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ハンザ同盟の都市ロストック

モリーへの乗車を翌日に変更したので、この日の午後はバート・ドーベランからDBのローカル線に乗ってロストックに戻り、旧市街の観光へ。菜の花畑の向こうに農家が点在する、のんびりとした車窓を眺めながら20分でロストック中央駅に到着。駅の地下にトラムが乗り入れているものの、旧市街の中心までトラムで3停留所目、徒歩でも15分程度なので歩いて向かいます。

ロストックに向かうローカル線の車窓 ロストック中央駅
中央駅の地下から出てきたトラム 全面ラッピング車もあります

駅のすぐ先でトラムが地上に顔を出し、併用軌道になります。東ドイツ時代の旧共産圏の標準型、タトラカーは既に淘汰されたようで、やってくるのはデュワグ(シーメンス)の角張った部分低床の3車体連節車ばかり。

途中の安全地帯がない電停では、電車の停車中は後方の車道の信号を赤にして、クルマを止めて乗降客の安全を確保しています。ヨーロッパではよく見かけますが、何故日本ではできないのでしょうか。

トラムが止まると後ろの車道の信号は赤に バスもトラムも同じ停留所を使用

また、バスも安全地帯がトラムと共用で、舗装された軌道敷に入ってきて停車。別個の交通機関ととらえ、停留所の位置を変えている日本をはじめとするアジア諸国とは基本的な思想が違います。利用者から見れば、同じ目的地までいくのならトラムでもバスでも、先に来た方に乗れる方が便利で、もちろん切符も共通です。

 

ロストック旧市街

ドイツの北部では、かつて多くの都市がハンザ同盟に加盟していて、今も当時の面影が残っています。ハンザ同盟は、バルト海沿岸の通商や交易の利益を守るために結成した都市連合で、海賊から船と街を守るため、13世紀にリューベックとロストック、ヴィスマールの3都市が結んだ協定から始まったのだといわれています。

ロストックは、人口20万人のバルト海に面する港湾都市で、中世のハンザ同盟の中心都市の一つでした。旧東ドイツ時代は最大の港湾都市で、海軍の司令部も置かれていたそうです。ハンザ同盟の昔から造船業で栄えてきたものの、東西ドイツの統一以後は市場経済化で競争力をなくして壊滅。最近は、8月に行う世界最大の帆船イベントなど観光業で復活しつつあるのだとか。

その観光の中心となるのが旧市街。かつては、旧市街は中世の城壁で取り囲まれていて、中央駅からトラムで2つ目が南側の入口の一つがシュタイン門。22あった市の城門の中で唯一残った門で、その下は1車線が確保され、トラムは横をすり抜けて旧市街の中へ。

新型の5車体連節低床車 シュタイン門は旧市街の南門の一つ
ノイアー・マルクト広場と市庁舎 市庁舎前のトラム

次の電停が旧市街の中心、ノイアー・マルクト広場。広場に面して建つ、背後に7本の尖塔を持つピンクの外壁の建物は市庁舎。その前の停留所には、新型の5車体連節全低床のトラムもやってきます。

ノイアー・マルクト広場の斜め横に見える、煉瓦造りゴシック様式の聖マリエン教会。尖塔の高さが125mある市内最古の教会で、400年にわたって増改築が行われているものの、最古の部分は13世紀の建築だとか。

ノイアー・マルクト広場の聖マリエン教会
聖マリエン教会の祭壇

内部には、13世紀のブロンズ製の洗礼盤や、15世紀から時を刻み続ける大きな天文時計もあります。建物の一部は修復工事中。

側面の祭壇 パイプオルガン
15世紀の天文時計 13世紀の洗礼盤

ノイアー・マルクト広場から西に延びる、クレペリーナ通りがロストック旧市街のメインストリート。図書館になっている15世紀の牧師館など、中世からの歴史的な建物が建ちならぶ歩行者天国ですが、第二次世界大戦で破壊され戦後の修復だそうで。

赤と白の建物はロストック大学の校舎。15世紀の創設された世界で最も古い大学のひとつであり、ヨーロッパ大陸北部バルト海地域のハンザ同盟圏では最大にして最古の大学で、現在まで続いている大学としてはドイツで三番目に古いのだとか。

旧市街のクレペリーナ通りに立つ15世紀の牧師館 ロストック大学
ロストック大学正面玄関 彫像と噴水のある大学広場
大学広場は子供達の格好の遊び場

大学広場には彫像が置かれ、噴水が出ていて地元の子供達の格好の遊び場になっています。クレペリーナ通りの西には、旧市街の西門にあたるクレペリーナ塔がそびえていて、この周辺はショッピングゾーンとして大勢の人々で賑わっています。

ロストック大学本館 旧市街の西門クレペリーナ塔
ミハリエス教会 ロストック中央駅前のケバブ屋

帰りシュタイン門まで戻らずに、ミハリエス教会の横から駅への近道を。ロストック中央駅には駅ナカのレストラン街はなく、バート・ドーベラン駅周辺はさらに何もないので、中央駅の前で行列のできていたケバブ屋に立ち寄ります。ここはドイツ、アラブ系の店にもビールを置いているので一緒にテイクアウト。


