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チェックポイントチャーリーから旧東ベルリンのフリードリッヒ通りを北へ行くと、ベルリンでもっとも美しい広場といわれているジャンダルメンマルクト広場があります。中央には、コンサートホールになっているギリシャ風の劇場、19世紀初めに建てられたコンツェルト・ハウス。その南北に2つのよく似た教会が建ち、南はドイツ教会、北はフランス教会と呼ばれ、いずれも18世紀の建築だとか。
ジャンダルメンマルクト広場のドイツ教会 | 中央に建つコンツェルト・ハウス |
コンツェルト・ハウスの上に乗る彫像 | フランス教会 |
さらに北に向かうと、ブランデンブルク門から東に延びる大通り、ウンター・デン・リンデンと交差します。その名のとおり、街路樹は菩提樹。東に曲がると通りにフリードリッヒ大王の騎馬像が立っています。
そのすぐ近く、ウンター・デン・リンデンをはさんで南北に名門校フンボルト大学があり、北側のキャンパスには18世紀半ばの宮殿を転用した本館が、その前には左右にブンボルト兄弟の像が立っています。
大通りウンター・デン・リンデンとフリードリッヒ大王騎馬像 | ウンター・デン・リンデンに面したフンボルト大学と兄弟の像 |
旧王立図書館のフンボルト大学学舎 | 空っぽの本棚だけが置かれている地下を覗く人々 |
南側のヘーベル広場に面して建つのは旧王立図書館、現在はフンボルト大学法学部。その広場の一角に1m角ほどのガラスで蓋をした四角い穴があり、皆さん中を覗いています。地下室には空っぽの本棚があるだけ。ここは1933年に、ナチスに嫌われた作家の書籍25,000冊が焼かれる焚書事件の現場で、このことを後世に伝えるため、穴を掘って25,000冊が収容できる本棚を設置してあるのだとか。
フンボルト大学の東隣に建つギリシャ風の建物はノイエ・ヴァッヘ。19世紀初めに建て替えられた時は衛兵所で、ナチスの時代には第一次大戦で犠牲になった兵士の追悼記念碑に、東ドイツ時代は“ファシズムと軍国主義の犠牲者のための警鐘碑”にと、その時々の権力者に利用されてきた過去があります。
イエ・ヴァッヘ | 中央にピエタ像が一つだけ |
現在は、内部の広い空間の真ん中に、背中を丸めて亡くなった息子を抱く母の像、ピエタがポツンと一つ置かれているだけ。“戦争と暴力の犠牲者全てに捧げる記念碑”として、その訴えるものが訪問者の心に直接響きます。
ウンター・デン・リンデンを東へ、シュプレー川に架かる橋シュロス・ブリュッケを渡ると川の中州の博物館島。ネオ・バロック様式、ドームの高さが114mのプロテスタントの巨大な教会は、20世紀初頭に完成したベルリン大聖堂。ドイツ皇帝の菩提寺で、歴代王家の棺が安置されています。
ベルリン大聖堂 | |
列柱が並ぶ旧博物館 | ギリシャ神殿のような旧ナショナルギャラリー |
博物館等の名のとおり、中州には旧博物館、新博物館、ベルガモン博物館をはじめとするヨーロッパを代表する博物館が建ち並んでいます。今回は時間がとれずに一個所も訪問できませんでしたが、近くで進む第二次大戦で破壊された王宮の復元工事が完成した頃にでも、ベルリンを再訪したものです。
ベルリン大聖堂とシュプレー川の遊覧船 | 東ドイツの信号機のキャラクター アンペルマンのショップ |
店にはいろんなグッズが並ぶ | 女の子もいる |
遊覧船がくぐる、シュプレー川本流の橋を渡って東ベルリンの中心へ。東ドイツの信号機のキャラクター、アンペルマンのショップがあります。あれ、ツインテールの女の子バージョンもあるんだ。
