山田線

山田線の列車

山田線の想い出

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キハ52の山田線
盛岡行
茂市 '91.11

山田線と並行
するJRバス
道の駅三田貝 '91.11

大震災前の山田線
キハ100
大槌 '2010.11

大震災前の山田線
キハ100
大槌 '2010.11

       

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山田線は、 新幹線に接続する盛岡から岩手山地を越え、宮古から釜石に向かう路線です。宮古を境に、山岳路線と風光明媚な海岸路線に別れ、始発から終点までを通して乗車する人はほとんどいなかったでしょう。

宮古から茂市まで、山田線に初めて乗ったのは、1970年のことです。小本線(現在の岩泉線)に乗り換えています。盛岡へは、東北均一周遊券で乗車できる、岩泉−盛岡間の国鉄バスに乗車しています。

1970年当時の山田線の盛岡−宮古間を直通する列車は、急行3往復を含め下りが1日に9本、上りが8本あり、両都市間を結ぶ役割を担っていました。

東北新幹線が開通後、何度か宮古を訪れていますが、山田線には適当な列車が無く、新幹線から乗り継ぐのは、いつも1時間間隔で運行している岩手県北バスの106急行になってしまいました。

1991年に、'70年と同じコースで宮古から茂市、岩泉経由で、JRバス東北になった路線に乗車しています。この時のJRバスの正面には、桐と動輪が付き、まだまだ国鉄バスそのものでした。

未乗区間の盛岡−茂市を制覇したいと思っていたところ、2010年の秋に、40年ぶりにチャンスが訪れました。夕刻の宮古行きはキハ110の単行。ワンマン設備のある車両に車掌さんが乗務しています。盛岡発車時点では通勤通学客が乗っていたものの、すぐに下車してしまい、あとはわずかな乗客をの出て暗闇の中を走ります。

帰りは、陸中山田から釜石、新花巻のルートにしました。キハ110の後部の窓から、大槌で交換した列車をスナップしています。その日から4ヶ月足らずの後に、東日本大震災により大槌駅をはじめとする山田線の海外沿いの部分が消滅するとは。

山田線や気仙沼線など余りに被害が大きく、BRT(Bus Rapid Transit)による復旧案も出ています。2010年の写真ですが、想い出の車窓になってしまった山田線を記録にとどめたいと思います。

2012/3記

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