豊橋鉄道

豊橋鉄道の車両

豊橋鉄道の想い出

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もと名古屋市電
最古参の3700型
'82.8
赤岩口車庫

もと名古屋市電の
3100型
'82.8 井原付近

駅前行きの
3100型
'82.8 井原付近

   

もと名鉄岐阜市内
線の3200型
'82.8 競輪場前

もと金沢鉄道の
3300型
'82.8 駅前

もと名鉄の
1850型
'82.8 新豊橋

   

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1960年代から70年代には、大都市を中心に各地で路面電車が次々と姿を消していきました。1978年になると、京都市電が全廃される一方で都電荒川線が今でいうLRT風にリニューアルされ、1980年には広島電鉄と長崎電気軌道に軽快電車が登場するなど、路面電車を見直 し活性化をはかる動きも活発になってきました。

そして1982年の夏には、わずか一停留所区間とはいえ、豊橋市で路面電車の路線が延長されたのです。私鉄の豊橋鉄道が経営する路面電車も、1960から70年代には一部の不採算路線が撤去され縮小傾向にありましたが、一転して郊外にできた運動公園への乗客輸送のため、本線から分岐する線を新設したのです。

そんな路線に乗ってみたくて、井原−運動公園前間の延長線が開通してから数週間後に国鉄豊橋駅前に降り立つと、クリーム色に赤帯、側面の下部には広告を描いた電車が出迎えてくれました。

豊橋鉄道3100型は、もと名古屋市電の1400型です。戦前の名古屋市電を代表する型式で、全盛期には最大勢力を誇り、かつては名古屋市内のどの路線でもみられ、よく乗った型式です。正面中央の窓が固定式に改造されているものの、懐かしい姿は変わりません。 ここ豊橋でも最大量数の主力型式となっています。

この3100型、乗ってみるとバネが硬いのか、線路の状態が悪いのか、何ともひどい乗り心地でがっかりです。名古屋時代にはこんな印象はないのですが。終点の2つ手前の競輪場前には引き込み線があり、もと名鉄岐阜市内線580型の豊橋鉄道3200型が休んでいます。これも名古屋市電タイプの車両です。

ここから先は単線になり、次の井原で運動公園方面の新設路線が分岐し、車庫のある終点赤岩口に到着します。車庫をのぞいたところ、 今は動態保存状態で大切にされている、昭和初期のもと名古屋市電1200型の3702号が、標準色のままで待機ししていました。

その後ろには、同じくもと名古屋市電900型の豊橋鉄道3800型が隠れています。名古屋時代に、出入り口の折り戸を外吊りの引き戸に改造した珍車です。外から望遠で撮りましたが、許可をもらって車庫の中で写真におさめておけば良かったと今ごろ思ってももう遅いですね。

帰りには、新設されたばかりの運動公園前から3300型に乗りました。もと北陸鉄道金沢市内線の2300型で、フワフワとした感じの乗り心地の良い電車だったと記憶していますが、もと都電7000型の3500型の転入で一足先に廃車になりました。

運動公園前の次の停留所、井原の急カーブを曲がって本線に合流しますが、路面電車では単線から単線が分岐するポイントは珍しいのではないでしょうか。

2005年3月末日で全廃された、名鉄岐阜市内線、美濃町線、揖斐線で使用されていた780型とセミ低床車の800型が転入してきたそうです。構造上800型は、井原の急カーブが曲がれないとか。いずれにせよ、8両が転入したのですから、3100型と3200型の大半が廃車になるのでしょう。それまでに、もう一度名古屋の1400型に乗っておきたいものです。

豊橋鉄道には、新豊橋と渥美半島の三河田原を結ぶ鉄道線もあります。今ではもと東急のステンレス車に統一されているようですが、2世代前の当時は、名鉄を始めとする各社からの中古車体に旧型国電の足回りを組み合わせた電車が主力となっていました。1枚だけ写真がありますが、1850型の車体はもと名鉄3350型です。

2005/06記

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