東海道本線

東海道本線の列車

東海道本線の想い出

最初のページに戻る



写真をクリックすると拡大写真が表示されます。

EF651000の牽く
特急“踊り子”
'84.2 大森-蒲田

113系と
117系の普通
'84.2 浜松

117系快速
関ヶ原行き
'88.4 関ヶ原

お召し予備機
EF5860の荷物列車
'68.8 米原

       

153系の臨時快速
“伊吹銀嶺”
'68.3 米原

EF65500の牽く
特急“日本海”
'68.11 草津

20系客車の
特急“日本海”
'68.11 草津

117系100
新快速
'88.8 草津

       

東海道快速の
1等車サロ110
'69.5 膳所

EF81の牽く
貨物列車
'82.8 京都
471系の
急行“はやとも”
'67.5 向日町付近
クモハ73と
手動踏切
 '69
向日町付近
       

このページのはじめに戻る

 



東京都神戸を結ぶ日本の大動脈東海道本線。東海道本線を代表する列車といえば、特急“こだま”、“つばめ”、“はと”でしょう。1964年の新幹線開業で“こだま”は新幹線へ、“つばめ”、“はと”は山陽特急に転じました。'60年代後半の姿は、別掲の
東海道本線山崎-高槻でご覧いただくことにして、ここでは東海道本線の列車の落ち穂拾いです。

東海道本線東京口の特急で残るのが、伊豆に直通する“踊り子”です。スーパービューが登場する前には、多客時の踊り子号には機関車が14系客車を牽引するものがありました。伊豆急には乗り入れず、伊東止まりだったかと思います。

国鉄末期の浜松駅には、113系と117系が停車しています。117系は“普通”と表示していますが、豊橋から先は快速となる、名古屋鉄道管理局管内の東海道線の看板列車です。その快速の中に、関ヶ原行きがありました。関ヶ原から先、米原までの運転間隔は1時間で、80年代に登場した青春18切符の隘路となっていました。

米原駅に停車する荷物列車の牽引機は、EF58の60号機。今も残るお召し牽引機61号と同様に、ぶどう色の車体にステンレスの帯を側面まで巻いたお召し予備機です。

雪の残る米原を発車していく153系の臨時は、快速“伊吹銀嶺”です。休日運転で大阪方面から伊吹山のスキー客を運ぶ列車です。近江長岡で降りてバスが接続していたののでしょうか。急行用の車両を臨時快速で、大盤振る舞いです。

続いて、草津駅を通過する特急“日本海”はEF65の500番台が20系客車を牽引しています。ヨン・サン・トーのダイヤ改正で、急行“日本海”を“きたぐに”に改め、登場したばかりのブルートレインです。まだ湖西線がなく、米原から東海道線を経由していました。

それから20年後、分割民営化から1年目の草津駅に入るのは、新車の117系100番台の新快速。東海も関西も国鉄が生んだ異端児、117系が看板列車の時代でした。

1969年の運賃改定で等級制が廃止され、一等車がグリーン車になりました。この頃は、まだ東海道線の快速にも一等車が連結されていました。窓下に緑の帯を巻いたサロ110です。

山科から湖西線に入るのでしょう。京都駅の1番線と2番線の間を通過するEF81牽引の貨物列車。後ろに続くのは、黒い2軸貨車です。京都駅の駅本屋側のホーム拡張前で、通過線が2本あります。

京都から先は複々線区間。内側の電車線を走る73系や51系の東海道緩行線を、外側の列車線から追い抜く博多発名古屋行きの急行“はやとも”。ヨン・サン・トーのダイヤ改正で、急行“玄海”に名を改めています。

最後は、向日町付近の有人踏切を通過する、東海道緩行線のクモハ73。写真に踏切警手の方が写っていないのは、どこへ行ったのでしょうか。

2011/11記

このページのはじめに戻る


最初のページに戻る

inserted by FC2 system