HOME 1/5page 2/5page 3/5page 4/5page 5/5page

まずは蒸気機関車から。展示館中央の一番目立つところにいるのは2両の解放1型蒸気機関車。解放1型は日本が南満州鉄道や満州国国鉄等に導入したミカイ型です。軸配置はD51と同じ1D1のミカド型、中国語では天皇型です。ミカドの1番目の型式ということで満鉄ではミカイ型となりました。

 

 ▲ 解放1型304号機 毛沢東号 1941年 日本製

304号機は、戦後、南満州鉄道から中国に引き継がれ、「1946年10月に哈爾浜機関区で“毛沢東号”と命名され、1977年1月に北京鉄路局豊台機関区で退役するまで活躍しました」と説明にはあります。

毛沢東が天安門の壇上に立ち中華人民共和国の建国を宣言したのは1949年10月1日です。それまでは中華民国のはずですが、日中戦争後の国共内戦が1946年6月に勃発しており、ソ連の支援を受けた八路軍(共産党軍)の支配下にあった東北地方(旧満州)の哈爾浜で“毛沢東号”が誕生、その時代背景は何となく納得できます。

 

▲ 解放1型1191号機 朱徳号 1942年 日本製 

もう一両の解放1型1191号機は朱徳号。満州国国鉄からの引き継ぎ機で、1946年10月に哈爾浜機関区で“朱徳号”と命名され、1977年12月まで哈爾浜で活躍したそうです。

この2機を比べると、装飾やデフの有無でずいぶん感じが異なりますね。ヘッドライトは、通常は煙室扉の中央にあるアメロコタイプですが、この2機は装飾のため下や上に移動しています。毛沢東号は警笛のタイフォンが目立ちますが、中国になってから取り付けたのでしょうね。

▲ 肖像を取り付けた朱徳号と毛沢東号のキャブ

それぞれのキャブにも、毛沢東と朱徳のレリーフがあります。ちなみに、朱徳は中国人民解放軍の建軍の父といわれる軍人で、副主席にもなっています。

▲ 毛沢東号と朱徳号の説明

 

 ▲ 朱徳号と毛沢東号のテンダ

解放1型蒸気機関車の2101号から2500号までは、戦後に中国で製造した車両に割り振られたナンバーです。2101号機はそのトップナンバーで1950年の鉄道部四方機関車工場製。国慶号と名付けられています。

 

 ▲ 解放1型2101号機 国慶号 1950年 中国製

解放1型2121号機は、1952年の中国製。455両の仲間とともに幹線の貨物列車の牽引に活躍し、1986年に北京鉄路局の長家口機関区で退役しています。

 

 ▲ 解放1型2121号機 1952年 中国製

解放1型4101号機は、1958年の中国製。解放型のラストナンバーのようです。機関車工場ではなく、太原機関区で組み立てた蒸気機関車とのことです。何故か動輪がスポークです。この時代はボックススポークが一般的だと思いますが、古い図面で作ったのでしょうか。

 

 ▲ 解放1型4101号機 1958年 中国製

解放6型3022号機は、1933年の日本製。3001〜3745は満州国鉄のミカロ(軸配置が1D1のミカドの6番目)型で、客荷両用となっています。

 

 ▲ 解放6型3022号機 1933年 日本製

解放9型3673号機は、1940年日本製の満鉄ミカサ(軸配置が1D1のミカドの3番目)型。ヘッドライトが2つ目になっています。1990年まで貨物列車を牽引してきました。キャブの側面に赤い“毛沢東号”のエンブレムを付けています。

 

 ▲ 解放9型3673号機 1940年 日本製

解放11型3773号機と3787号機は、いずれも1937年の米国製。上海の南、杭州のある浙江省と隣の江西省を結ぶ鉄道に導入されたようです。貨物列車の牽引に活躍してきました。

▲ 解放11型3773号機 1937年 米国製

▲ 解放11型3787号機 1937年 米国製

勝利3型152号機は、1939年の日本製。軸配置は2C1のパシフィックで、中国語では太平洋型となっています。製造年からみると、満鉄の系列会社華北交通のパシサ(パシフィックの3番目)型でしょうか。旅客列車用の機関車です。何故かこの機関車だけ緑色。

▲ 勝利3型152号機 1939年 日本製

▲ 勝利3型152号機のキャブ

勝利12型890号機は、1942年の日本製。満鉄にはパシフィックの12は無いので、もとはパシシ型かパシコ型のようです。華北や東北地方で活躍した後、上海−杭州−寧波間の旅客列車を牽引していたそうです。

 

 ▲ 勝利12型890号機 1942年 日本製

勝利型601号機は、1956年の中国青島の四方機関車工場製。3年間で151両が製造され、中国全土で旅客列車の牽引にあたった中国製勝利型のトップナンバーです。最終番号は751号となるべきところ、751号からはすでにアジア号を牽引した流線型のパシナが使っていたため、771号になったのだとか。デフを除けば日本製のコピーですが、動輪がスポークからボックススポークに変わっており、日本の国鉄のC55とC57の関係のようにも見えます。

 

▲ 勝利型601号機 1956年 中国製 

人民型1001号機は、1958年の四方機関車工場製。勝利型の改良機で258両製造された、中国を代表する旅客用蒸気機関車のトップナンバーです。

 

▲ 人民型1001号機 1958年 中国製 

茶色の大きな機関車FD型1979号機は、1931年の旧ソ連製。軸配置は1-E-1のサンタフェです。ソ連の鉄道の電化やディーゼル化で余剰となったものを、広軌から標準軌に改軌して1958年から1961年に1000両程度輸入した大型貨物用機関車です。中ソ関係が良かった輸入当時は“友好型”と呼ばれていたものが関係が悪化すると“反修型”(反修正主義?)となり、その後FD型になったのだとか。

 

 ▲ FD型1979号機 1931年 旧ソ連製

中国で一番有名な蒸気機関車といえば前進型でしょう。0001号機は、1956年から蒸気機関車の製造が終了する1988年まで、4714両製造された前進型のトップナンバーです。旧ソ連のFD型をもとに設計しているようで、煙突まわりの造作を除けばそっくりですね。

横の中国語の看板が無くなっており、テンダに貼った英語は前進型の簡単な説明だけで、001号機のことはこれ以上はわかりません。

 

 ▲ 前進型0001号機 1956年 中国製

前進型0004号機は、1958年に大連機関車工場で製造された、中国で最初の6軸の炭水車を持つ幹線の貨物用機関車です。以後は大同機関車工場で製造されました。

 

 ▲ 前進型0004号機 1958年 中国製

前進型101号機は、1964年に大同機関車工場で製造され、大幅な技術革新を行った機関車です。前進型に改名するまでは和平型と呼ばれていたので、この機関車は新和平型だったそうです。その後、文化大革命の時代には反帝型となり、文革後に前進型に落ち着いたのだとか。名前が時代に翻弄されていますね。

 

▲ 前進型101号機 1964年 中国製 


次へ戻る

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

inserted by FC2 system