“トルコ イスタンブール コチ博物館” |
コチ博物館への行き方
ボスポラス海峡をはさんで、ヨーロッパとアジアにまたがるトルコ最大の都市イスタンブール。ヨーロッパ側は細長い金角湾をはさんで南側の旧市街と北側の新市街に分かれます。ラフミ・M・コチ博物館(Rahmi M. Koç Müzesi)は、金角湾を遡った北岸、新市街側にあります。
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エミノニュバスターミナルの右奥にある乗り場から47番のバスに乗る |
金角湾の入口にかかるガラタ橋の旧市街側のたもと、エミノニュのバスターミナルから47番のバスに乗ります。このバスターミナルはとても広くて、乗り場がどこにあるかよくわかりません。ちょうどその時、47番のバスが入ってきたので後ろをついていくと、右側の奥の方にあるバス停に止まりました。この場所を見つけるのはちょっと難しそう。
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バスの進行左側(金角湾の側)に戦闘機が見えたら到着 |
エミノニュからは47系統以外に、47E、47C、47N系統のバスでもコチ博物館に行けるそうです。金角湾にかかるアタチュルク橋を渡って、湾沿いに20分ほど、アップダウンの激しい道を行き、左手に飛び立とうとしている戦闘機が見えてくると、コチ博物館に到着です。
鉄道車両
ここはコチ財閥が運営する鉄道から自動車、船に飛行機と、19世紀後半から20世紀初頭の乗り物なら何でもある博物館。入場券を買って構内に入ると、すぐに鉄道車両の並ぶガラス張りの展示館があります。
入口に近い鉄道車両の展示館 鉄道車両の展示館で目立つのは、蒸気機関車55022号機と、流線型の気動車です。
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ドイツの蒸気機関車とイタリアの流線型の気動車が並ぶ |
蒸気機関車55022号機は、長さ18.9m、重量76トン、動輪が5軸の0-E-0の軸配置。下の写真では、先頭の動輪がシリンダで隠れています。かつてヨーロッパ最大、全世界でも2位の蒸気機関車メーカであったドイツのボルジヒ社で1912年頃に製造され、Royal Prussian Railwayで活躍したあと49両の仲間とともにトルコに転入してきたのだとか。
E型蒸気機関車55022号機
蒸気機関車の後部テンダ 広いキャブには、機関士と機関助士の人形が乗務しています。機関士の制服が、日本のような菜っ葉服じゃないですね。ヨーロッパの階級社会を思わせるような、機関助士との差を感じます。
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広いキャブに制服姿の機関士 |
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こちらはテンダの石炭をかき集める機関助士 |
railcarと呼ばれる、ピカピカの工芸品のような流線型のディーゼルカー“La Littorina”は、1937年イタリアのフィアット社製。日本の省電モハ52やC55の2次型と同世代で、世界的に流線型が流行った時代の作品です。南イタリアのパオーラ・コゼンツァ鉄道で使われていたものを、2011年にコチ博物館に導入したので、トルコを走った車両ではないようです。
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FIAT製の流線型気動車 |
両運転台で、乗降用の外開ドアは運転台の直後にあり、車輪カバーの間にステップを設けたデザインもおしゃれです。車内の先頭部分に大きなエンジンカバーが出っ張り、左隅に押し込められた運転席がちょっと窮屈そう。
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大きなエンジンカバーの横で窮屈そうな運転台 右側には補助席 |
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ボックスシートの車内 |
客室内は、ゆったりとしたボックスシートが並びます。車体の最前部にバッファーを備えていますが、連結器がありません。常に単行運転をしていたのでしょうね。
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天井照明は白熱灯 |
車体の中央部には、模型も展示されています。何か書いた札が下がっていますが、トルコ語から英語にネット翻訳すると、reserved for luggage 荷物のための予約だそうです。
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車内には模型も展示さえれている |
もう1両の蒸気機関車は、600mm軌間ナローゲージのC型6号機です。米国のDavenport Locomotive Works製です。
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ナローゲージのC型蒸気機関車6号機 |
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ナローゲージの蒸気機関車の後部 |
緑色のL型車体、ロッド式C型ディーゼル機関車には、正面にHUNSLETのプレートがついています。1961年の英国Hunslet Engine Company製で、製油所の構内で使用されていたそうです。
