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ドイツで忘れてはならない歴史の生き証人となった有蓋貨車がいます。ナチスドイツがユダヤ人を強制収容所に送り込んだ貨車です。内部は、側面に小さな窓が開けられた以外は、座席もトイレもありません。戦争博物館ではない技術博物館にも、この貨車を展示するドイツ人の歴史観を見習う必要がありますね。

▲ ナチスドイツがユダヤ人を強制収容所に運んだ有蓋貨車 ▼

軌間600mmの砕石輸送のダンプ貨車を牽引する軽便鉄道の“Riesa”B型蒸気機関車。1949年カッセルにあるヘンシェル社製造。

▲ ナローゲージの蒸気機関車とダンプ貨車

真ん中と左右に3基のパンタグラフを2組ずつ持つ、軌間900mmの背の低い黄色の電気機関車は、1950年製の露天掘り鉱山用。パンタグラフは、どう使い分けるのでしょうか。大きくて丈夫そうな朝顔型連結器を装備しています。

 

 ▲ 露天掘りの電気機関車

1954年製の客車。あとでドイツ語を翻訳したら半室食堂車になっていました。車内の写真は、座席の方しか撮ってこなかった。かつての日本の155系修学旅行電車のように、網棚が座席の上に設けられています。コンパートメントと同じ考え方からでしょう。台車は、かつては日本の私鉄電車でもよく見かけた、ミンデンドイツタイプ。

 

 ▲ 半室食堂車

 

 ▲ ボックスシートの客室

 

 ▲ 台車はミンデンドイツ型

運行コストの低減を目指して、1954年ニュルンベルクのマン社で製造したレールバスVT95型。DB西ドイツ国鉄では、付随車も含めると1000両以上製造されたとか。これをモデルに、日本の国鉄もキハ01を造っていますね。

 

 ▲ VT95型レールバス

DB西ドイツ国鉄の急行用液体式ディーゼル機関車V200型、018号機は1957年の製造。BBの軸配置、マイバッハのエンジン、内側台車枠の台車とくれば日本の国鉄DD54です。V200型はエンジンを2基搭載しており、大出力の1基に変更した後継機種のV160型(型式変更後V216型)がDD54のもとになったのだとか。ドイツでは大量生産され、後継機種の218型は今でも活躍しているのに、何故日本のDD54は失敗したのでしょう。

 

 ▲ 西ドイツの本線用ディーゼル機関車V200型

その隣のV180型0075号は1965年の製造。“カール・マルクス”の名を持つ、V200型のDR東ドイツ国鉄バージョンです。V200型とV180型の前に置かれた、クレーに塗ったレールを組み合わせたものは、ベルリンの壁のバリケードだとか。

 

 ▲ 東ドイツの本線用ディーゼル機関車V180型

青と白のストライブの202 003-0号は、車体側面の文字のように西ドイツのカッセルにあるヘンシェル社とマンハイムのBBC社が1971に開発した、交流誘導電動機を搭載した軸配置BBの電気式ディーゼル機関車の試作機で、型式はDE2500型とされています。1980年代になり、車体の片面を流線型にするとともに出力アップや駆動方式の改造を行って、高速試験車としてデータ収集にあたり、後のICEにつながったのだとか。

 

 ▲ 試作の交流モーターを使用した電気式ディーゼル機関車E2500型

 

 ▲ 高速試験車になったとき流線型に改造した前面

 その他ベルリンSバーンの車体だけ、台車のないダルマさんが線路上に置かれ、標準機の貨車の上に乗った狭軌のD型蒸気機関車もあります。

 

 ▲ ベルリンSバーンの車体だけ

 

▲ 貨車に乗ったナローゲージのD型蒸気機関車

ガラスケースに入った模型の展示もあります。珍しいものでは、流線型のタンク機関車や同じく流線型のディーゼルカーから、飛行機のようなプロペラを持つ車両シーネンツェッペリン(寸詰まりのおもちゃ?)まで。

 

▲ 各種模型 ▼

 

 

 また、近年の代表的な車両の模型が並ぶとともに、アンハルター駅やドイツ技術博物館になった扇形庫、操車場周辺のジオラマもつくられています。

 

 ▲ 各種模型 ▼

 

▲ かつてのアンハルター駅やドイツ技術博物館になった扇形庫のジオラマ

鉄道コーナーの見学を終えて、扇形庫から新館に戻ります。

船舶のコーナーを写真でご覧下さい。

 

 

 

 

 

飛行機もあります。

 

 

 

コンピューターというよりは、電子計算機も。

 

 

その他、通信機器や紡績機械などの展示がありました。あっ、カメラのコーナーがあったはずなのに見落とした。

ドイツ技術博物館の公式ホームページは、こちらからどうぞ


 

 

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