鶴見線

鶴見線の車両

鶴見線の想い出

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鶴見線大川支線の
クモハ12
'83.5 武蔵白石

クモハ12の
第一エンド側
'83.5 武蔵白石
クモハ12の
第二エンド側
'83.5 武蔵白石
クモハ12の車内
第一エンド側
'83.5 武蔵白石
       
クモハ12の車内
第二エンド側
'83.5 武蔵白石
工場地帯の大川支線
をいくクモハ12
'83.5 大川付近
工場地帯の大川支線
をいくクモハ12
'83.5 大川付近
大川支線の終点
大川のクモハ12
'83.5 大川
     

 

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京浜東北線の鶴見から海側へ、京浜工業地帯を走る鶴見線は、1930年に私鉄の鶴見臨港鉄道として開通しています。第二次世界大戦中に国鉄に買収されて鶴見線になりました。私鉄当時の車両は、銚子電鉄の項をご覧ください。

鶴見から浜川崎で南武線に接続して扇町に至る線の他に、2本の枝線があります。その一つ、武蔵白石から別れて大川に至る通称大川支線は、分岐の部分が急カーブのため 国鉄標準の20m車が入線できず、リベットゴツゴツの戦前生まれ、チョコレート色が似合うクモハ12が専用車として使われてきました。 東日本に残った最後の17m旧型国電です。

クモハ12は、単行運転や増結用にクモハ11を両運転台化したものです。オリジナルの運転台は全室式で非貫通、後から取り付けた方は引き戸式の貫通扉をそのまま残し、運転台は片隅式で、前後で異なる顔つきをしています。 最期のころは、窓に太い保護棒が2本も取り付けられましたが、この写真の頃はまだ美しいオリジナルスタイルをしています。

車内はペンキで塗りつぶされたとはいえ木製で、床も木製の油引き、3個所のドアの位置にはスタンションポールが立っています(今でも6扉車にはありますね)。照明も旧型国電標準の2列に並んだグローブ付きの白熱灯で、青くてバネの硬いベンチシート。イコライザー式のDT11型台車も貴重な存在で す。

大川支線の写真をとったのは1度だけですが、終点の大川にある会社を訪問するときに何度か利用しています。この写真のころは大川支線専用でしたが、その後一時期経費節減目的か、103系の3連とともにクモハ12が日中の運用で鶴見まで顔を出していたことがあります。

夏のある日、出張で鶴見から大川に向かうときにクモハ12に当たったことがあります。私はラッキーと思ったのですが、いくら昼間の閑散時とはいえ1両では満員で、扇風機がぶんぶん回っても 薄暗い車内は暑く、同行者はうんざりしていました。

鶴見線のクモハ12が引退したのが1996年のことです。分岐線の急カーブを緩和して103系の3連が直通できるようにしたため、武蔵白石駅に大川線のホームが設置できなくなり、分岐駅を隣の安善に移すという手段に出ました。JRに17m級の新型車を期待していたのに、残念。

2004/09記

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