東京都電

東京都電の車両

東京都電の想い出

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神田須田町
7000型
'72.8

神田須田町
3000型
'72.8

錦糸堀の交差点
8000型ほか
'72.8

車掌さんがチンチン
6000型
'77.11
鬼子母神−学習院下
7505号
'76.7
   
鬼子母神−学習院下
7068号
'76.7
雑司ヶ谷−鬼子母神
7000型
'76.7

向原
7502号と7509号
'77.11

向原−大塚駅
6212号
'77.11

大塚駅
7081号
'77.11

  
大塚駅
7000型
'77.11
飛鳥山
7500型ワンマン車
'78.2
飛鳥山
6191号と7056号
'77.5
飛鳥山
7515号
'76.5
飛鳥山
7072号
'77.5
  
王子駅−飛鳥山
6191号
'78.2
王子駅前
7502号と7513号
'76.5
王子駅前
6152号
'87.6
王子駅前
6211号
'77.11
王子駅前
7065号ほか
'77.11
  
王子駅前
6086号
'77.11
宮ノ前付近
7029号ほか更新車
'78.2
三輪橋
6152号
'87.6
東海道本線向日町
都営1号線5000型
'68.9
上野動物園の
都営モノレール
'79.5
   

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かつて日本の大都市では、国鉄のターミナルで下車すると、駅前には必ずと言って良いほど路面電車があり、市民の重要な足として活躍していました。しかし、1960年代から70年代の経済の高度成長期に、都市部では自動車の増加に道路の整備が追いつかず、交通渋滞が頻繁に発生して 路面電車の運行を妨げました。

運行速度の低下は乗客離れを招いて採算が悪化し、地下鉄やバスに代替えすることで路面電車の撤退が一斉に始まります。東京都区内の山の手から下町まで、網の目のように路線を張り巡らせていた都電も、1963年の杉並線を皮切りに、都営地下鉄6号線の延長工事の開始に合わせて1966年の志村線と、周辺部から始まった廃線が1967年末には都心に及び、銀座通りからの撤退につながります。

それからは、もう坂道を転がり落ちるごとく毎年各路線でさよなら電車が運転され、地下鉄が東西線1本のみだったためか最後まで残った江東デルタ地区も1972年の秋には終焉を迎えます。

廃止の3ヶ月前の須田町の交差点の写真があります。ここが最後の都電網の西の端で、京葉道路を葛西橋へ向かう29系統が東へ、上野駅前を経て福神橋に向かう24系統が北に向かって折り返していました。

大都市を行き交う路面電車を眺めるのに、一番楽しい場所といえば平面交差でしょう。大通りの交差点では、信号が変わるとゴトゴトとジョイント音を響かせて電車が渡っていきます。右折や左折する系統があれば、赤信号で両方向の人と車を止めて、路面電車だけが黄色の矢印信号で曲がります。

今では、路面電車の平面交差といえば、土佐電鉄のはりまや橋しか思い浮かばなくなってしまいましたが、江東地区最後の都電にも、平面交差が何ヶ所か残っていました。

神田須田町の交差点で29系統に乗れば、両国橋を渡った先の緑町で23系統と、錦糸町で駅のすぐ前まで入る38系統と平面交差していました。門前仲町でも月島から福神橋へ行く23系統と日本橋から錦糸町行きの38系統が交差していましたね。

都電が廃止されてからしばらくの間は、都電の系統番号に500を加えた番号の代替バスに、電車当時の系統番号板を付けて運転されていました。しかし、その後の地下鉄の開通等で都営バスも再編が進み、代替系統でも廃止や短縮が進み、都電当時のままの経路で残る系統はわずかになってしまったのではないでしょうか。

そんな中、旧王子電気軌道の買収路線である、早稲田と荒川車庫間をむすんでいたの32系統と、赤羽−三ノ輪橋間の27系統のうち王子駅−三ノ輪橋間だけは、代替バスを運行する適当な道路がないことなどを理由に廃止が先送りされ、荒川車庫に当時の都電最後の新車であった7500型と7000型の後期型を配置し、6000型を予備車として運行が続けられていました。

1974年には32系統と27系統を統合して、系統番号札を“荒川線”として早稲田−三ノ輪橋間が直通運転されるようになりました。この頃、他の都市の路面電車はその大半がワンマン化されていましたが、都電では車掌さんが乗務し、車内で切符を販売するといった昔ながらの光景が見られました。

荒川線の存続が決まると、軌道や架線の改修、ワンマン化や安全地帯のかさ上げによる車両のステップレス化などの合理化、近代化が行われ、それまで使用されてきた車両のうち6000型は廃車、7000型は機器を流用して車体を新造、7500型は改造が行われました。

1977年の春ごろから、改造による車両不足を埋めるためか、それまで余り見かけなかった6000型が多く運用に入るようになり、秋になるとワンマンに改造され、赤帯から青帯に変わった7500型が登場し、今では新幹線基地になっている田端の操車場に、貨物列車の大物車に乗ったアルナ工機で製造された7000型新造車体が到着しはじめます。

こうして1978年の4月には、7500型の改造車と7000型の車体更新車が出そろい、全車がワンマン化されます。都電の傑作と思われる7500型は、ワンマン化によりその優美なスタイルが崩れてしまったのが残念ですが、1980年代の中頃から順次角張った冷房付きの新造車体への更新が行われ、現在のスタイルになりました。その後7000型更新車も冷房化され、塗色も現在の緑系統に改められています。

冷房化以後は容量の関係でしょうか、都電の集電装置はパンタグラフになりましたが、それまではかたくなにビューゲルを守り、他都市のようなZパンタは試用されたものの、何故か普及しませんでした。電車が折り返すとき、車掌さんがひもを引くとビューゲルが反転し、一瞬離線して火花が飛びます。ワンマン化後は、車掌さんの代わりにビューゲルの反転補助装置の様なものがついていました。チンチンのベルも車掌さんに代わって、ドアが閉まると自動的に鳴るようになり、これも他都市にはない都電のこだわりですね。

1980年代の半ば過ぎには、応急車として残っていた6152号を整備し、緑とクリームの1950年代の塗色でイベント車として復活します。この車だけは車掌さんが乗務し、月に2回ほど土日に運転されていたと思います。京福電鉄永平寺/越前線でのブレーキ系統の破損による衝突事故を受け、6152号も同じブレーキシステムだったことから運行を停止し、廃車となったのは仕方がないとはいえ、路面電車ファンにとっては残念なことです。

最後におまけを2枚。都営地下鉄の写真など無いと思っていたのですが、1968年秋の都営1号線の泉岳寺−西馬込間の全通にあわせてアルナ工機で製造された5000型の増備車が、仮台車をはき貨物列車に連結されて東京に向かう途中の姿を、京都の向日町で東海道線の電車の中から見つけ、1枚スナップしていました。

上野動物園には、東京都営の懸垂式モノレールもあります。1962年の開通以来、今では4代目の車両になっていますが、2代目が運行されていた当時の写真を掲載していきます。

2004/08記

 

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