湧網線

湧網線の列車

湧網線の想い出

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キハ22型の
普通列車
湧網線 '85.7

キハ56系

湧網線 '85.7

   

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国鉄湧網線は、名寄本線の中湧別からサロマ湖、能取湖に沿って石北本線と釧網本線の接続駅網走までを結んでいた路線です。1970年代には旅客列車はDC化され、キハ22が運行され、貨物列車は9600型蒸気機関車が牽引していました。

初めて湧網線に乗ろうとしたのは、1970年の3月のことです。豪雪に見舞われて一晩立ち往生し、15時間遅れで網走にたどり着いた釧網本線の普通列車から乗り換えようとした湧網線の列車は、豪雪時には気動車1両編成の列車の運行が困難とのことで計画的な間引き運転が実施されており、運休になっていました。

それから4年後の夏、サロマ湖を目指して上野を特急“みちのく”でたち、青森から青函連絡船の夜行便、翌朝の函館から急行“ニセコ1号”(かの有名なC62牽引ではなく朝の函館発は気動車です)で札幌へ。さらに乗り継いだ札幌始発の多層建ての急行は“なよろ”、“大雪”、“オホーツク”だったでしょうか、その中間に1両だけの名寄本線興部行きだけが普通列車用のキハ22で、ちょっと損をした気分でした。

中湧別で湧網線に乗り換え佐呂間に着いたとき、東京を出てから2日目の夕刻になっていました。サロマ湖からの帰りは、浜佐呂間から湧網線に乗って網走に出ています。

次にサロマ湖を訪れたのは、それから11年後の1985年の夏のことです。網走からオホーツク海沿いに稚内まで、国鉄を使っていたのでは1日で到着することは困難ですが、交通公社のエースバス(網走バスのチャーター便)が夏休み期間だけ隔日で、網走−稚内間を運行していました。朝、網走を出発してから何ヶ所かの名所で休憩を取り、夕刻に稚内に着くダイヤです。

網走を出たバスは、湧網線と並行する国道を走ります。ここにある写真は、バスの車窓からスナップした併走する湧網線のキハ22と、踏切で待っているときにやってきたキハ56系の2連です。

国鉄の分割民営化を目前にひかえた1987年3月20日で湧網線は廃線になり、佐呂間と浜佐呂間の間が永久に未乗のまま残ってしまいました。

網走から常呂に向かう国道に沿って、湧網線の跡地を利用した立派なサイクリングロードができています。サイクリングロードが国道をまたぐように立体交差になった部分もあります。鉄道は、こんな急勾配は登れないので、かつては踏切だったところでしょう。

2007/03記

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