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地下鉄Uバーンとバスでベルリン観光へ

ドイツ4日目はベルリン市内観光に出かけます。この日はジャーマンレイルパスはお休みにして、ベルリンのSバーン、Uバーン、シュトラッセバーン(トラム)、バスに共通の1日券で巡ることに。最寄りの地下鉄駅で券売機にチャレンジ。まずは言語選択。さすがベルリン、ポーランド語やトルコ語がありますが、日本語は無し。どうにか解るのは英語だけ。

券売機 最初に言語を選択 切符の種類を選択
お金を投入 ホーム入り口の刻印機を通すのを忘れた

切符は通用する市内の範囲でA、B、Cとゾーンが別れています。一番広く、隣町のポツダムまで使えるCを選択。デビットカードは有効でも、一般的なクレジットカードは使えないようなので、現金で購入。電車が来たので駆け込み乗車。しまった、急いでいて切符をホームの刻印機に通すのを忘れた。これで検札にあったら即罰金。

 

スィーゲスゾイレとドイツ連邦議会議事堂

ツォー駅で名所巡りの路線バスに乗り換え。100番と200番がありますが、やってきたのは100番の二階建てバス。あらためて、乗車時に運転士横の刻印機に1日券を通します。二階の前列に陣取りツォー駅から東へ、ヴィルヘルム皇帝記念教会や柱上で黄金の天使像が輝くスィーゲスゾイレを高い位置の車窓から眺めます。

昔の名古屋の地下鉄を思わせるツォー駅のUバーン 二階建て100番のバス
ヴィルヘルム皇帝記念教会 バスの窓越しにスィーゲスゾイレ

ロータリーの中心に金色に輝く天使が立つスィーゲスゾイレは、19世紀後半のデンマーク、オーストリア、フランスとの3つの戦いの勝利を記念して建てられた、高さ69mの塔。

バスがロータリーを曲がると、正面にブランデンブルク門の後ろ側が見えてきます。左奥には東ベルリンの象徴、テレビ塔も。クルマはブランデンブルク門をくぐれないので、バスは手前で左折してすぐまた右折。前方にドイツ連邦議会議事堂が見えてきたところで下車。

ロータリーの中心に立つスィーゲスゾイレ バスの正面の窓越しにブランデンブルク門が見えてきた
ドイツ連邦議会議事堂

第二次世界大戦で、先にベルリンを占領したソ連が主要部を押さえてしまったので、中心部の主な施設はほとんどが旧東ベルリン側に所属していました。19世紀末に完成した帝国議会議事堂だけは、ベルリンの壁のすぐ西側。でも、西ドイツの首都はボンだったため、ここがドイツ連邦議会議事堂として整備されたのは、東西統一後の1999年。焼け落ちて無くなっていた中央部の円蓋屋根は、ガラス製で再建されています。

 

ブランデンブルク門

ドイツ連邦議会議事堂からベルリンの象徴、ブランデンブルク門までは200mほど。こちらは旧東ベルリンだったので、その間に西ベルリンの周囲155kmを取り囲んでいたベルリンの壁がありました。既に、撤去した上に建物が建ってしまっている場所もありますが、道路にはかつての壁の位置を示す石が埋め込まれ、延々と続いています。

ベルリンに来て初めて知ったのですが、ベルリンの壁は1枚ではなく、西ベルリン側に高い壁があり、間に幅50〜100m程の無人の緩衝地帯をはさんで東側にもう1枚、低い壁がありました。道路に埋められた石は、西側の壁の位置を示しているようです。

道路に埋め込まれたベルリンの壁の位置を示す石 ブランデンブルク門の裏側 写真の中央を左右に横切る壁あとの石
西側からブランデンブルク門越しに見るテレビ塔 ブランデンブルク門から西を見るとスィーゲスゾイレ

裏側から覗く門の向こう側に、東ベルリンのランドマーク、テレビ塔が見えます。後ろを振り返ると、先ほどバスで通った金色に輝く天使像のスィーゲスゾイレ。

横断歩道を渡ると、そこは旧東ベルリン。ブランデンブルク門をくぐって正面の側へ。この門は、かつては要塞に囲まれた城郭都市であったベルリンに、内と外をつなぐ18の門が存在した中で唯一現存する門。18世紀末に建て替えられたのが現在の姿で、門の上で4頭立ての馬車に乗る勝利の女神ヴィクトリアの彫像は、ナポレオン戦争でフランスに持ち去られたものを取り返したことは有名。

ブランデンブルク門の東側から見た表側 4頭立ての馬車に乗る勝利の女神ヴィクトリア

東西分断時代は、西ベルリン側からは壁越しに門の裏が見えるだけ、東ベルリン側も門に近づくことは許されなかった場所で、今では統一ドイツ・ベルリンのシンボルになり観光客で賑わっています。

 

ホロコースト記念碑からポツダム広場へ

ブランデンブルク門の裏、壁のあとを示す埋め込まれた石が続くエーベルト通りを南へ、すぐのところに直方体の石が並ぶ広場が出現します。ここは“虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑”。一般にはホロコースト記念碑と呼ばれ、約2haの敷地に縦横は同じで高さの異なる2711基の石が並べられ、その寸法や個数には特段の意味合いはないのだとか。

