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北京南駅から新幹線の寝台に乗車

2012年4月段階では、北京南駅から南京に向かう新幹線タイプの車両を使用した夜行列車は、南京南駅停車の上海行きが2本と、南京行きが1本です。郊外の南京南駅ではなく、街の中心に近い南京駅が終着の列車を選びました。このほかに、在来線の機関車が客車を牽引する特快もありますが、料金が安い割には所要時間も大きくは変わらないため人気が高く、切符の入手が困難です。

改札を抜けてホームに降りると、東北新幹線はやてをベースにした寝台電車、CRH2Eが待っています。ボンネットにもヘッドライトがあるのが中国オリジナルだそうですが、この部分は点灯していません。指定された寝台は2号車で、とりあえず先頭の1号車まで写真を撮りに行きます。向こうのホームには、シーメンスのICE3をベースにしたCRH3あるいはCRH380Bが3本並んで停車しています。

東北新幹線はやてがベースの寝台列車CRH2E ICE3ベースのCRH3か380Bが何本も並ぶ

反対側のホームにいる先発の上海行きは、ボンバルディアのCRH1をベースにした寝台電車、CRH1Eです。オリジナルのCRH1とは先頭車の形状が大きく変化し、ドアも車体中央から端に移っています。

CRH2Eの編成は16両のようで、両端の運転台付きの車両がはやてと同じ2人掛けと3人掛けの座席で、料金が比較的安いためか満席です。食堂車1両を除く13両の中間車は、上下2段の寝台4人部屋の個室です。各ベッドの壁には液晶モニタが付いていますが、カーテンはなしの中国仕様。窓際のテーブルには、お湯の入ったポットが置かれています。

上海行きの寝台列車はCRH1E

廊下には、折りたたみ式の補助椅子があるのは、在来線の客車寝台と同じ。でも、個室は天井が低いので居住性はイマイチ。これでは、3段寝台の硬臥は作れませんね。荷物を収納できる場所は寝台の下だけのようで、在来線客車のような廊下の天井裏にスペースはとれません。

寝台の乗車率は半分程度で、私の部屋も上段は空いています。同室の中年の男性は、ノートパソコンを開いてまだ仕事の続きをしています。出張で北京に来て、自宅のある南京に帰るところだそうで、仕事が一段落したところで南京訪問は21年ぶりと伝え、前回訪れていない南京観光のお勧めの場所を教えてもらいます。

発車すると、検札がきます。でも、制服の車掌さんではなく、若い女性のアテンダントで英語が通じます。一般に、中国の夜行寝台列車では、検札時に換票という寝台番号が入った金属又はプラスチックの札を切符と交換して、1両に一人ずついる車掌が乗客の切符を預かって行き先を管理し、下車駅が近づくと起こしに来て、換票を返して切符を受け取るシステムになっています。ところが、この列車では切符のチェックだけで換票と交換しません。あとで理由がわかりました。途中停車駅がなく、北京南を出ると、次の停車駅は終点南京で、寝台の管理は不要です。

ビールが飲みたくなったので、検札の小姐に食堂車を連結しているか聞いてみます。ダイニングカーが通じなかったので、メモ用紙に中国語の“餐車”の字を書こうとしても思い出せず、“Dining Car”と書いて見せてもわからないらしく、スマホを使って検索を始める始末。もういいです。ちょうどそのとき、車販のワゴンが通ったものの、ビールは積んでいないのでジュースを買い求めます。帰国後、dining car を調べたらアメリカ方言で、英語では buffet car 又は restaurant carriage だそうです。北京では地下鉄が subway だから、アメリカ方言が使われていると思うのですが。

洗面所と中国式のトイレ

食堂車を探しながら車内の見学です。はやてと違って、寝台車のドアは1両につき片側1箇所のみで、反対側の車端部は洗面台やトイレが配置されています。

編成の中間に食堂車が連結されていますが、検札を終わって暇になった大勢の車掌のたまり場と化しています。営業は行っていないようで、ビールがあるかと聞いたら“没有”でした。車内を撮ろうとしたら、サボっているところを写されると思ったのか、すごい剣幕で怒られたので、食堂車の写真はありません。


南京に到着

新幹線開通前の東北本線を120km/hで疾走する583系の、ひどい揺れと振動で寝られなかった経験から、日本では電車寝台は避けるようにしていたのですが、南京行きの動車組は、揺れもなく実に快適でよく眠れました。翌朝の到着時間に合わせて調整をしているのでしょうが、150km/h程度でのんびりと走っていることもありますが。

