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朝鮮労働党党舎跡

再びバスに乗って、東の方角に向かいます。道路に軍の検問所がありますが、その向こう側はDMZの外側に設けられている民間人統制区域でしょう。バスの窓からこっそり1枚。他の乗客は誰も写真を撮っていないので、軍事施設を撮ったのがばれたらまずいのかも。

民間人統制区域入口にある軍の検問所 ガイドさんが説明(もちろん韓国語)
朝鮮労働党の党舎

検問所のすぐ横の、コンクリートの外壁だけが残った建物の所で下車します。ここは、第二次世界大戦後のアメリカとソ連の分割占領線である北緯38度線の北側。1946年に北朝鮮が建てた朝鮮労働党の党舎です。1950年に勃発した朝鮮戦争の激戦地となって破壊され、この場所は休戦ラインを北側に押し上げて韓国支配地域に組み込まれています。

朝鮮戦争の弾痕が残る 破壊された裏側は鉄パイプで補強

 

北朝鮮を監視する滅共オブザベーションポスト

続いて、バスは検問所を通って民間人統制区域の中へ。車内に軍人が乗ってきますが、身分証明書やパスポートの提示要求はありません。車窓から紅葉の進む山の上に何か建物が見えてきたところで、バスは脇道に入り急な坂を登っていきます。

DMZ近くの山は紅葉 山の上に何か見える
停車したバスの車窓から 左の山は韓国 右奥の山は北朝鮮

バスが停まったところから鐘楼のようなものが見えるので、窓から1枚。バスから降りたところに軍人がいたので、英語で写真を撮ってもいい?と聞いたらダメとの回答。ガイドについて行くと階段の上の迷彩色の建物に入っていきます。ここは、山の上からDMZと休戦ラインの向こう側、北朝鮮の動きを監視している滅共オブザベーションポスト。

椅子に座ってスクリーンに投影される朝鮮戦争の映像を見た後、軍人がカーテンを開けると眼下に広がるDMZとその向こうの北朝鮮が目に飛び込んできます。続いて、周辺の模型をもとに軍人が説明しますが、全て韓国語。

山の上から北朝鮮を監視する滅共オブザベーションポスト 隣に建つ鐘楼と看板

ここからDMZや北朝鮮側は撮影禁止ですが、滅共オブザベーションポストの建物は撮ってもいいようで、階段に並んで迷彩服にヘルメット軍人にシャッターを押してもらう観光客の姿も。2006年の都羅山では、展望台から後ろに下がった場所からDMZや北朝鮮側の写真を撮ることができたのですが、状況が厳しくなったのか、地理的な重要性が違うのか。

隣の鐘楼との間に立つドクロマークの付いた緑の看板の文字、ハングルは飛ばして漢字だけを拾い読みすると、“白骨 白骨 必死則生 骨肉之情”。

 

金剛山電鉄の遺構が今に残る鉄橋

急な坂道を降りていくバスの前方窓から下の方に、川に架かる鉄橋が見えます。近くまで降りていき、白骨前戦教会のそばでバスから下車。ここは、日本の植民地時代に建設し、現在の白馬高地駅の近くにあった京元線の鉄原駅から分岐して東北東へ、景勝地の金剛山近くの内金剛駅まで117kmを結んだ金剛山電気鉄道の遺構です。

阪和電鉄の黒潮号のように、朝鮮総督府鉄道から直通する客車を電車で牽引したこともあるそうですが、第二次大戦中に不要不急路線として金剛山方面の一部が撤去され、38度線の北側に位置するため、戦後の一時期は残りの部分が北朝鮮の手で運行されていたものの朝鮮戦争で破壊され、休戦ラインで路線が分断されて消滅した鉄道だとか。

白骨前戦教会 金剛山電鉄の説明
鉄橋の全景 板を張って手すりを設けている

鉄橋のたもとに韓国語と英語の看板があり、ガイドの説明はわからないので英語を拾い読み。プレートガーターの上には板を張って手すりを付け、人が行き来できるようになっていますが、鉄原側は川の向こうで行き止まり。中央の橋脚から立ち上げた架線柱が1本残っていて、電化路線だったことを伝えています。

真ん中に1本だけ残る架線柱 鉄橋の鉄原側の終端部
鉄橋から見た道路橋と左上の滅共オブザベーションポスト 滅共オブザベーションポストをズームアップ

鉄橋の上から川の上流、北の方角を見ると、山の上には先ほど訪れた滅共オブザベーションポストが見えています。その右奥に見える山は北朝鮮、同じように山上には何らかの施設が建っています。

