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“チェコ プラハの国立技術博物館”

プラハの国立技術博物館

東欧チェコ共和国の首都プラハ。旧市街からトラムに乗って北へ、ヴルタヴァ川の対岸にあるレトナーの丘の近くに、国立技術博物館があります。東欧の工業国チェコの技術の歴史、なかでも乗り物の展示が充実しています。

トラムの博物館最寄りの停留所は、Letenské náměstí。

Letenské náměstíの停留所

Letenské náměstíで下車して南へ、5分も歩けば国立技術博物館が見えてきますが、こちらは博物館の裏側。公園に面した南側の正面入り口にまわります。

国立技術博物館の裏側
こちらが正面入り口

中に入ると0階(地上階で日本式にいえば1階)から3階(日本式にいえば4階)まで、広い吹き抜けのホールに蒸気機関車や自動車が並び、周囲の回廊にはバイクや自転車、屋上からは飛行機がぶら下がり巨大なおもちゃ箱のよう。

国立技術博物館は0階から3階までの吹き抜けの空間に乗り物が並ぶ

それでは、地上階の鉄道車両から順に見ていきましょう。チェコにはプラハから西へ50kmほどのルジュナーに、チェコ鉄道の博物館があるためか、ここ国立技術博物館の鉄道車両は多くはありません。

 

鉄道車両

水タンクの側面に“KLAND”のプレートを付けた、キャブに屋根のない103号は、Bustehradska鉄道で主に石炭輸送に従事。1855年製で、現存する中ではチェコで最古の蒸気機関車。軸配置C2のタンク式のように見えるものの、Engerth(エンゲルス)式とよばれるボイラーの重量の一部を負担するキャブと石炭庫を兼ねた2軸のテンダーが、動輪3軸の機関車と関節(連結ピン)でつながる構造になっているようです。

オーストリア人のエンゲルスの設計によるものですが、チェコの近代史は第一次世界大戦によるオーストリアの敗戦で1918年にチェコスロバキアとして独立するまで、オーストリア・ハンガリー帝国の一部だったので、当時の国産機関車ですね。

この方式の機関車は、世界に3両現存しており、フランス ミュールーズの鉄道博物館とスイス ルツェルンの交通博物館(動態に復活)に保存されているのだとか。

エンゲルス式の蒸気機関車103号

軸配置2Bのテンダ式蒸気機関車252型008号機は、1881年にウィーンで製造。フラットな観音開きの煙室扉を持つ典型的なオーストリアスタイル。車体に比べて大きな1900mmの動輪は、高速で急行列車を牽引するため。キャブ内には床面から上に向かって、第2動輪の半円形のカバーが突き出しています。

正面とキャブ側面のナンバープレートは252008だけど、何故か3軸のテンダの背面は412008となっています。テンダーの振り替えがあっても、ナンバープレートは元のままなのでしょうか。

252型008号機

軸配置1C2のテンダ式蒸気機関車375型007号機は、オーストリア・ハンガリー帝国時代の1911年に、帝立王立オーストリア国有鉄道の急行列車牽引機310型として製造。4気筒で大きな動輪径は2140mm。出力1800hp、最高速度100km/h。

珍しい軸配置のIC2は、アドリアティックまたは2C1のパシフィックの逆なのでアンチ・パシフィックと呼ぶのだとか。後方の見通しを確保するためか、下部の水槽の上に幅を狭めた石炭庫を乗せた形状のテンダーには、821039のナンバープレート。振替られているのでしょうか。

1911年から1916年までに90両製造された310型は、第一次世界大戦後にオーストリア・ハンガリー帝国が解体されるとオーストリア共和国に43両が残り、12両がポーランドに引き継がれました。チェコが受け継いだ35両は375型001から035号機に改番され、第二次世界大戦後は鉄のカーテンの向こうで1954年まで活躍したのだとか。

375型007号機
375型007号機のキャブ

軸配置B、細長い煙突の横に4のナンバープレートを付けた軌間800mmナローゲージのタンク式蒸気機関車は、1884年にドイツミュンヘンで製造。チェコで最古の産業用蒸気機関車で、1968年まで製鉄所で活躍。1986年、カナダバンクーバー万博のチェコスロバキア館で展示されたのだとか。幅の狭い2つのバッファが珍しい。

ナローゲージの産業用蒸気機関車4号

252型008号機に連結したダブルルーフの客車は、1891年にプラハ近郊で製造。オーストリア・ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の皇帝列車(court saloon train)を構成する8両のうちの1両で食堂車。豪華な内装は地元の建築家がデザインし、プラハ大学の協力によるものだそうです。

皇帝列車の食堂車

第一次世界大戦後はチェコスロバキアが引き継ぎ、大統領専用車として1959年まで使用されたのだとか。

フランツヨーゼフ1世
豪華な車内

自動車が鉄の車輪を履いてレールに乗っています。track car Tatra T15/52と称するこの車両は、1951年にチェコスロバキアの自動車メーカのタトラ社が製造し、翌1952年チェコスロバキア国鉄に引き渡され、ナンバープレートも自動車ではなく鉄道車両としてのナンバーです。track carは1932年から1952年までに14両導入され、最後の5両のグループの1台。プラハに配属され、特別な用途や検査のための巡回に1970年まで使用されました。

2人がけの座席が3列で定員は6人。エンジンは、自動車と同じ空冷4サイクル水平4気筒対向ピストン型、排気量1910CC、2500rpmで27.5hp、最高速度80km/h。

track car Tatra T15/52

 

消防車

壁際に4両の消防車が展示されています。一番古いのは18世紀末、1795年製の馬が牽く消防馬車。木製で消火ポンプは人力で駆動。

18世紀末の消防車

それから約90年後の1882年の消防車は、同じく消防馬車ではあるものの消火ポンプが蒸気機関駆動に。

19世紀後半の消防車

1914年の消防車は、やっぱり消防馬車だけど強力な蒸気機関でより高く遠くまで放水できるように。

20世紀はじめの消防車

1930年になると消防自動車の時代に。右ハンドルなのは、当時のチェコスロバキアではクルマは左側通行だったから。

20世紀前半の消防自動車

 


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