バート・ドーベランの機関区

19時30分を過ぎると太陽が西に傾いて影が伸び、夕刻の雰囲気が出てきたバート・ドーベランに戻ってきました。駅に隣接する車庫では99 2323号機が背中に夕陽を浴び、表には2両のロッド式ディーゼル機関車が休んでいます。

マリー鉄道の検収庫 99 2323号機
小さなディーゼル機関車もいる ビールとケバブ

ホテルの部屋に戻って、ビールとケバブで一息。缶ビールを置いていない店も多い前年のドイツでの経験から、センヌキは日本から持参しています。


蒸気機関車モリー鉄道 朝の上り列車

ドイツ6日目は、朝食前に一仕事。モリー鉄道の朝一番の下りキュールンクスボルン・ヴェスト行きはバス代行ですが、バート・ドーベラン7時21分着の上りの始発は蒸機列車。カメラを持ってホテルを出て、線路沿いの道をバート・ドーベランの街中へ。併用軌道となり、まだ店の閉まっている商店街を抜けた先、住宅街の直線区間で朝一番のバート・ドーベラン行きを待っていると雨が降り始めます。すぐ横でもう一人カメラを構える男性は、カッパを着て用意のいいこと。

時刻通りに交差点の角を曲がり、カンカンと鐘を鳴らしながら蒸気機関車モリーが後ろにクルマを従えて道路に入ってきます。朝は乗客が少ないのか、列車はちょっと短い5両編成。荷物車と営業していない食堂車を除くと、一般の客車は3両だけ。

クルマを従え併用軌道をモリーがやってきた 路面のゲーテシュトラッセ駅に到着
バート・ドーベラン行きが発車 カーブを曲がって商店街へ

鐘が鳴り止み、目の前で列車が停車。横を車が追い抜いていきます。ここがバート・ドーベランゲーテシュトラッセ(ゲーテ通り)駅だったようで、そういえば歩道に路面電車や路線バスと同じ丸にHマークの停留所の標識が立っています。再び鐘を鳴らして発車した列車は、カーブを曲がって狭い商店街に入っていきます。


ドイツ鉄道DBが127時間ストに突入!!

この日のスケジュールは、モリーに乗ったあとDBのローカル線でヴィスマールとシュヴェリーンをを巡り、ホテルに戻って荷物をピックアップ。夕刻の列車でロストックからドイツの北東端のバルト海に浮かぶリューゲン島の入口にある世界遺産都市、シュトラールズントに向かう計画です。目的は、島内を走るリューゲン島軽便鉄道の蒸機列車に乗りに行くこと。

朝の一仕事を終えてホテルに戻り、朝食の予約時刻までの間にDBのホームページでバート・ドーベランからシュトラールズントに向かう列車の時刻を検索すると、ヒットした全ての列車に赤に白抜きで×印が付いています。ロストックから先が動いていないようで、線路工事? 事故? そういえば昨日乗ろうとしたハンブルクからロストック、シュトラールズント経由リューゲン島のビンツ行きICが運休だったけど、と思ってDBのドイツ語のページを確認すると、大きなマークが。

Google 翻訳にかけると、何と今朝からDBがストライキに突入! それも127時間スト。帰国日まで含む足かけ6日間! ニュースサイトでは、賃金引き上げと労働条件改善の労使交渉が決裂してストに突入と報じています。

DBの発表によると、全体の3割ほどの列車は動くとしていますが、路線や列車の種類による差が大きく、幸いバート・ドーベランを通るローカル線は平常運行しているものの、シュトラールズント方面は全滅。

ホテルのスタッフに聞いてみても、DBのバート・ドーベランは無人駅だから、ロストックまで行かないと情報はとれないねとのこと。今夜部屋は空いているとのことで、ここにもう1泊することに変更して、シュトラールズントのホテルにキャンセルのメールを入れることに。事情を察してくれて、当日ながらキャンセル料不要の返信がきました。

朝食の食堂で出会った一人旅の若い日本人男性が、DBのストを知っていますかと聞いてきます。彼は、デンマークのコペンハーゲンから、フェリーで車両ごと航送する渡り鳥ラインの国際列車でドイツに来て、この日はベルリンから夜行列車の寝台を予約していたのに運休になったと困惑しています。気の毒に、初の海外旅行でストの洗礼だとか。とりあえず、午前中に1本だけベルリンまで乗り継げる列車が動くと言って、早々にチェックアウトしていきましたが無事に帰国できたのでしょうか。

バート・ドーベランを通るローカル線が動いているので、閉じ込められずに済みました。シュトラールズントまで行ったあとでストが始まったなら、途方に暮れたかもしれません。それにしても、DBがストに突入するまで全く気付かないとは情けない。

イタリアやフランス、スペインなどの南欧なら、常にスト情報にはアンテナを張っているのですが、DBの英語のホームページにスト情報はなく、全くのノーマークでした。帰国後に調べてみると、DBのみならず、ルフトハンザ航空も南欧諸国の交通機関なみにストを行い運行を止めています。ドイツを甘く見ていました。


 

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