同室の乗客が、南京に着くよと言って起してくれます。しまった、寝過ごして南京長江大橋を渡るのを見落としてしまった。

終着の南京に到着したCRH2E 在来線の客車と並ぶCRH2E

南京駅は濃い朝靄に包まれています。向かいのホームには、重連のDL牽引の夜行客車列車が到着します。一晩を同室で過ごした乗客は、地下鉄で自宅に戻るそうで、私のホテルはその沿線の途中にあります。一緒に地下鉄駅まで行って、券売機でICチップ入りトークンの買い方を教えてもらいます。初乗り運賃は、北京と同じ2元。北京のような、改札口での荷物検査はありません。

朝靄の南京に到着する夜行列車 南京の地下鉄はプラスチックのトークン

21年ぶりの南京の発展には目を見張るものがあり、ホテルの近くに建つ紫峰大厦は高さ450m、上海環球金融中心に次ぐ中国第2位の高さの超高層ビルです。

ホテルでは、まだチェックインができなかったので、荷物だけ預かってもらいます。北京や上海の同クラスのホテルに比べ、宿泊費はかなりお得。

     
南京で宿泊したホテル       高さ450mの紫峰大厦

 


中華民国総統府

ホテルに荷物を預けて、街に出ます。寝台車の車内でお勧めと聞いた総統府へ、21年前の南京訪問時には訪れていないと言ったら、まだ博物館として整備されてから10年程度とのことです。開館時間にあわせて、地下鉄1号線から2号線に乗り換えて宝慶銀楼・大行宮駅に向かいます。ホームドアで車両の写真は撮りづらいのですが、外観は上海地下鉄の地上を走る3号線にそっくりです。

南京の地下鉄車内 各駅にホームドア

駅から地上に出て、さてどちらへ行けばよいのか。近くにいた若い二人連れの女性にガイドブックを見せて総統府への行き方を尋ねると、彼女たちもこれから向かうところだとか。どこから来たのと聞かれて日本と答えると、“I love Japan”だって。尖閣での漁船の衝突事件のあと、名古屋の減税が南京大虐殺は無かったと発言して物議をかもしていた時だったので、中国の若い大学生の言葉にビックリ。政府と市民の間に大きなズレがあるのは、中国も日本も同じですかね。

彼女たちが道を聞いててくれたので、一緒について行って無事に総統府前に到着。チケットを買って入口に向かうと、観光バスが停まり、旗を持った添乗員に引率された団体さんで混雑しています。その時、入口の自動改札が突然動かなくなり入場がストップ。やっぱりここは中国、後ろからは怒号が飛び交い、グイグイ押されます。しばらくすると、係員が切符を手でもぎって入場を再会しますが、ゲートのバーは閉じたまま。下をくぐり抜けたり、跨いで乗り越えたりの入場で大混乱。

総統府入り口 自動改札機の故障で大混乱

以下、総統府の概要です。1911年の辛亥革命で清朝が倒れ、孫文がここ総統府にて中華民国臨時政府の臨時大総統に就任します。すぐに臨時政府は北京に移り、この場所は江蘇省の各種公的機関となりますが、1927年になると蒋介石により南京国民政府が置かれます。日中戦争中の1937年に日本軍により南京が陥落すると、傀儡政権の中華民国維新政府となり、大日本帝国陸軍の司令部も置かれます。

1945年の日本の敗戦のあと、国民政府が南京に戻り、蒋介石が総統を務めます。国共内戦を経て、1949年に人民解放軍が南京を“解放”すると蒋介石は台湾へ逃れ、総統府には中華人民共和国の政府機関がおかれます。政府機関の移転後に整備され、2003年から“南京中国近代史遺址博物館”となって公開されたのが総統府です。

それでは総統府を見学しましょう

総統府は9ヘクタールに及ぶ広大な敷地に、孫文や蒋介石の執務室や会議室、各種資料の展示室が建ち並び、池を配した古典園林である煦園には花が咲き乱れています。

それにしても、周恩来と並ぶ蒋介石を含め、孫文や蒋介石の多くの肖像が掲げられ、中華民国(現在の台湾)の青天白日旗が大きく描かれるなど、ここは台湾にいるような錯覚を起こさせる場所です。戦後長らく臨戦態勢にあった本土の共産党と台湾の国民党の間の融和が進むことに、総統府の博物館としての展示も対応しているのでしょうか。

園内の売店で、茹でトウモロコシを買って一休み。上海では見かけなくなった、お尻の開いた子供のズボンが、ここではまだ健在です。

     
茹でトウモロコシでちょっと休憩       子供のズボンはお尻がオープン

 


 

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