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板門店ツアー

韓国5日目は最終日。夜便で羽田に帰るため、遠出は避けることにして、出発前に日本からネットで板門店ツアーを予約しておきました。

板門店はソウルから北へ50km、韓国と北朝鮮の軍事境界線上にあり、1953年に調印された朝鮮戦争の停戦協定の遵守を監視する“中立国監視委員会”と“軍事停戦委員会”置かれています。韓国軍やアメリカ軍を中心とした国連軍と、北朝鮮軍が共同で警備を行なっており、共同警備区域(JSA)とも呼ばれます。韓国も北朝鮮も行政管轄権をもたない場所で、政府認定のツアーでのみ訪問が可能。個人での訪問は不可能です。

ロッテホテル 4階の旅行会社
屋台で朝食をとる人 LINEは韓国系でしたね

事前に受け取ったバウチャーに記載の時間に合わせて、明洞のロッテホテル内にある旅行会社に向かいます。手続後、指定された再集合まで少し時間があるのでホテルの周辺をウロウロ。旅行会社に戻ると、ガイドの案内でバスに向かいます。バスの座席は、言語別に前から英語、日本語、中国語の順に指定されています。韓国語がないのは、韓国人は板門店には行けないため。在日韓国人なら訪問できるそうですが。

ガイドも、言語別に3人が乗車。韓国人ガイドでも客に合わせてか、中国語を話すガイドは声が大きいのが面白いところ。ガイドの持っている名簿をチラッと見たところ、英語のグループには欧米諸国の他に香港やマカオの人々も。北京語ではわからないのでしょうね。

バスは高速道路を北に向かい、民間人統制区域の入口にある軍の検問所でパスポートのチェックを受けて域内へ。この先、写真はガイドが撮ってもよいという場所で限定された方向だけ。撮影に厳しい制限が加わります。

観光バスで出発 JSA安保見学館で下車
板門店内限定のバスのナンバープレートは国連マーク 国連のゲストという立場らしい

途中、もう1個所でバスに軍人が乗り込んできてパスポートのチェックがあり、次にバスから下車したのはJSA安保見学館。館内で板門店に関するビデオを見た後、国連軍と北朝鮮軍の共同警備地域に入るに当たって従うべきことと、敵の行動により危害を加えられ死亡する可能性のあることを理解して承諾する書面(もちろん日本語)にサインを求められます。

国連マークのプレートを首から下げます。我々は国連軍のゲストという立場のよう。軍人の運転する紺色のバスに乗り換えて出発です。バスのナンバープレートに数字はなく、国連のマークだけ。もう1組のグループがあり、紺色のバスは2台続行して、我々は2号車。

南北休戦ライン上の本会議場と韓国軍の兵士

バスは、北朝鮮と対峙する韓国側の“自由の家”の前に停車。向こう側の3階建ては北朝鮮の“板門閣”。その間に、休戦ラインを跨いで建つ水色のプレハブのような建物が軍事停戦委員会の本会議場。もう少し立派な建物を想像していたのですが、意外でした。

本会議場やその両隣の建物の間に、北に向かって立つ韓国兵は微動だにしません。一方、板門閣に目をやると、北朝鮮兵はこちらに向かって直立不動の姿勢。

北朝鮮の板門閣 北朝鮮兵にズームアップ

本会議場の建物の真ん中を横切っているコンクリートのラインが休戦ライン。韓国側には砂利がひかれ、北朝鮮側は土のまま。その左右に目をやると、休戦ラインを示す白いポールが一定間隔で続いています。写真を撮れるのは、自由の家の前から板門閣側だけ。従って、自由の家の写真はありませんが、板門閣よりもう少し立派なコンクリートの建物です。

中央を横切るコンクリートが休戦ライン 休戦ラインを示す白いポール
見学を終えて出てきた自衛官 本会議場の韓国側から見た北朝鮮側

先に本会議場に入っていた1号車の乗客がガイドに続いて出てきます。我々の日本語ガイドによると、日本の自衛隊の修学旅行だそうで、全員黒っぽいスーツ姿の若い人で女性もいます。自衛官幹部候補生の研修旅行でしょうか。

入れ替わりに本会議場に入ります。部屋の真ん中にテーブルが置かれ南北両側に椅子が4脚ずつ。テーブルの中央が休戦ライン上にくるように配置されているのだとか。この部屋の中限定で、北朝鮮側にも立ち入ることができます。兵士と並んで、記念写真に納まることも。

