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“ドイツ シュツットガルト トラム博物館”  


ドイツ南西部の工業都市シュツットガルトは、フランクフルトから南へICEで1時間と20分ほど。ドイツ鉄道DBシュツットガルト中央駅の塔の上を見ると、ベンツのマークがゆっくりと回転していて、ここにはダイムラーの本社があることを示しています。また、シュツットガルトはベンツに加えて、ポルシェも本社を構える自動車の街。両社とも、自動車の博物館がありますが、時間の関係で訪問したのはシュツットガルトの路面電車博物館、トラムワールドだけ。

▲ ベンツのマークが回転しているドイツ鉄道シュツットガルト中央駅  2015.5

福井鉄道が土佐電鉄から譲り受けて走らせている連接車735号で、日本でもおなじみになったシュツットガルトのトラム。1868年にメーターゲージの馬車軌道として開通し、1895年に電化して順次路線網を拡張。1976年以降は輸送力増強のために標準軌の大型車が導入され、既存の車両と両方が走る路線は三線軌条となりました。

 

 ▲ トラムを発展させたシュツットガルトのUバーン 三線軌条に注目

路線の改良が進み、2007年には全て標準軌のUバーンに置き換わり、都心部は地下へ、地上部分も専用軌道となった路線が増加しています。

150年にわたるメーターゲージの馬車軌道から路面電車までを保存展示するシュツットガルトトラム博物館、シュトラッセバーンヴェルト(トラムワールド)の開館日は、水・木・日の週に3日だけ。場所は、シュツットガルト中央駅からDBのSバーンで1駅のバート・カンスタット駅から歩いてすぐのところ。地上を走るUバーンの駅も近くにありますが、ドイツ鉄道乗り放題のジャーマンレイルパスを持っているのでSバーンで行くことに。

 

 ▲ トラム博物館最寄りのSバーン バート・カンスタット駅

 

 ▲ シュツットガルトトラム博物館 シュトラッセバーンヴェルト(トラムワールド)シュツットガルト

道路からトラム博物館の中へのびるメーターゲージの分岐線。架線も残っています。標準軌に全て置き換わった今でも、日曜の開館日には、市内からトラム博物館行きの電車がメーターゲージの動態保存車で運行され、3線区間も残存しているのだとか。

 

 ▲ 車庫を活用した広い構内

入場券を買うときに“どこから来たの?”と英語で尋ねてきます。“日本から。シュツットガルトのトラムが日本のFukui city で走っているのを知っている?”と聞いてみたけど、窓口の若い男性は知らなかったようです。

シュツットガルトトラム博物館は、煉瓦造りの広い車庫の中に歴代の車両が並んでいます。各車両の横には簡単な説明の看板があり、ドイツ語に加えて英語も併記されています。

一番古いのは馬に牽かれるホーストラムの20号。全長3.5m、重量1.3トン、座席16名、立席8名の定員24名。1887年から製造された車両をモデルに1993年に復元したもの。1893年の電化以後は、電車が牽引したのだとか。車輪のカバーが座席の下になるように配置しています。

 

 ▲ 復元されたホーストラム

 

▲ ホーストラム20号 

車体側面の裾に“シュツットガルテル シュトラッセバーン”の標記がある、オープンデッキの2軸車222号は1904年製。1902年から1904年に32両製造された1両で、1912年から1914年に密閉式に改造。1934年からは事業用車になり、スノープロウを取り付けて雪かき車になったことも。集電装置はトロリーポールからパンタグラフへ。

1968年にシュツットガルトのトラム開業100周年を記念してオリジナルのスタイルに復元。2007年から2009年にメーターゲージの保存路線で運行できるように整備が行われ、集電装置がアムステルダムから譲り受けたビューゲルに換装されています。全長7.8m、重量8.15トン、出力22kW×2、ロングシートの座席16名、立席17名の定員33名。

 

 ▲ 1904年製 オープンデッキの222号

 

 ▲ 222号の運転台

 