2760万€(約38億円)の国費をかけて戦後60年の2005年に完成し、私は立ち寄らなかったものの、強制収容所で亡くなった人の身元などを展示する情報センターも設けられているとか。過去に対するドイツの取り組みを示す一例でしょう。

2711基の直方体の石が並ぶ虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑

エーベルト通りをさらに南へ、ブランデンブルク門から500mほど、ソニーセンターやドイツ鉄道のバーンタワーをはじめとする新しいビルが建ち並び、地下にSバーンやUバーンが発着するポツダム広場。その昔はポツダムとベルリンをむすぶ街道のポツダム門があり、戦前はベルリンの交通の要所。壁で東西に分断され荒れ果てていた場所を、統一後に再開発したのが今の姿。

広場の真ん中に、壁のあとを示す石が埋め込まれ、その上にL字型のコンクリートと写真のパネルを交互に並べています。これは、本物の西ベルリン側の壁。L字型の足の長い方が東、すなわち緩衝地帯から東ベルリンの方を向いています。

ポツダム広場 左はDBの本社ビル 中央はドイツ最初の信号機 もとあった場所に並べられたベルリンの壁の一部
観光客の記念写真の場所 壁のあった当時と今を対比する写真のパネル

壁は、観光客の記念写真のスポットにもなっています。写真のパネルで、トラムが走り賑やかだった昔や、壁のあった殺風景な時代と今を対比すると、ポツダム広場の変遷がよくわかります。広場の真ん中に立つ時計のついた塔は、ドイツ最初の信号機のレプリカだとか。

 

テロのトポログラフィー

南北に連なり、ベルリンを東と西に分断していた壁は、ポツダム広場の先で東に向きを変えます。この先は、壁の北が東ベルリン、南が西ベルリンでちょっと解りづらい。ポツダム広場から壁のあとをたどって少し東に向かうと、西ベルリン側の壁が数百mにわたって残っているところがあり、東ベルリン側の低い壁は撤去され、間の緩衝地帯は道路に姿を変えています。

ここは、テロのトポログラフィーと呼ばれ、この壁の残る場所の南側に第二次大戦の終結まであったのが、ナチスの秘密警察ゲシュタポに親衛隊と国家保安本部。当時の建物は爆撃で破壊されて残っていませんが、ナチスの恐怖政治の展示館が設けられ、壁の下には拷問に使った地下牢も残りっています。というか、偶然この場所にあとから壁がつくられたのですが。

西側の壁 この道路は緩衝地帯だった ナチスの秘密警察ゲシュタポのあった場所 壁の下に地下牢
西側の壁の断面(左が西、右が東ベルリン) トラバントが高いところに乗っていた

壁の先の交差点に東ドイツの国民車、車体が紙でできているともいわれた本物のトラバントを円柱の上に乗せた看板が。ここはトラビ・ワールド。トラバントに乗ってベルリン市内を観光するツアーを開催しているとかで、歩道の上や前の車道に何台ものトラバントが駐車しています。見た目は可愛いけど、それなりの乗り心地。2サイクルのエンジンで、大気汚染物質をまき散らしながら走るのでしょう。

トラバントに乗ってベルリン市内を観光するツアーを開催しているトラビワールド

 

チェックポイント・チャーリーと壁博物館

トラビ・ワールドから壁のあとに沿って東へ、次の交差点では道の真ん中に大きな米兵の写真が掲げられています。ここは、チェックポイント・チャーリーと呼ばれ、1945年から1989年まで北側の東ベルリンと南側の西ベルリンの間に設けられていた国境検問所。

今では、観光客が星条旗を手に米兵に扮した若者と一緒に写真を撮る観光スポット。もちろん、有料だそうです。米兵の写真の裏はソ連兵だったそうで、しまった裏を見てくるのを忘れた。

東西国境検問所だったチェックポイント・チャーリー 米兵に扮した若者と記念写真
壁博物館 東側の壁の隙間から緩衝地帯の向こうの西側を覗く東の子供

チェックポイントチャーリーの交差点の向かいに立つのが壁博物館。西ベルリン側に壁ぎわに東西分断時代からあるのだとか。周辺の歩道の囲いには、壁があったときの大きな写真が。東側の壁の隙間から、緩衝地帯の向こうの西ベルリンを覗く東の子供達の目に、何が映っていたのでしょうか。東側から写した壁の手前に建つブランデンブルク門の写真では、一般市民は門に近づくことができず、遠くから眺めるだけだったことが解ります。

壁博物館の近くにあった東西分断時代の東側から見たブランデンブルク門の写真と現在の姿
彼女たちがタブレットでとっている足元に埋め込まれた“ベルリンの壁1961-1989”のプレート

女の子がタブレットで撮っていた足元には、壁のあった位置を示す石の間に“ベルリンの壁1961-1989”の金属プレートが受け込まれています。


 

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