鶴見線 |
京浜東北線の鶴見から海側へ、京浜工業地帯を走る鶴見線は、1930年に私鉄の鶴見臨港鉄道として開通しています。第二次世界大戦中に国鉄に買収されて鶴見線になりました。私鉄当時の車両は、銚子電鉄の項をご覧ください。
鶴見から浜川崎で南武線に接続して扇町に至る線の他に、2本の枝線があります。その一つ、武蔵白石から別れて大川に至る通称大川支線は、分岐の部分が急カーブのため 国鉄標準の20m車が入線できず、リベットゴツゴツの戦前生まれ、チョコレート色が似合うクモハ12が専用車として使われてきました。 東日本に残った最後の17m旧型国電です。
クモハ12は、単行運転や増結用にクモハ11を両運転台化したものです。オリジナルの運転台は全室式で非貫通、後から取り付けた方は引き戸式の貫通扉をそのまま残し、運転台は片隅式で、前後で異なる顔つきをしています。 最期のころは、窓に太い保護棒が2本も取り付けられましたが、この写真の頃はまだ美しいオリジナルスタイルをしています。
車内はペンキで塗りつぶされたとはいえ木製で、床も木製の油引き、3個所のドアの位置にはスタンションポールが立っています(今でも6扉車にはありますね)。照明も旧型国電標準の2列に並んだグローブ付きの白熱灯で、青くてバネの硬いベンチシート。イコライザー式のDT11型台車も貴重な存在で す。
大川支線の写真をとったのは1度だけですが、終点の大川にある会社を訪問するときに何度か利用しています。この写真のころは大川支線専用でしたが、その後一時期経費節減目的か、103系の3連とともにクモハ12が日中の運用で鶴見まで顔を出していたことがあります。
夏のある日、出張で鶴見から大川に向かうときにクモハ12に当たったことがあります。私はラッキーと思ったのですが、いくら昼間の閑散時とはいえ1両では満員で、扇風機がぶんぶん回っても 薄暗い車内は暑く、同行者はうんざりしていました。
鶴見線のクモハ12が引退したのが1996年のことです。分岐線の急カーブを緩和して103系の3連が直通できるようにしたため、武蔵白石駅に大川線のホームが設置できなくなり、分岐駅を隣の安善に移すという手段に出ました。JRに17m級の新型車を期待していたのに、残念。
2004/09記