 ▲ 222号の車内

車体側面の裾に“インターシティー トラム エスリンゲン”の標記がある2軸車7号は、シュツットガルトの隣町、エスリンゲンのトラムで、開業時の1912年に7両製造されたうちの1両。1944年、この路線のトロリーバスへ置き換え時にシュツットガルトの561号となり、後にシュツットガルトの近隣のロイトリンゲンのトラムに売却されて事業用車となっていたものを、シュツットガルト路面電車博物館でオリジナルのスタイルに復元。

全長7.95m、重量9.5トン、出力26.5kW×2、座席18名、立席17名の定員35名。

 

 ▲ 隣町エスリンゲンのトラム7号

 

 ▲ 7号が牽引する付随車22号

7号に連結されたオープンデッキ2軸の付随車22号も、エスリンゲンのトラムで1912年製。1912年から1919年に11両製造され、1937年から1944年のトロリーバス化まで使用された1両。全長6.95m、重量3.49トン、座席18名、立席17名の定員35名。

大型のボギー車2号は、シュツットガルトの隣町エスリンゲンとネリンゲン、デンケンドルフを結ぶ郊外電車ENDの開通時、1926年の製造で、廃線の1978年まで使われた11両のうちの1両。全長13.36m、重量33トン、出力55.5kW×4、クロスシートの座席44名、立席80名の定員124名。

 

 ▲ボギーの電動車END2号

 

 ▲ END2号の運転台

 

 ▲ END2号の車内

2号が連結している2軸車23号は、ENDの1926年製造で、1953年まで15両製造されたうちの1両。廃線の1978年まで使われ、1987年から2007年までシュツットガルト路面電車博物館でカフェとして使われました。座席間のテーブルは、この時に取り付けたのでしょう。全長10.2m、クロスシートの座席28名、立席60名の定員88名。

 

 ▲ 付随車END23号

 

 ▲ カフェカーの車内

フェウエルバッハは、1933年にシュツットガルトに合併されるまではトラムの路線を運行する独立した都市でしたが、現存する車両はありません。車体側面の裾に、“シュタット シュトラッセバーン フェウエルバッハ”の標記がある2軸車15号は、フェウエルバッハのトラムと類似の1926年製シュツットガルトのトラム259号をフェウエルバッハの15号としたものです。

全長9.96m、重量13トン、出力50kW×2、座席22名、立席53名の定員75名。実際のフェウエルバッハのトラムは1927年から1929年に84両製造され1964年まで使われたとか。

 

 ▲ フェウデルバッハのトラム15号

 

 ▲ 15号の車内

緑とクリームに塗り分けた2軸車WN26号は、現在はシュツットガルト南部のUバーン路線になっているフィルダー鉄道の、デガーロッホとボップザー間で使用するため1912年に製造された4両のうちの1両で、郊外路線で1964年まで使用。全長8.65m、重量13トン、出力33kW×2、座席16名、立席51名の定員67名。車内が扉で前後2室に仕切られていますが、造りは同じで等級で別けているようにも見えません。

 

 ▲ フィルダー鉄道の電動車WN26号

 

 ▲ WN26号の車内

WN26号に牽引されているフィルダー鉄道の2軸の付随車、WN32号は1905年製。翌年にかけて3両造られたうちの1両で1954年まで使用。車内はボックスシートですが、背ずりは1本の棒だけで間はスカスカ。全長6.38m、重量4.8トン、座席16名、立席16名の定員32名。

 

 ▲ フィルダー鉄道の付随車WN32号

 

 ▲ WN32号の車内

さらに後ろに連結しているのは、1888年に造られて1930年に改造を受け、1978年まで使用された2軸貨車。全長5.3m、重量2.8トン。フィルダー鉄道は初めは狭軌の蒸気鉄道で、貨車で沿線の農産物等を輸送していたものの、自動車の台頭により貨物輸送の仕事を奪われ、貨車はトラム路線内部の業務用の物資輸送用途に限定されるようになりました。

