東京急行電鉄

東京急行電鉄の電車

東京急行電鉄の記念乗車券

東京急行電鉄の想い出

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5000型 7000型
と営団3000型
'73.6 
中目黒

セミステンレス車
5200型
'83.4 
自由が丘
目蒲線の冷房車
7200型
'83.4
田園調布
目蒲線の釣かけ車
3500型
'83.4
大岡山
目蒲線のアオガエル
5000型
'83.4
大岡山
目蒲線の釣かけ車
3000系
'83.4
大岡山
セミステンレス車
5200型
'83.4
大岡山
大井町線
7200型
'83.4 大岡山
大井町線
5000型
'83.4 大岡山
世田谷線
70型
'88.8
下高井戸
世田谷線
80型
'88.8 下高井戸
世田谷線
150型
'88.8 下高井戸
       

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高津駅の高架下に電車とバスの博物館が開館したのが1982年4月3日でした
緑の3000系は田園都市線からは撤退していたものの、まだまだ現役でした

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国電や大手の私鉄にはあまり興味がなかったので、残っている写真はわずかです。東京の電車はあまりにも日常的すぎたことと、1970年代になると国電や大手の私鉄は立派な電車だけになり、趣味的に面白いと感じなかったからでしょう。

そんな中にわずか1枚だけ、1973年の東横線中目黒の写真があります。アオガエルの東急5000型普通桜木町行きが出発していくところです。真ん中の折り返し線には営団の3000型が待機し、右の東横線の上りは東急7000型です。7000型の最も華やかな頃で、東横線の急行と(登場したばかりの20m車8000型は普通運用)地下鉄乗り入れに使われていましたが、ポイントの開き方から見て日比谷線直通電車のようです。

日常そのものでしたが、それから30年近くを経ると、アオガエルの引退は当然としても、営団3000型や東急7000型のステンレス車までが地方に転出して、東急線では見られなくななってしまいました。今にして思えば、日比谷線トリオのもう1車種であるウオームグレーに窓まわりがオレンジの、東武の2000型(これが一番乗り心地が良かった)が写っていないことが残念です。

それから10年後、アオガエルは3連に組み替えられて東横線から目蒲線に移り、新玉川線の開通により田園都市線から昔の名前に戻った大井町線では5両編成で活躍していました。唯一の異端車、ステンレス車体の先駆者である5200型も一緒に。

目蒲線や池上線の主力はまだまだ3000系で、車体は更新を受けて綺麗にはなったものの、相変わらず釣かけ音を響かせていました。そんな中、7200型の冷房車は目蒲線の中でピカイチの存在で、夏にこの車両のあたれば超ラッキーでした。地下で立体交差による方向別のホームになる前に大岡山駅は、のんびりしたものです。

1980年代の中頃から福島、上田、長野、松本など、各地の中小私鉄に転出し、車両の近代化に貢献したアオガエルも、今では定期運用は熊本電鉄だけになってしまいました。旧型車を追いだしたアオガエルも、井の頭線の3000型に追われる立場になるといとおしく思うのは身勝手ですね。

目蒲線はその後4両化され、地下鉄南北線乗り入れからは目黒線となって、6連の新3000型ステンレス車が複々線になった東横線の武蔵小杉に直通しています。名車アオガエルが使っていた5000の型式も、JR東もどきの新車に使われるようです。最近のステンレス車と比べると、写真の5200型も7200型も外板のコルゲートが目立ち、時代を感じさせます。

東急には、私の好きな路面電車もあります。渋谷の東急百貨店の2階と、二子玉川園を246号線でむすんでいた玉川線の、三軒茶屋から下高井戸に至る支線が残りました。あっという間に連接車に替わってしまいましたが、写真のころの70型や80型は車体は更新されていたとはいえ車内は木製ニス塗りで、おでこライトに板バネの旧型台車、釣かけモータと、玉電そのままの姿で走っていました。

2002/04記

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