ここまで来て、やっとベルリンのトラムに出会います。かつてはベルリンの市内を網の目のように走っていたシュトラッセ・バーン(トラム)も、東西分断時代のモータリゼーションで西ベルリンでは全廃され、東ベルリンにだけ残っていました。今では旧西ベルリンの一部にも路線が延長され、復活しているのだとか。
トラムは地下鉄Uバーンと同じ黄色い車体。向こうからやってきたのは、旧共産圏の標準型、チェコスロバキア製のタトラカー。1980年代後半の製造、旧共産圏最後の作品でしょう。角張った車体の2車体連接車で、台車は各車体に1つずつ、KT4型の東ドイツ向けKT4D。2編成併結の重連が、東ベルリンのシンボルテレビ塔と聖マリエン教会、赤の市庁舎を見渡す交差点を曲がっていきます。
旧共産圏の標準型トラム タトラカーKT4D | |
ブレーメン型の低床車 |
反対方向からやってきたのは、統一後に導入されたアドトランツ(現在はボンバルディア)のブレーメン型。3車体連接で、各車体に台車が1つずつの低床車。これも、2編成併結の重連です。
一番多く見かけたのが、最新型の5車体または7車体連接の低床車。2、4、(7車体は6)両目の車体には台車のない、ボンバルディアのフレキシティー。片運転台で片側ドアと、両運転台で両側ドアのバージョンがあるようです。
100番の二階建てバスとトラム | ボンバルディアのフレキシティー |
1969年に東ドイツの力を誇示するため、高さ368m、西ベルリンからもよく見えるように建てられたテレビ塔。203mの丸い部分に展望台があり、その上は床が回転するレストランだとか。半世紀近くが経過して、今ではちょっとレトロな雰囲気を醸し出しています。
その足元、噴水のある広場の北側に立つ聖マリエン教会は13世紀末の完成で、ベルリンで2番目に古い教会。今の建物は、14世紀後半の火災による再建だとか。簡素な内部ですが、椅子に腰を下ろせるのは歩き疲れた身体にはありがたい。
東ベルリンのシンボル テレビ塔 | 聖マリエン教会 |
聖マリエン教会の内部 | |
祭壇 | パイプオルガン |
噴水をはさんで広場の南側に建つ、赤の市庁舎。この場所は、既に13世紀からこの場所にベルリンの市庁舎があったそうで、赤いレンガで高さ74mの時計塔を持つ今の市庁舎に建て替えられたのは、19世紀のプロイセン時代。東西分裂時は東ベルリン市庁舎、そして今は統一ベルリンの市庁舎です。表に面した通りが工事の囲いで、正面の写真が撮れずに残念。
赤のベルリン市庁舎 | |
旧市街とニコライ教会 |
市庁舎の西側、シュプレー川に沿った一角がベルリン発祥の地の一つであるニコライ地区。戦争の被害が比較的少なく、東ドイツ時代末期に再整備されて、ベルリン唯一の旧市街の佇まいの残るところ。
その中で、2本の尖塔がそびえるニコライ教会は、13世紀初めに建てられたベルリン最古の教会。今の建物は、15世紀後半に建て替えられた後期ゴシック様式で、戦災の修復後はベルリンの歴史を展示する博物館となっています。
ニコライ地区から歩いて、テレビ塔の東側にあるアレクサンダー広場に来ました。トラムが広場の真ん中を突っ切り、すぐ横のドーム屋根に囲われた高架のDBアレクサンダー・プラッツ駅を、ICEが通過していきます。地下にはUバーンの駅があり、乗り換え客でいつも賑わっています。
アレクサンダープラッツ駅をICE1が通過 | 駅前はトラムのターミナル |
両運転台の5車体連接車 | 昼食にカレービュルスト |
駅の構内で見つけたベルリン名物、カリーブルストの店。行列ができて良く繁盛しています。焼いたソーセージにケチャップをかけ、カレー粉をまぶした簡単な一品で昼食に。トラムの見えるオープンテラスでいただきます。また、これが結構はまる味。