旅の車窓から
インド デリー・コルカタ・バナラシ・アグラ |
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2005年のゴールデンウイークにインドに行きました。既に10年になろうとしていますが、メトロの路線が次々と開通している首都デリーを除けば、インドの鉄道は今でも当時と大きく変わることはないよううです。お蔵入りしていた当時の写真と資料、メモを引っ張り出してきました。
インドは個人旅行にはハードルが高いので、適当なパックツアーがないかネットで探していたところ、中小の旅行会社のサイトで見つけたのがデリー、コルカタ、バナラシ、アグラを列車で巡る9日間、1人から催行で4月29日の祝日発、連休最後の土曜日帰着という絶好のスケジュール。ゴールデンウイークとしては破格の料金設定で、アグラからデリーを除き、この4都市間移動には夜行列車を3回使用するためホテルの宿泊は5泊となり、1人部屋追加料金も安価というものです。
他社も含め類似の商品は多いものの、コルカタまで足をのばすコースは他になく、即決です。コルカタにこだわるのは、インド唯一の路面電車に乗るため。理由はそれだけです。インドの5月は雨期に入る前の年間で一番暑い時期。日中の気温が40℃を越える酷暑の中の観光です。
価格を抑えるためか、飛行機はJALやエアインディアのデリー直行便ではなく、キャセイの乗り継ぎ便。成田を夕刻便で出発します。3人がけの隣の席には、若い男性2人組。話しかけると、同じ旅行会社のコルカタには行かずバナラシでゆっくりするコースだとか。事前に旅行会社から聞いていましたが、1日おきに夜行列車に乗る物好きなコースへの参加者は私1人だけ。現地ガイドと2人で1週間、行動を共にすることになります。
ゴールデンウイーク初日とはいえ、夕刻成田発の香港便ジャンボ機は空いています。後方の空席に移動して、肘掛けを跳ね上げて寝ていきます。
香港国際空港で乗り継いだ22時55分発の徳里(デリー)便は、時間帯が良くないにもかかわらず満席。機内食はチキン or フィッシュ?ではなく、ベジ or ノンベジ?で、ここから先は別の世界です。ノンベジ食をいただいて、デリー到着は深夜の2時。日本との時間差は3時間半。サマータイムはありません。
※ 10ページの末尾にそれぞれリンク先を設けました。詳しく知りたい方はご利用ください。
スローペースの入国審査や荷物のピックアップに手間取り、空港から外に出たのは午前3時を過ぎています。出口で私の名前の書いた紙を持ったガイドをやっと見つけ、外で待つクルマに案内されます。当時はまだ、空港にメトロは乗り入れていませんが、今でも午前3時なら電車は動いていないでしょう。
そのクルマは、走るシーラカンスの異名を持つインドの国産車アンバサダー。バッテリーがあがってしまったのかセルモータが回らず、エンジンがかかりません。運転手と私を乗せたまま、ガイドが近くにいる男に手伝わせて押しがけです。昔は、日本でもやったことがありますね。
空港を出て市内に向かう幹線道路を走行中に、路肩に寄せて駐め、運転手がボンネットを開けています。ヘッドライトが点かなくなったのだとか。簡単には直らないもののエンジンは動いていいて、道路にはナトリウム灯の街灯があるので、ヘッドライトが消えたまま走ります。ホテルの近くに来て、横道に入ったら真っ暗闇。そろりそろりと進みます。トンデモナイところに来てしまったというのが、インドの第一印象。
ホテルの朝食 | サイクルリキシャ |
貨物用の三輪車 | オートリキシャ |
翌朝のホテルの朝食で、ティー or コーヒー?と聞かれてコーヒーを注文したら、何と、ステンレスの容器に入れたインスタントコーヒーの粉が運ばれてきて、カップにとってお湯を注ぐことに。そうだ、ここは紅茶の国だ。以後帰国まで、ティーで通しました。
前夜の到着が遅かったので、インド2日目の朝はゆっくり寝て、ガイドが10時頃に迎えに来てデリー市内観光と言っていたのですが、現れないためホテルの前をフラフラ。サイクルリキシャやオートリキシャ、貨物を積んだ三輪車が行き交います。リキシャは日本語の人力車が語源だそうです。でも、人が牽くリキシャはコルカタに残っているだけだとか。
