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塔爾寺(タール寺)

塔爾寺(タール寺)の看板があります。チベット仏教ゲルグ派の6大寺院の一つで、16世紀建立。お参りのチベット人の方もいるものの、世界各地からの団体客が押しかけ(私もその一員ですが)完全に観光地化しています。

如来八塔の建つタール寺前の広場周辺 お参りのチベット族の人々と赤い法衣の僧

境内には山門、花寺、小金屋殿、大金屋殿、九間殿をはじめとする多くの建物があり見学できますが、仏像だけにとどまらず、屋内は全面撮影禁止。建物の外観写真だけご覧下さい。屋根は中国のお寺のように反り返っていないのですが、瓦の上に仏塔のような物が立っていますね。

チベット仏教では、蝋燭やお灯明の油にヤクの乳から作ったバターを使うので、堂内で初めてかぐと強烈な臭いです。このあと、拉薩でもさんざんこの臭いにまみれ、少しは慣れましたが。また、タール寺名物のお供え物、バター彫刻が飾られたお堂もありました。バター茶も一般的に飲まれているように、ヤクのバターはチベット族の生活に深く入り込んでいると見受けます。

あるお堂の入口で順番待ちをしていると、老人から“日本の方ですか”と声をかけられました。台湾から観光で来ている日本語世代の方です。“台湾にはよく行くんですけどどちらから”と尋ねると、“カレン(花蓮)です”と日本語読みで返答が。“東海岸のファーリェンですか。10数年前にタロコ渓谷に行きました。”などと会話をしていて、最後に聞かれたことが“私の日本語はどうですか?”。年月を経てご自身の日本語が錆びついていないか、確認されたかったようです。ネイティブの日本人と変わらない発音とアクセントでした。

大きなマニ車のぶら下がるお堂

お堂にぶら下がる円筒形のマニ車(摩尼車)。内部にはチベット仏教の経文が収められていて、回転させた数だけお経を唱えたのと同じ功徳があるとされています。回転方向は必ず右回り(時計回り)。チベット仏教徒は、ハンディータイプの自分のマニ車を持ち、クルクルと回して姿をよく見かけます。

塔爾寺の門前町は商店街になっていて、土産物屋や露店がいっぱい出ています。パックツアーお決まりの、毎日何箇所かのコースに入った土産物屋に連れて行き、高く売りつけて店から入る売り上げに応じたキックバックを前提にしてツアー価格を下げるシステムが、2007年の西寧や拉薩ではまだ機能してていないようでした。だからツアー料金が高い。

塔爾寺門前町の商店街

 


西寧駅

湟中から西寧に戻ってきました。西寧の人口の8割は漢族といわれていますが、チベット族とともに西域多いイスラム教徒の回族も住んでいます。中国の街にあるモスクは仏教寺院と見分けがつきにくい建物もありますが、14世紀後半の創建の西寧最大のモスク、東関清真大寺はちょっと違います。今回の観光コースに入っていないとのことで、ガイドに要求して立ち寄ってもらいました。夕闇に浮かぶこのライトアップの色は中国のセンスですかね。

チベット料理のレストランでの夕食時に、列車の寝台の抽選です。中国の列車で外国人観光客は、2段ベッド4人個室で1等寝台相当の軟臥に乗車するのが一般的ですが、このパックツアーは3段ベッドの2等寝台相当の硬臥です。両数の少ない軟臥が確保できないのかと思ったのですが、実際には空席があり、安く上げるために硬臥にしたようです。

西寧最大のモスク東関清真大寺 西寧→拉薩のチケット

あみだくじで上段、中段、下段を決めたら、上段を引いてしまいました。ところが、下段を当てた女性から替わってほしいとの申し出が。喜んでOKしましたが、後で考えたら日本と違ってベッドにカーテンのない寝台で、上から寝顔を見られたくなかったのかも。

ネットで列車時刻を調べ、西寧始発の拉薩行きN917次快速に乗車し、発車は20時28分と思っていたのですが、受け取ったチケットは22時16分発のN919時快速となっています。こんな列車があったのか帰国後に調べたら、運行期間が8月から10月中旬までの2ヶ月半限定の臨時列車でした。それで、中小の旅行会社がハイシーズンにツアーを設定できたんだ。そうそう、当時のチケットには、まだパスポート番号は入っていません。今なら、発売時点で各人のベッドが決まりますね。

西寧駅 夜の切符売り場は閑散

始発の西寧駅にやってきました。軟臥の乗客はソファーのある専用の待合室が使え、優先改札が受けられますが、硬臥は座席車の硬座と同じ一般のプラスチックベンチの待合室です。待合室は列車ごとに分けられ、拉薩行きN919次快速は余裕がありますが、隣の上海行き夜行快速の待合室を覗いたら、大きな荷物をかかえた人々で立錐の余地もないほどの大混雑。1960年から70年代の、お盆や年末の帰省ラッシュ時に夜行列車を待つ上野駅を思い出させます。

