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マチュピチュ駅のハイラムビンガム号

マチュピチュに行く外国人観光客が乗るペルーレイルの列車には、ビスタドームの他に1ランク下のエクスペディション(古いガイドブックではバックパッカーと書いてあったりします)と、オリエンタル急行のノウハウを持ってペルーレイルが運行している豪華列車、マチュピチュ遺跡を発見したアメリカ人の考古学者名を冠した“ハイラムビンガム号”があります。

ビスタドームに乗って夕刻のマチュピチュ駅に到着したとき、隣のホームではクスコに向かうハイラムビンガム号が乗客を迎える準備をしています。

ハイラムビンガム号の機関車 ハイラムビンガム号の展望車

先頭のディーゼル機関車に次位に展望車が連結され、2両目の客車の入り口にはマットが敷かれ、車内のテーブルにはディナーの準備が整っています。3両目は電源車とスタッフの車両の合造車です。厨房もあるのかもしれません。

テレビ番組で見たときは中間の客車が2両あって4両編成だったのですが、この日はわずか3両。それも乗客の席は1両だけの短い編成は、フルコースの食事やマチュピチュの入場料等が含まれるとはいえ料金が329米ドルと高い(同じ種類の列車でも料金に多少の差があるが、同じ区間をビスタドームは76米ドル、ビュフェタイプの食事付きビスタドームは104米ドル、エクスペディションは62米ドル程度で遺跡の入場料等は含まず)から人気がイマイチなのでしょうか。

ハイラムビンガム号の客車 ハイラムビンガム号の乗車口

2012年7月段階では、ハイラムビンガム号はクスコ郊外のポロイ駅とマチュピチュ駅の間で運行されています。4月下旬までのポロイ駅とオリャンタイタンボ駅の間を運休していた雨期の間は、ウルバンバ駅とマチュピチュ駅間の運行となっていました。時刻表で見ると、日曜日は運休のようです。

マチュピチュに向かうとき、列車の最後尾が展望車になりますが、電源車の貫通扉を見せて走るクスコ方面行きは、何とも締まらない編成です。

ハイラムビンガム号の電源車 マチュピチュ駅舎

マチュピチュ駅から外に出ると、そこはたくさんの土産物屋が並ぶ大きな市場のようになっています。その一角から駅の構内が覗ける場所があります。天窓のある客車列車のビスタードームが発車を待っていて、その隣のホーム、ハイラムビンガム号の手前に1両の一般型客車が停車しています。

ビスタドームと一般の客車 マチュピチュトレインのディーゼルカー

日が暮れてからもう一度同じ場所を訪れてみると、同じ場所にマチュピチュトレインのディーゼルカーが1両だけ停車しています。前歴は何なんでしょうか。怪しげな車両です。

 


夜のアグアス・カリエンテス村

マチュピチュ駅があるマチュピチュ村は、最近までアグアス・カリエンテス村でした。スペイン語の Aguas Calientes は英語では hot water または hot springs。温泉です。

駅のホームの裏手にあるホテルでの夕食後に、村の散策に出かけます。駅から村の中心に向かう途中に急流のアグアス・カリエンテス川が流れ、ウルバンバ川にそそいでいます。橋から下を見下ろすと、小さな川に大きな石がゴロゴロ。温泉は川の少し上流にあるのだとか。

インカレイルとマチュピチュトレインの列車 駅前から川を渡ってマチュピチュ村の中心へ

村のメインストリートは川と平行に山に向かう坂道で、レストランやカフェ、土産物店などが並び、世界からの観光客で賑わっています。メインストリートをウルバンバ川に向かって下ったところに村の中心、アルマス広場があります。その中央に立つのは、クスコと同様にインカ帝国第9代皇帝パチャクティ。

   
アグア・カリエンテス村のメインストリート     アルマス広場に立つインカ帝国
第9代皇帝パチャクティ像

 


マチュピチュ遺跡

翌朝は、アルマス広場の先にある停留所からマイクロバスに乗って、マチュピチュ遺跡に向かいます。ここはアマゾンの熱帯雨林の入り口。バスはウルバンバ川と線路に挟まれた道をしばらく下流に向かって走り、川を渡るとジャングルの中を突き進む舗装のない10回以上のヘアピンカーブが繰り返す山道、ハイラムビンガムロードを上へ上へと登っていきます。やがて前方に遺跡らしきものが見えてきて、入り口に到着です。

