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ハンブルク行き快速RE

ロストック中央駅で乗り換えるREは、午前中唯一のハンブルク行きだけに混雑するかと身構えていたら、ご覧のようなガラガラで拍子抜け。シュトラールズント方面からの列車が止まっているので、乗り継ぎ客は私の乗ってきたバートドーベラン方面からのローカル線だけだったようで。

RE最後尾制御客車1階の自転車兼用席 最後尾制御客車の1階席
REの2階座席 ロストックの車両基地

REは、ハンブルクから来たときと同じ電気機関車と二階建て客車のプッシュプル編成。最後尾の制御客車2階のボックス席を1人で占領できて快適です。ロストックを発車すると車窓に車両基地が広がります。ストのせいか、2日前のロストック到着時より寝ている車両が多いような。

ロストックから40分ほど、貨物鉄道会社EGPの水色の凸型ディーゼル機関車を横に見てリューベック方面へのローカル線の乗換駅、バート・クライネンに到着。向こうのホームに停まっているODEGの二階建て電車はヴィスマールとベルリン方面を結ぶもので、今日のリューベック方面は全便スト決行中。ここから先は、三角形の二辺ならぬ、五角形の四辺を通るようなハンブルク乗り継ぎの大回りです。

凸型のディーゼル機関車がいた バート・クライネン駅でODEGの二階建て電車

シュベリーン駅近くの留置線にも、赤いDBの列車が何本か昼寝中。ここで途中下車し、街を散策してみたかったものの、次の列車がいつになるかわからず断念。それにしても駅のホームは閑散、わずかに動く列車に対して、乗降客はほとんどいません。

シュヴェリーンの留置線 閑散としたシュヴェリーン駅

ロストックから2時間以上が経過すると、車窓に並走する赤と白のSバーンが姿を現し、ハンブルクが近づいてきたことがわかります。Sバーンも一部は動いているようです。

ハンブルクが近づくとSバーンが並走
ノルトバーン(北鉄道)の車両基地がある

ハンブルク近郊のローカル線を運行する私鉄、ノルトバーン(北鉄道)の緑の電車が憩う車両基地の横を抜けると、もうすぐ終点のハンブルク中央駅。

 

ハンブルクでREに乗り換えリューベックへ

ストで本数が半減のため1時間待ちのはずが、乗ってきたREがハンブルクに数分早着したため、、リューベック行きのREが隣のホームにまだ停車中。急いで階段を渡り、飛び乗った車両の2階は1等のため1階の2等席に納まります。

ハンブルクに到着したロストックからの快速RE ハンブルクで乗り換えた快速REの1,2等合造車
(リューベック駅)
空席の目立つ二階建てREの1階席 ハンブルク中央駅を出るとSバーンが並走

REはハンブルク中央駅を発車するとしばらくSバーンと並走、45分程でホームが屋根に覆われた終着のリューベック中央駅に到着。駅近くのビジネスホテルにチェックイン。

屋根に覆われたリューベック駅のホーム ホテル近くの陸橋から見たリューベック駅

 


世界遺産のリューベック ホルステン門とペトリ教会

人口21万人余りのリューベックは、バルト海南西部のリューベック湾に面する港湾都市。“ハンザの女王”と呼ばれ、13世紀から16世紀にかけて、ハンザ同盟の盟主として繁栄を極めた都市です。トラヴェ川とトラヴェ運河に囲まれた縦に長いレモンのような楕円形の島が世界遺産の旧市街。

第二次世界大戦で大きな被害を受けたものの、戦後は東西ドイツの国境近くで西ドイツに属したため、先に訪問した東ドイツのロストックやヴィスマールより早く復興が進み、レンガ造りのゴシック建築群が黄金期のハンザ商人の力を今に伝えています。

リューベック中央駅近くのホテルから東へ歩くと、緑の芝生の向こうに旧市街の入口でリューベックのシンボルになっているホルステン門が見えてきます。2本の塔で構成された煉瓦造りの重厚な市城門で、15世紀の建築。塔の内部は歴史博物館。塔の間、アーチ上部の文字は、“内に結束、外に平和を”と書いてあるのだとか。

リューベックのシンボルホルステン門 アーチの上に書かれているのはラテン語で
“内に結束、外に平和を”
けっこう傾いている 塩の倉庫

ホルステン門は正面から見ても2本の塔が内側に傾いているのがわかりますが、横に回ると前のめりになってかなり傾斜しています。レンガの重みで地面にめり込んでしまったたそうで、地震がないから倒壊を免れているのかも。