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L型車体のロッド式C型ディーゼル機関車 |
同じくL型車体、ロッド式B型産業用ディーゼル機関車。1957年のドイツMak(マシーネンバオ・キール)製で、やはりトルコの石油関連の施設で使われていたようです。
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L型車体のロッド式B型ディーゼル機関車 |
凸型車体に軸配置B-Bのボギー台車をはいたD型ディーゼル機関車は、ルーマニア FAUL社の8月23日工場製の液体式入れ換え機LDH45型。東西冷戦の時代に、20年にわたり東ヨーロッパ各国に供給されたようですが、ナンバープレートを見ると001号機です。
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凸型車体 ボギー台車のD型ディーゼル機関車 |
装飾の施された2軸客車は、オスマン帝国時代の1867年、英国中西部バーミンガム Metropolitan Carriage & Wagon Companyで製造されました。トルコ国内のイズミールとアイドゥン間の路線を運行していたオットマン鉄道から、スルタン アブドゥルアジーズに贈られたもので、日本でいえばお召し列車でしょう。スルタンはこの車両でヨーロッパを巡り、ナポレオン三世やビクトリア女王、ベルギーやプロシャの王、オーストリアハンガリー二重帝国の皇帝と面会したのだとか。
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オープンデッキのスルタン専用車 |
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19世紀のスルタン専用客車 |
車内は豪華な内装で、フカフカのソファーでスルタンが休んでいます。
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スルタン専用車の豪華な内装 |
片側3扉の2軸木造客車がいます。側窓は固定のようで、窓上が自然通風式のベンチレータになっています。使用目的はよくわかりませんが、2軸の中間に小さな車輪の第3軸も持っています。
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ケーブルカーの2軸木造客車 |
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2軸の中間に小さな車輪のついた第3軸? |
車内は木製のロングシート。実は、この客車はトュネルと呼ばれている地下ケーブルカーです。1875年にに開通したイスタンブールの新市街、金角湾に面したガラタと坂の上のイスティクラール通りをむすぶ地下ケーブルカーで、ロンドン、ニューヨークに次いで世界で3番目の地下鉄です。
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木製ロングシートの客車の車内 |
その地下鉄を動かしたのが、大きな2つのシリンダを持つ蒸気機関で駆動する巻き上げ機。1873年のフランス製です。
トュネルは、電動になり車両も新しくなっていますが、今でも毎日、通勤客や観光客の足としてガラタとイスティクラール通りを地下トンネルで行き来しています。
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ケーブルカーの巻揚げ駆動装置 |
2軸の客車を牽く2頭立ての鉄道馬車は、1872年にイスタンブールのヨーロッパ側に登場した Horse Tram。1914年までに、路面電車に置き換えられます。この車両のナンバーはアラビア文字で書かれています。行き先は、アラビア文字とアルファベットを併記しています。今ではアルファベットで統一しているトルコですが、オスマン時代はアラビア文字を使っていたのでしょうね。
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二頭立ての鉄道馬車 |
鉄道馬車の隣で、大きなビューゲルを上げているのは、1934年にイスタンブールのアジア側で運行をはじめた軌間1000mm、メーターゲージ2軸の路面電車。1966年に路線は廃止になりますが、最近になって、カドキョイを一方通行で周回する路面電車が復活しました。車両は、この車は復活せずにドイツの中古車と思われる2軸車で運行しています。
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鉄道馬車の後部(左)とアジア側カドキョイの路面電車 |
カドキョイの路面電車の車内は、4人がけと2人がけのボックスシート。これは、現在運行中のドイツの中古車も同じです。
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カドキョイの路面電車の車内 |
2軸の23号車は、イスタンブールのヨーロッパ側で運行していた路面電車の増結用の付随車。この車両だけでは走れません。路線は一旦廃止になりますが、一部区間がアジア側より一足先に復活し、新市街の繁華街イスティクラール通りのトランジットモールを、転換式クロスシートを備えた同じデザインのアンティークトラムが毎日行き交っています。
ヨーロッパ側の路面電車の付随車
転換式クロスシートの路面電車の車内