 

 ▲ フィルダー鉄道の貨車WN202号

白と黄色に黒帯のシュツットガルト路面電車Stuttgarter Straßenbahnen(SSB)の標準色をまとい、近代化されたスタイルの2軸車610号は、1929年製を1956年に改造した600型34両のうちの1両。1962年まで使用されました。全長9.31m、重量12.7トン、出力51kW×2、座席20名、立席53名の定員73名。

 

 ▲ SSB600型電動車610号

 

 ▲ SSB1200型付随車1255号

SSBの2軸付随車1200型1255号は、上の610号と同じ1929年製。610号も、1956年の改造前はこのスタイルだったのでしょう。1927年から1929年に85両製造、1964年まで使用されたうちの1両。この1255号は1962年にシュツットガルトの南にあるロイトリンゲンに売却され、さらに後にハノーファーのトラム博物館に寄贈されたものの、20年間にわたって屋外で放置されていたものをシュツットガルトトラム博物館が引き取ったそうです。全長9.58m、重量5.96トン、座席22名、立席62名の定員84名。屋根が抜けボロボロになったままの姿ですが、いずれレストアされるのでしょう。

その隣の2軸付随車950型950号は、第二次世界大戦後の1949年製。同型は戦災で焼失した車両のフレームを使って、1946年から1949年に50両製造されました。“ボール紙電車”と呼ばれていますが、実際には車体にボール紙ではなくハードボード(蒸解した木材繊維を接着剤と混合して熱圧成型した木質ボードの一種)を使っているとのこと。屋根も簡単な造りの丸屋根です。全長7.85m、重量4.4トン、座席16名、立席57名の定員73名。日本でもこの時代に、横浜市電に木造の2軸車が登場しています。

 

 ▲ SSB950型付随車950号

 

 ▲ 丸屋根の950号の車内

ドアの折り戸と引き戸以外は、上の600型によく似た2軸電動車340号。SSBでは、第二次世界大戦後まで残っていた木造車の車体を、標準的な鋼製車体にのせ替える工事を行いました。340号は1910年製で、1955年に車体を更新した28両のうちの1両で、1962年まで使用されました。600型よりやや小ぶりで、全長8.05m、重量11.6トン、出力39kW×2。

 

 ▲ 木造車の鋼体化 SSB340号

日本の国鉄キハ07(キハ42000)のような流線型、縦に2灯のヘッドライトが並ぶ近代的なスタイルの2軸電動車は、1953年から1957年に123両が製造された戦後の新型車T2型。座席もクッション付きになり、戦後のドイツ経済発展のシンボルとされたものの、車掌の乗る2軸車は既に時代遅れでした。全長11m、重量13.2トン、出力69kW×2、座席22名、立席57名の定員79名。1976年まで使用されました。

 

 ▲ SSB T2型804号

 

 ▲ T2型の台車

T2型の2軸台車を中央で半分に切断したものが展示されています。これは1954年から1957年製のシュツットガルトの2軸車の吊りかけ式台車の最終形態だそうです。

T2型804号が連結している同型の2軸付随車、1511号は1957年の製造。“小型船”の名前がつけられ、1954年から1957年に登場したBo型。片側の正面にだけヘッドライトとテールライトが上下に並ぶのは、入庫時等に使用する簡易運転台が設けられているからでしょうか。

 

 ▲ 片面にヘッドライトのあるSSB Bo型1511号

 

 ▲ SSB Bo型の車内

 

 ▲ SSB Bo型1511号

また、ヘッドライトのある側だけ1つの戸袋を共用するドアが2つになっています。この車両のドアは、製造時からエアー駆動の自動ドアだったので、登場後すぐにワンマン化改造を受け、後に登場するGT4型連接車に連結して牽引されたのだとか。ヘッドドライと簡易運転台はこの時の改造かもしれません。1983年まで使用されました。

以上、ここまでに登場した電動車は両運転台、付随車も含めドアは左右両側にあります。


 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

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