山口線

山口線の列車

山口線の想い出

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山口線の普通列車
キハ28、47系
'83.7

C571の牽く
やまぐち号
津和野 '83.7

発車を待つ
やまぐち号
津和野 '83.7

途中駅での
交換待ち
'83.7

       

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山口線は、新幹線も停車する山陽本線の小郡(現在は新山口)と山陰本線の益田を結ぶ路線です。途中には県庁所在地である山口や湯田温泉、島根県にはいると山陰の小京都、津和野などの観光地があります。

でも、山口線の名が全国に知られるようになったのは、SLやまぐち号によるところが大きいでしょう。1975年、室蘭本線にC57135の牽引する国鉄最後の蒸気機関車による旅客列車が運転された後も、西武鉄道山口線では観光シーズンに小さなSLの運転が継続され、大井川鉄道では新たにSL運転を始めました。

国鉄では、本線から蒸気機関車が撤退した後も、京都の梅小路機関区で動態保存が行われていました。当時の高木国鉄総裁の英断により、動態保存機の中からC57 1とC58 1を使用して、1979年から山口線の小郡−津和野間でSLやまぐち号の運転が始まりました。

蒸気機関車現役時代の山口線では、D60やD51が活躍しており、勾配のあるこの路線に急行旅客機であるC57が向いていないことは明らかです。国鉄が蒸気機関車の復活運転を山口線で行うことにしたのは、転車台等の設備が残っていたことや津和野という観光地に加えて、始発の小郡に新幹線が接続しており、しかも宇部空港の便が少なく、やまぐち号に乗るために東京や関西、九州等各方面から観光客が国鉄を利用する立地を選んだといわれました。

やまぐち号に初めて乗車したのは、運転開始から4年後の1983年の夏です。長崎と福岡への出張から東京への帰り道の土曜日に小郡駅に降り立ち、先に観光を済ませるために普通気動車で津和野に向かいました。

レンタサイクルによる津和野めぐりに途中で、津和野盆地に下るやまぐち号を1枚スナップ。津和野から折り返しの上り列車に乗車して、小郡に戻りました。

この頃のやまぐち号の客車は登場時と同じ、青に白帯のオリジナルの12系が5両です。蒸気機関車現役時代にも臨時急行などでこの組み合わせはありましたが、12系は冷房が入って窓も閉め切り、トンネル内でも煙が侵入しないのは快適なものの、大井川鉄道の旧型客車によるSL列車に対して物足りないものを感じたのが、正直なところです。

2007/11記

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