1929年製のP2型で出力は大きく118kW。この3両編成が、第一次世界大戦後のウイーンのトラムの一般的な運行形態だったとか。P2型はモーターの変速比を切り替えて、よりスムーズに高速走行する試作機であったが、期待した成果が得られず1952年に一般的な方式に戻されたのだとか。

 

 

 

 ▲ 2軸車MTTの3両編成はウイーンのトラムの一般的な運行形態

2両の付随車は1928年製のm2型と1929年製のm3型で、それぞれ1971年と1978年まで使われました。m2型の5200号は、ウイーンのトラムで最初に蛍光灯を採用した車両だとか。

2軸車ばかりの中に1両、スタイルの異なるボギー車がいます。4208号はアメリカンと呼ばれた1939年製のニューヨークの中古車、Z型で出力114kW。45両がウイーンに来たのが1949年で、1969年まで使用。収容力が大きくて高速で走行でき、自動ドアや折りたたみ式ステップの装備は当時としては革新的な技術でした。

 

▲ アメリカ製のボギー車4208号 

クリーム一色に塗られた2軸車2号は、1944年にドイツのハイデルベルグで造られたA型で出力120kW。広島電鉄にいるドイツのハノーファー車と似ていますが、側窓の数に違いがあり、こちらは1枚引き戸。資材を節約しながら収容力を拡大をはかった戦時設計で250両以上製造したものの、第二次世界大戦による資材不足で電動車として就役するには1949年までかかったのだとか。戦後の日本の電車と同じですね。ハイデルベルガーの名前で呼ばれ、1975年まで使用。

 

 

▲ ドイツ製2軸車 ハイデルベルガーとその車内 

古風な車体にパンタグラフが乗った2軸車2280号は、1910年製のH型を1949年に改造したH2型で出力92kW。屋根をシングルルーフに、車体側面をフラットにするなどの改造が行われ、後年にはモータの出力アップや蛍光灯照明なども導入されています。1972年まで使用。

 

 

 ▲ 近代化改造でシングルルーフで蛍光灯照明になった2280号とその車内

付随車1901号は、老朽化して使用が困難になった1908年製のK型を1953年に新しい木造車体のk8型に改造したもので、1971年まで使用。

 

 ▲ K型改造の付随車1901号

丸みをおびた近代的な車体の2軸車401号は、1911年製のT型の車体を1954年に全鋼製の車体にのせ替えたT1型で、出力120kW。側面の窓配置等はアメリカンをモデルにしていて、1977年まで使用。

連結している同型の付随車1501号は、1910年製のK型の車体を1953年に全鋼製の車体にのせ替えたk6型で、1973年まで使用。ブレーキの廃熱利用ではなく通常の電気暖房を最初から装備し、ボックス席の側窓側に小さなテーブルを設置した型式です。

▲ 全鋼製車体への更新車401号と1501号 

正面窓上のベンチレータが目立つ2軸電動車51号は1951年製のB型で出力120kW。連結しているのは同型の付随車で、1952年製のb型1401号。製造コスト削減のため、戦時型のA型と試作車M型を合体したもの。エアー駆動の両開き式引き戸の自動扉を装備しています。1979年まで使用。

 

 ▲ 戦後型の2軸電動車51号

 

 

 ▲ 同型の付随車1401号とその車内

2軸電動車2606号は、1920年製のL型を1929年に改造したL1型で出力92kW。後ろに連結した丸みをおびた近代的な車体の付随車c3型1110号は、1959年製で車体の長いボギー車。ずいぶんアンバランスな編成ですが、1955年から1973年まで、新しい電動車が不足したため、L1型のような戦前型が牽引する形態がみられ、職員は“青春編成”と呼んでいたのだとか。L1型は1972年まで、c3型は1985年まで使用。

 

 

 ▲ 新旧を連結した青春編成

上の1110号と類似の丸い車体の2軸の電動車432号は、1956年製のT2型で片運転台の片側ドア。1911年製のT型の台枠や機器を流用して車体を新造することで、大型の付随車c2型を牽引する電動車を安価で早く用意することができました。出力120kW。シングルアームのパンタグラフは後年の換装でしょう。

 

 

 ▲ 片運転台、片側ドアの432号 旧型車から流用の古い制御器が見える

432号と類似の車体の2軸電動車576号は、1961年製のL4型で出力120kW。1960年〜1962年に新造した最後の2軸電動車グループの1両。1984年まで使用。

後ろに連結しているl3型の付随車1900号は1962年製の片側ドア。非常ブレーキハンドルや乗客がドアを開閉するボタンを設置して、1964年に初めて車掌の乗車しない車両として運行を開始。これが現在の信用乗車方式につながっているのでしょう。でも、まだ車内には車掌席が設置してあったとか。1985年まで使用。

 

 

▲ ウイーン市電最後の新造2軸車576号と1900号 

類似の車体で2車体2台車の連節車、F型の746号は1963年製。出力は2軸車と同じ120kW。当時乗務員の人手不足が深刻化していたため、上のL4型の単車からモデルチェンジし、2軸の電動車と付随車を一体化した連節車として、車掌が1両に1人ずつの2人乗務から1人乗務にするためでした。合わせて、乗客のスペースの拡大にも役立っています。1996年まで使用。

 

▲ 2軸車を2両つないだ連節車の746号 

2両の単車の間に台車のない車体をはさんだ3車体連節車、1957年製のD型4301号はウィーン初の連節車で出力184kW。1974年まで使用。赤と白の塗り分けの位置や正面の金太郎の腹かけ型などのデザインが、在来車と異なります。

 

▲ ウイーンで最初の連節車4301号 

大型で3扉4軸、ボギー台車を履いた電動車C1型の141号は1957年製。1953年に試作したボギー車でデータを収集した結果を基に、1955年〜1959年にドイツのデュワグ社のライセンスでC1型の量産車58両が登場しました。片運転台片側ドアで、出力は2軸車より若干低い114kW。後ろに連結している、同時期につくられたc1型付随車の1241号とともに、限定した路線で1996年まで使用。

 

 

 ▲ 3扉ボギー車の編成 141号と1241号


 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

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