本会議場の北朝鮮側から見た韓国側 朝鮮戦争に関係した国々
兵士と並んで記念写真も可 会議室の外の休戦ライン 右韓国 左北朝鮮

壁に掲げられた国旗は、国連軍として朝鮮戦争に参戦した国々や医療チームを派遣する等で協力した国々だそうです。当時、米国占領下の日本は、戦争特需景気で息を吹き返しただけ。

板門店ををGoogle mapで下に示します。軍事境界線の位置が下にずれて表示されていますが、下に自由の家、上に板門閣、その間に3棟並ぶ水色の屋根の中央が本会議場。

バスに乗り込んで本会議場をあとにするとき、今度は北側の板門閣から本会議場に入るグループの姿がありました。北朝鮮でも、同様の板門店ツアーが行われているようです。

バスは、ポプラ並木の剪定を行っていた米兵と北朝鮮の衝突で死傷者が出た1976年のポプラ事件の碑と、朝鮮戦争後の捕虜の交換が行われた帰らざる橋で停車。窓から見るだけで下車はできません。JSA安保見学館に戻るバスの車窓から、板門店に隣接する宣伝村に高々と掲げた北朝鮮国旗と、競い合うように自由の村に掲げた韓国国旗が翻るのが見えます。

バスの車窓越しに見る 帰らざる橋
JSA安保見学館まで戻ってきた 館内の売店
北朝鮮の紙幣 臨津閣まで戻ってお昼のプルコギ

JSA安保見学館で軍人の運転するバスから下車。館内の売店では、一般的な土産物の他に迷彩服も売っています。意外と人気があるのが、北朝鮮の紙幣のセットだとか。

再びソウルから乗ってきたバスに乗り換え、もと来た道を戻ります。民間人統制区域入口にある軍の検問所を抜けた先の臨津閣で昼食休憩。プルコギはツアー料金に含まれますが、ビールは別料金。隣の席になった日本人の若い男性は出張でソウルに来て、夕刻まで時間が空いたのでこのツアーに参加したのだとか。まだ仕事が残っているとかで、ビールを勧めるのは1杯だけに。

 

臨津閣

昼食を終えてからバスの出発までの時間で臨津閣を巡ります。東西に流れる臨津江(イムジンガン)の北側は民間人統制区域になっていますが、南側の臨津閣は誰でも来ることのできる平和公園。近くには京義線の臨津閣駅もあり、2006年に都羅山駅から非武装中立地帯DMZ観光に行ったときに立ち寄っています。

臨津江に向かって短い距離ですが新たに線路が敷設されていて、その先にいるのは朝鮮戦争で破壊された蒸気機関車。キャブはなくなりボイラに数多くの銃弾跡が残っています。9年前にはDMZ内に取り残されたこの機関車の写真が展示されていたので、その後に実物がこの地に搬入されたものと思われます。

新たに敷設された線路の先に 銃弾跡の残る朝鮮戦争で破壊された蒸気機関車
階段を登って見学台の上から レールや犬釘も展示されている

臨津江に架かる鉄橋は、今は1日に1〜2本のDMZ列車だけが走る単線ですが、破壊された機関車が乗る線路の延長線上に並ぶ橋脚が、かつては複線でソウルと新義州を結び、南満州鉄道につながる幹線であったことを示しています

向こうに見える鉄橋は 京義線の臨津江に架かる鉄橋 右側に橋脚が残る
自由の橋は京義線の線路の手前で行き止まり 公園と機関車

木製の橋は、朝鮮戦争休戦後に北の捕虜となった韓国軍の兵士の帰還に使われたことから“自由の橋”と名付けられたとか。今は復活した京義線の線路で行き止まりとなった場所に、北の故郷への思いか統一への願いか、メッセージが書かれたたくさんのリボンが結ばれています。

ミカサ型蒸気機関車 平和列車
機関車の軸配置は2A1 周回する平和列車

かつての線路跡に佇むミカサ型蒸気機関車。9年前に訪れた時はその後ろに3両の客車を従え、レストランとして使われていましたが、既に撤去されてしまっています。替わってその隣には、平和列車という遊園地の汽車ぽっぽの線路が敷設されています。周回する列車を牽引するのは、誰が設計したのかアメリカンタイプの動輪が1軸だけ、シングルドライバーのA型機関車。


 

 

 

 

 

 

  

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