当時はまだ工事中のデリーメトロの高架線 | デリーのバス |
ガイドが40分も遅刻して、前日のアンバサダーに乗って現れます。会社に電話しなかったか気にしていますが、ここはインド、はじめから遅れて当たり前と思っています。クルマの修理で遅れたのと聞いたら、今日も押しがけでエンジンをスタートしたのだとか。当時まだ工事中だったデリーメトロの高架橋の下の道を、都心に向かいます。
ボンネットを開けてバッテリー交換 | コンノートプレイスを走るバスやオートリキシャ |
ニューデリーの中心、イギリス統治時代に商業地区として整備されたコンノートプレイスの環状道路で、クルマを止めてちょっと待って。何かと思ったら、通り沿いの店からバッテリーを持ってきて、ボンネットを開けて交換を始めます。見物の子供も集まってきます。オイオイ。
やっと白いアンバサダーは、セルモータでエンジンがかかるようになりました。客1人にガイドと運転手が付き、大名旅行で観光を始めます。まずは、コンノートプレイスから近いインド門へ。
六角形の道路で囲まれた緑地の中に、パリの凱旋門をモデルにしたインド門が建ち、周囲に放射状に道路が延びています。1929年に英国によって建てられた、第一次世界大戦で戦死した英領インド兵士を追悼する施設で、門の表面には戦没者の名前が刻まれています。周辺はデリーの官庁街。
第一次世界大戦で戦死した兵士の慰霊碑 インド門 |
続いて近くのフマユーン廟へ。このパックツアー、入場料は料金に含まれず、全て現地払い。ガイドは入場券売り場まで付きそって、何時何分までに戻ってきてねと言ってクルマに戻っていきます。
16世紀の北インドに始まり、インド全土に勢力を伸ばして19世紀半ばまで続いたイスラム王朝、ムガール帝国の第2代皇帝フマユーンの死後に妃が建てた廟で、世界遺産です。
フマユーン廟入口の白い門 | 続いて赤い西門をくぐる |
インドにおけるイスラム建築の傑作のひとつとされ、その建築様式は第5代皇帝の妃の廟であるタージ・マハルにも影響を与えたといわれています。入口の白い門をくぐって、さらにその先の赤い門を抜けると、赤い砂岩に白い大理石が映える綺麗なシンメトリー、小型タージ・マハルのような上下2層の建物、フマユーン廟が現れます。東西南北4方向、どちらから見ても同じ形。
西門から | フマユーン廟 |
中央のドームが乗った墓室には白い大理石の石棺が置かれていますが、これは見せかけの石棺で、本物のフマユーンの石棺はこの地下にあるのだそうです。皇帝の他にも王妃や王子をはじめ、ムガール朝の宮廷人等も含めて150人もの関係者がここに埋葬されているのだとか。
フマユーン廟のファザード | 中央墓室の大理石の石棺 |
クルマはデリー市内を抜けて一路南の郊外へ。インド最古のイスラム遺跡群、世界遺産のクトゥブ・ミナールに向かいます。天に向かってそびえる高さ72mのイスラムの尖塔、ミナレットが見えてきます。12世紀末にインドで最初のイスラム王朝をおこしたアイバクが、勝利を記念して建造したものといわれ、コーランがアラビア文字で刻まれています。
その塔の下には、インドで最初のイスラム教モスクの跡が残っています。建設にあたってデリーにあったヒンドゥー教やジャイナ教の寺院を破壊して建材をリサイクルしたため、柱にはヒンドゥーの彫刻などが残っています。モスクの中庭に立つ高さ7mの鉄柱。紀元3世紀頃に作られたといわれており、鉄の純度が極めて高いため1800年を経ても錆びていないのだとか。
ヒンドゥーとイスラムの宗教の違いにより、英国植民地からの独立時にインドとパキスタンに分かれ、今も続く対立には1000年の歴史があるのですね。
塔の下部はモスクの跡 | イスラムモスクの建設にヒンドゥー寺院の柱をリサイクル |
中庭に立つ古代の鉄柱 錆びていない | 5層になった塔 |
南門のアラーイー・ダルワザとイマーム・ザミンの墓 | 墓の内部の石棺 |
南門であるアラーイー・ダルワザの隣にある、ドームを乗せたイマーム・ザミンの墓は、16世紀のムガール帝国の時代のものだとか。