待ち時間の間に駅前の雑貨店へ食料を仕入れに行って待合室に戻ってくると、駅員でしょうか、男が何か言いながら待合室の中を回っています。ガイドに聞いたら、いくらか現金を払えば先にホームに入れてやるとのこと。そのお金はどこに行くのでしょうか。

駅前の雑貨店へ食料の仕入れに 西寧駅の拉薩行きN919次快速の待合室

その後、西寧駅が蘭州西からウルムチに向かう高速新線工事のため、一時的に列車の発着を郊外の西寧西駅に変更していたそうですが、2014年12月末の開業により西寧駅に戻ったとのことです。2017年に宝鶏−蘭州間が開通すると、北京からウルムチまで、世界最長の高速新線になるのだとか。こんな奥地にまで新幹線が来たんですね。日本と同様に、夜行列車の大混雑も昔話になるのかもしれません。


西寧発拉薩行きN919次快速

発車の30分ぐらい前になって改札が始まり、ホームに向かいます。ダークグリーンの車体に窓の上下に黄色の帯。最新型にもかかわらず、共産圏の標準色をまとった緑皮車と同じ塗色です。指定された硬臥車は3号車。1号車の隣に電源車が付き、エンジンが唸りを上げていますが、こちら側には機関車は無し。300mほど離れた反対側の15号車まで行ってみましたが、こちらにも機関車は連結されていません。果たしてどっちに走るのか。編成の中央の食堂車は準備中のようです。

入線したN919次快速 先頭の15号車 N919次快速の食堂車

隣のホームから、東風4D型ディーゼル機関車の牽く上海行きの快速が先に発車していきます。こちらもほぼ定刻に発車。15号車の前に機関車を連結したようです。車掌が検札に来て、チケットと寝台番号の入った換票と交換するところは他の列車と同じですが、空気の薄い高地へ向かう青海チベット鉄道では“旅客健康登記卡”の記入を求められます。

高度の高いところを旅行することを理解していることと、3000m以上の高地の旅行に対応できる健康状態というところの2個所にチェックを付けてサインをするのですが、列車に乗る前に確認すべきことで、発車してから書いたのでは遅いのではないでしょうか。チェックマークを付けないと強制的に降ろされるのかな。

隣のホームの上海行き快速牽引機 東風4D 旅客健康登記卡

一通りの作業が終わると硬臥車は消灯。各自ベッドに潜り込みます。中段や上段に登るには、日本のような梯子はなく、壁面の小さなステップに足をかけて強引によじ登ります。年寄りには無理。

海抜3205mに位置する中国最大の湖、青海湖が見えないかカーテンの隙間から目を凝らしてみますが、いつの間にか夢の中へ。

翌朝目覚めると、列車は草原地帯を快走しています。下段の寝台に座って、食堂車で作ったお粥と饅頭におかずの付いた暖かい弁当の朝食です。3段寝台ですが、車両が大陸サイズで大きいため、寝台が固定のままでも日本の3段寝台のように中段に頭が当たることはありませんが、背になる壁の面にはクッションがありません。

食堂車で作った朝食の弁当を寝台席で 硬臥車両
硬臥の3段ベッド デッキの給湯器

午前8時過ぎに、ゴルムド(格爾木)に到着するとのこと。西寧から西に向かって、昨晩から走ってきた西寧−ゴルムド間は、青海チベット鉄道の第1期区間として1984年に開通しています。ゴルムドの標高は2828mで、3200mを越える青海湖畔から一旦標高を下げています。

ゴルムドから先、拉薩までが青海チベット鉄道の第2期区間として2005年に開業(旅客列車の開通は2006年)した区間を担当する、5000mを越える高地に対応した機関車への付け替え作業を見るために、前方の車両から下車しようと列車の中を通り抜けて前に向かいます。

個室に扉の付いた軟臥の廊下 今は不在の乗務員室 チベット文字の表記も

列車の編成は、最後尾に電源車が1両。続いて後方から1〜4号車が硬臥、5〜6号車が軟臥、7号車が食堂車、8〜11号車が通路を挟んで4人がけと6人がけのボックスシートの硬座、12号車から機関車の次位の15号車までが硬臥となっています。

臨時列車のためか予想外に空いています。硬座車では座席順にチケットを売るためかほぼ満席の車両もあれば、数名しか乗っていない車両もあり、3人がけの席で横になっている人も。それも、棚に荷物が乗っていないので、混雑した他の車両から移動してきたようです。窮屈な席で一夜を過ごした硬座車の乗客の多くはチベット族で、聖地巡礼の方もいるようです。出稼ぎ労働者らしき漢族や欧米人系バックパッカーの姿も見かけます。彼らの朝食は、給湯器からお湯を注いだカップラーメン。

硬座車の乗客はチベット族が多い 空席が目立つ硬座車

 


 

 

 

 

 

 

  

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