北朝鮮側の山にも何かが 山上の建物をズームアップ

 

目の前がDMZ

次に向かうのは、金剛山電鉄の鉄橋の上から上流側の道路橋の向こうに見えていた手すりのあるところ。バスを降りてガイドのあとについて土手に登ると、手すりが見えていたところは遊歩道になっていて、すぐ目の前には鉄条網が張り巡らされ、その向こうはDMZ。

道路橋の奥に見える手すりの向こうがDMZ 背後の山は北朝鮮 遊歩道の向こう側はDMZ

もちろんこの場所は撮影禁止のようで、誰もDMZにカメラを向ける人はいません。土手の下に降りてDMZが入らないここなら良いかと思って1枚撮ったのが右側の写真。見ていたガイドから注意を受けます。彼女は私が外国人だとは知らなかったようで、バスに戻ったら英・日・中3ヶ国語で書いたパンフレットを席まで届けてくれました。

この周辺をGoogle mapで下に示します。右下の川を渡る黒い橋が金剛山電鉄の鉄橋、その上方の建物が白骨前戦教会、鉄橋の左上が道路橋、道路橋の下側から左へ分け入り上方にカーブした先の右側に滅共オブザベーションポスト、地図の上方を左右に走る直線がDMZとの境界線となる土手で、その上方がDMZです。

もとの道に戻り道路橋を渡るバスの車窓に、金剛山電鉄の鉄橋が見えます。民間人統制区域の軍の検問所のところに、地雷の見本らしきものが置いてあったので、窓から1枚パチリ。

道路橋を渡るバスの車窓から金剛山電鉄の鉄橋 軍の検問所に展示してあった地雷の見本(おそらく)

 

白馬高地戦跡地

バスは西に向け、白馬高地駅の方角に戻ります。途中で、京元線の鉄原駅の1つ先にあり、廃線で廃駅となった三角屋根の駅舎が残る月井里駅が見えてきます。当然下車するものと思っていたのですが、コースに入っていないのか時間が押しているのか、朝鮮戦争で破壊された状態で展示されている車両の横をそのまま通過。バスの窓から写真を撮ればよかった、残念。

そして到着したのが、後ろ足で立つ白馬像のあるところ。最近整備されたように見受けますが、白樺の林の中央を貫く道の向こうに何か高い物が立っています。入口の左には“白馬高地戦跡地”と刻んだ古い石が、右側には白馬のマークが付いた新しい“白馬高地戦勝碑”があり、後方には戦車も展示されています。

白馬の像 白馬高地戦跡地の碑
白馬高地戦勝碑 戦車も展示

ここ白馬高地戦跡地は、韓国観光公社のホームページから解説を引用すると、“白馬高地は韓国戦争(朝鮮戦争)当時、最も激しい戦場となった場所です。1952年10月6日空軍からの対空戦で10日間にわたる大血戦が繰り広げられた白馬高地戦闘は相互の砲弾落下30万発が炸裂し高地の所有者が24回も変わりました。この戦闘で空軍は約14,000名あまりの死傷者を出したと言われています。砂埃と死体が入り乱れ悪臭が鼻を突き、砲撃などのせいで山が本来の姿を失ってしまいましたが、その姿がまるで白馬が寝そべっているように見えることから白馬高地と呼ばれるようになりました。”となっています。

ガイドに続いて白樺の道を進むと、白馬高地慰霊碑の前に出ます。ここで待っていた若い軍人から説明を受けます。もちろん韓国語だけ。はじめに戦争の犠牲者に黙祷したあと、おそらく上記の韓国観光公社の解説にあるようなことを話しているのでしょう。唯一聞き取れた単語は“キム イルソン”(金日成)。

白馬高地慰霊碑 慰霊碑の前で軍人が説明
展示館内の金鍾五陸軍大将 朝鮮戦争の展示

慰霊碑の先にある白い建物は戦争資料館になっていて、ここでも説明を受けます。写真の掲げられた軍人は、軍事クーデターで大統領になった朴正煕陸軍大将かと思ったのですが、あとで調べてみると白馬高地の戦いを指揮した金鍾五陸軍大将でした。よく似ていると思いませんか。

ここで軍人の説明は終わり。各自、その先の白いモニュメントに向かいます。先端の内側には白馬のレリーフが。ここは民間人統制区域の外。DMZまでまだ少し距離があり、鐘楼の向こうには、のどかな田園風景が広がります。

白いモニュメント 内側には白馬のレリーフ
慰霊碑の裏にある鐘楼 のどかな田園風景が広がる

これでDMZ観光は終了。バスで白馬高地駅に戻ります。


 

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