門の先で、トラーヴェ川に沿って並ぶ煉瓦造りの切り妻屋根は16から18世紀に建てられた塩の倉庫。塩街道でリューネブルクで採掘して運ばれてきた岩塩を貯蔵し、バルト海でとれたニシンを保存食の塩漬けにして輸出し、リューベックに莫大な富をもたらしたのだとか。

ハンブルクを経由せずに、塩街道に沿ってリューベックとリューネブルクを直結するDBのローカル線があり、はじめの計画では訪れたいと思っていたものの、ストで運転本数が極端に少なくまた別の機会に。

聖ペトリ教会 教会の中は空っぽ

門の先でホルステン橋を渡り、旧市街に入ったところに建つのが塩商人の教会だった聖ペトリ教会。今は博物館として使われているとのことですが、展示の入れ替えか教会の内部は何もなくて空っぽ。チケットを買ってエレベータで尖塔に上ると、オレンジ色の屋根の旧市街とその外に緑の広がる360度の絶景から、リューベックの全体像がつかめます。

塔から西側はホルステン門と塩の倉庫
その先は駅のある新市街
東北東には聖マリエン教会とマルクト広場
南には大聖堂 南西にはトラーヴェ川と破風を持つ旧市街の建物

 

リューベック市庁舎とマリエン教会

ペトリ教会から見えていた、リューベック旧市街の中心マルクト広場へ。広場に面して建つのは、ドイツ最古のゴシック建築といわれる13世紀の市庁舎。白いアーケードや裏側に回った階段は、後に増築された部分でルネッサンス様式。

3階建てのように見えるものの、大きく見せるために2階建ての上にファザードを積み上げたのだとか。丸い風穴を開け、その上には何本もの尖塔を立てています。同じハンザ都市のロストックの市庁舎にもよく似た装飾が見られましたが、リューベックを真似たのでしょう。

マルクト広場に建つリューベック市庁舎 このベビーカーなら石畳も楽々
市庁舎裏側の階段はルネッサンス様式 マルクト広場の向こう側 2本の尖塔は聖マリエン教会

マルクト広場の隣に、ハンザの商人が13世紀の半ばから100年をかけて建てた聖マリエン教会。2本の尖塔の高さは125m、天井は83mあり、ドイツで3番目に大きくレンガ造りではドイツ最大の教会といわれ、バルト海沿岸地域の多くの教会がこれにならって建設されたのだとか。

同じく2本の尖塔を持つ司教の教会、大聖堂が建つのは旧市街の南端。商人の教会がリューベックの中心に位置しているのは、当時の彼らの経済力を物語っています。

市庁舎の裏から聖マリエン教会へ 125mの2本の尖塔を持つ聖マリエン教会
天井の高い聖マリエン教会の内部 主祭壇

プロテスタントの教会なので内部は簡素なものの、青が美しい天文時計や、かの偉大な音楽家バッハが青年時代に遠路はるばる演奏を聴くために訪れたという逸話の残る、世界最大級のパイプオルガンがあります。

パイプオルガン 天文時計
第二次世界大戦で爆撃を受け炎上する聖マリエン教会の写真 その時に落下した南塔の鐘

第二次世界大戦で爆撃を受け、炎上する聖マリエン教会の写真が展示されています。戦後に復元されもとの姿に戻ったものの、空襲時に落下して割れ、地面にめり込んだ南塔の鐘が、そのままの姿で教会内に残され、平和を願うモニュメントとなっています。

観光客と一緒に悪魔の石に腰をおろす悪魔 隣にも由緒ありそうな建物

マリエン教会の外で、観光客とならんで石に腰を下ろす悪魔。すぐ横の教会の壁に、ドイツ語と英語でそのいわれを書いたプレートが固定されています。

それによると、教会の建設が始まったとき、悪魔はワインバーができると思って労働者の手助けをしたため、建設は驚くべき速さで進んだが、酒場ではなく教会だと気付くと、悪魔は怒って巨大な石をぶつけて教会の壁を壊し始めました。教会の近くにワインバーを建設することが約束されると、悪魔は喜んで石を置き、無事に聖マリエン教会が完成しました。こうして教会横の市庁舎内にワインセラーがつくられたのだとか。悪魔の石は現在まで教会の横に横たわり、その上に観光客と悪魔が座っています。


 

 

 

 

 

 

  

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