再びデリー市内に戻ってカレーとタンドリーチキンの昼食です。食事はパックツアーの料金に含まれているのでガイドが支払い、2人分のビールは私持ちという組み合わせが以後も続きます。
食事の後で訪れたのが、インド独立の父マハトマ・ガンジーを記念して造られた公園、ラージ・ガート。入口で靴を脱いで入ります。1948年、デリーで暗殺されたガンジーを茶毘に付した場所には、黒大理石でできた慰霊碑が置かれており、台座の側面には彼の最後の言葉“ハレラマ(おお神よ)”が刻まれています。ガンジーの遺灰は、ガンジス川をはじめとするインド各地の川に流されたため、ここには遺骨はないのだとか。
昼食はもちろんカレー | 公園墓地ラージ・ガート |
マハトマ・ガンジーが火葬された場所に設けられた慰霊碑 |
デリーにある3つ目の世界遺産は、赤い城を意味するラール・キラー。ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンがアグラから遷都し、居城として築いたもので、17世紀半ばに完成。名前は、建材として用いた赤い砂岩に由来するとか。
でも、ここはこのツアーの観光コースには入っていないとのこと。ラージ・ガートから近いので、城の前の道を通ってもらうことに。
ラール・キラーのラホール門 | ラール・キラーの外壁 |
ラージ・ガートをパスして行った先は、お決まりの土産物屋。アジアのパックツアーでは、ギリギリのコストで引き受けた現地旅行会社が、客に法外な値段で売りつける土産物屋に連れて行き、そこからのバックマージンで利益を出すシステムが出来上がっています。
といっても、客は私一人だけ。期待はしていなかっただろうけど、“土産なんて買わないよ”と言ったとたんにガイドの顔が曇ります。彼の生活がかかっているならそれなりの補填は必要と思い、店に連れて行った客の売り上げの中からバックマージンがいくら入るのかと尋ねると、会社に1割、ガイド本人に1割とのこと。欲しくもないものをトンデモナイ値段で買うより、あとでガイドに直接チップを渡すことにして、土産物屋は時間の無駄なので以後は立ち寄らないことにします。
コルカタ行きの夜行列車に乗るため、ニューデリー駅に向かいます。デリーの街中では馬車も現役でしたが、今はどうでしょうか。ニューデリー駅のホームには、人と荷物が溢れています。
インドの列車の車両には、以下のクラスがあるそうです。
AC1 デラックス・エアコン・2段寝台:洗面台付2人または4人の個室
AC2 エアコン・2段寝台:通路をはさんで枕木方向の2段寝台4人スペースとレール方向2段寝台2人スペース、カーテン付き
AC3 エアコン・3段寝台:通路をはさんで枕木方向の3段寝台6人スペースとレール方向2段寝台2人スペース、カーテンなし
FC エアコンなし・3段寝台:AC1のエアコンなしバージョン
SL エアコンなし・3段寝台:AC3のエアコンなしバージョン
EC デラックス・エアコン・座席:下記CCよりデラックスな座席
ACC エアコン・座席:通路をはさんで2人と3人のリクライニングシート(日本の新幹線普通車のイメージ)
2S エアコンなし・座席:下記IIの座席指定
II エアコンなし・座席:クッションのない木製の6人がけボックスシート エアコンなし 自由席
馬車も現役 | デリーのバス |
跨線橋の混雑 | 荷物が溢れるニューデリー駅のホーム |
この旅行では、夜行列車に3回乗りましたが、車両はいずれもAC3でした。バックパッカーを除く、一般的な外国人旅行客には、夜行列車はAC3以上が、昼間の列車はACC以上があてがわれるのだとか。5月のインドで冷房なしの車両など、日本人には乗れません。
ニューデリー駅17時発、コルカタハウラー駅行きのラジダーニエクスプレスが入線しています。デッキの横の車体に、コンピュータで打ち出した乗客名簿が張り出されています。私の名前もありましたが、パスポートと微妙にスペルが違っています。飛行機なら搭乗拒否ですが、列車では問題はありませんというか、パスポートチェックなどありません。
車体に張り出された紙にガイドの名前がなかったときは焦りましたが、ホームの掲示板の方で見つかり、何とか一緒に乗れます。やれやれ。
車体に乗客の名簿を貼りだしている | ホームの掲示板にも乗客名簿 |