マチュピチュ村と遺跡を結ぶバス 車窓に遺跡が見えてきた

マチュピチュ遺跡の標高は2,400m。谷底にあるアグアス・カリエンテス村は2,000mですから、バスで400mも登ったことになります。マチュピチュ遺跡の保全のため、ペルー文化庁は1日の入場者数を2,500人に制限しています。遺跡の向かいにある山、ワイナピチュへの登山者の制限は400人とのことで、一般的なパックツアーでは登るための切符を入手することは困難です。

マチュピチュ遺跡の入り口 見張り小屋からみたマチュピチュとワイナピチュ

マチュピチュは、インカの第9代皇帝パチャクティの時代、15世紀半ばにつくられたと説が有力だとされています。城壁に囲まれた内部は、神殿のある神聖な場所と居住区に分かれ、周辺の段々畑ではこの地が原産のジャガイモやトウモロコシ、それにコカも栽培されていたのだとか。

入り口を入って左手の坂を登っていくと、見張り小屋が建っています。眼下にマチュピチュ遺跡、その後ろにはワイナピチュ(若い嶺という意味だそうです)がそびえています。今まで、本やテレビで何度か見たマチュピチュの姿は、ここの見張り小屋から撮ったものです。でも、生で見るとまるで違います。ついに地球の裏側までやってきたと、感慨ひとしおです。

リャマがいる左は急な崖
谷底からマチュピチュは見えない
葬儀の石

見張り小屋のすぐ先、リャマがいるところから左側は 遙か400m下を流れるウルバンバ川の深い谷に落ち込んでいます。谷の奥の方にマチュピチュ村がありますが、ここからは見えません。確かにマチュピチュ遺跡は谷底からはその存在をうかがい知ることはできず、スペイン軍に見つかることなく、破壊を免れて無傷のままにインカの歴史を今に伝える空中都市です。

近くに、階段の刻まれた葬儀の石があります。葬儀かどうかはわかりませんが、何かの儀式に使われ、その後ろに並ぶ長い石は参列者の座るベンチだったのではないかといわれています。

     
市街地に入る門       振り返ると段々畑と見張り小屋の向こうに
マチュピチュの嶺

見張り小屋から階段を下っていくと、マチュピチュ遺跡の正門をくぐって市街地に入ります。後ろを振り返ると、石積みの段々畑の端に見張り小屋が建っています。その後ろにそびえる山がマチュピチュ(老いた嶺という意味だそうです)です。

マチュピチュ遺跡の建造物は、石組みの壁にかやぶきの屋根を乗せていたようで、屋根は失われていますが、見張り小屋をはじめごく一部の建物では復元しています。今でも大きな石がゴロゴロ転がる石切場と、神官の館の建つ神聖な広場を抜けて高いところに登ると、巨石を組み合わせて3方を囲った主神殿があります。一部の石積みが崩れかけているところが気にかかります。

きれいな石組みの段々畑と石切場 3方を石組みで囲んだ主神殿

主神殿の隣には3つの窓の神殿があり、窓からマチュピチュの居住区が見渡せます。主神殿の向こうに見える高いところは、マチュピチュ遺跡内の最高地点のインティワタナ、日時計といわれていますが天体観測に使ったとの説も。大きな石から削り出していて、柱の角はそれぞれ東西南北を指しているのだとか。

3つの窓の神殿 日時計 インティワタナ

インティワタナから下ると、マチュピチュ遺跡の一番奥にワイナピチュへの登り口、その近くには儀式の石と準備室があります。当時は儀式の準備に使われた建物とされていますが、今では屋根が復元されて観光客の休憩所に。

儀式の石と準備室 ワイナピチュへの登山口

この日のワイナピチュへの登山者は、定数に達して締切済みのようです。ここから、居住区を歩きながら入口の方に戻ります。

居住区の建物群 3つの窓の神殿

その中に、2つの丸い石が並んでいます。石臼と名付けられていますが、水を張って月を映して天体観測に使ったのではないかという説が有力だとか。

2つの石臼 中央が太陽の神殿
その後方の高いところにインティワタナ

太陽の神殿は、天然の巨石の上にクスコの今はサント・ドミンゴ教会になっている、太陽の神殿を小さくしたような石組みを設けています。その下は三角形の石室になっています。

コンドルの神殿は、地面の三角形の石をコンドルの頭部に、背後のV字型の石を羽根に見立てて、こう呼ばれています。半地下式のため牢獄説や、コンドルの頭部はリャマの生け贄を捧げた儀式の石だの、いろんな説があるようです。

太陽の神殿とその下の陵墓 コンドルの神殿 ビスカチャ(上)とコカの木(下)

石の隙間に小動物を見つけました。ウサギの身体とリスの尾を持つビスカチャだそうです。マチュピチュの一角には植物園もあり、立て札にはコカの木と書かれています。

 


 

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