上田交通 |
1986年秋の1500Vに昇圧により、上田交通の名物だった丸窓電車が引退することになりました。丸窓電車とは、最近の都電や嵐電のレトロ調の車両にもみられるような、戸袋窓が楕円形の電車です。大正末期に に生まれ名鉄美濃町線、後に岐阜市内線と揖斐・谷汲線の直通急行として活躍した510型が有名ですが、北陸地方の私鉄をはじめ、昭和初期の地方鉄道の電車にみられました。
国鉄信越本線の上田と別所温泉を結ぶ上田交通別所線には、生え抜きの丸窓電車5251型3両が活躍していました。もとは、丸子鉄道と上田電鉄が合併した会社で、上田丸子電鉄の名のもと上田市を中心に3方向の路線がありましたが、 現在では、上田駅から別所温泉に至る路線のみが残り、再び上田電鉄の名前に戻っています。
昇圧を目前に控えた1986年の夏休みの1日、青春18切符で上野から普通電車を乗り継ぎ、碓氷峠を超えて上田駅に降り立ちました。狭い跨線橋を渡り、駅裏の上田交通のホーム へ階段を下りると5251号が出迎えてくれました。1928年製の上田交通生え抜きの車両で、戸袋の楕円窓、お椀型ベンチレーターなど、昭和初期の日本車輌の地方鉄道向け電車の特徴をよく残しています。
上田駅の留置線には、丸窓電車と同じ世代の5271号がいます。長野電鉄が信州中野−湯田中間の開通時に導入した車両で、こちらは屋根の深い川崎造船タイプです。
横に並んだ正面2枚窓の車両は、もと相模鉄道の気動車を改造して電車の制御車(クハ)としたクハ252です。このほかにも制御車としては、東急5000型アオガエルの中間車に運転台を取り付けたクハ291型があり、正面が切り妻のため平面ガエルとよばれ、旧型の電動車(モハ)とのアンバランスな編成となっており、バラティーにとんだ車両とともに、電車好きにとって上田交通は魅力的な私鉄の一つでした。
小諸まで戻って、小海線経由で東京に戻る時間の関係で別所温泉まで行けず、途中駅で折り返しています。交換駅が下之郷だったとすれば、大学前まで乗車したのかもしれません。当時、車庫は上田原にあり、丸窓電車の車内からスナップしているので、何故ここで下車して車庫を訪問をしなかったのかわかりません。
1986年秋の1500Vに昇圧時に、車両は東急のアオガエル、5000型と5200型に総入れ替えとなり、旧型車は全て引退しました。東急5000型の中間車に運転台を取り付けたクハ291型は、正面が切り妻のため、平面ガエルと呼ばれ、丸窓電車のお供をしていましたが、同じアオガエル5000型に追われ、入線からわずか3年で廃車になっています。
そのアオガエルも、わずか6年後には東急5200型ステンレスカーに取って代わられ、今では上田駅も高架になっているそうですが、長野新幹線の乗車区間は、まだ出張で行った佐久平までです。
2007/12記