手宮線と北海道鉄道記念館

手宮線と北海道鉄道記念館

手宮線と北海道鉄道記念館の想い出

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手宮駅の入れ換え用
C12型蒸気機関車
手宮 '69.8

鉄道記念物の機関庫
北海道鉄道記念館
'69.8

鉄道記念物の機関庫
北海道鉄道記念館
'69.8

しづか号
北海道鉄道記念館
'69.8

大勝号
北海道鉄道記念館
'69.8

   

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函館本線の南小樽から分かれて小樽市内を横断し、小樽湾に面した手宮に至る貨物線がありました。その名を手宮線といいます。 その歴史は古く、開拓史時代に炭坑開発のために北海道最初の官営幌内鉄道として建設され、1880年に手宮−札幌間が開業した時にさかのぼります。

2年後の1882年には路線が幌内まで延長され、手宮駅には関連施設の整備がなされています。1883年に建設された赤煉瓦の機関庫は今でも手宮に残り、鉄道記念物に指定されています。

日本の鉄道開通90周年を迎えた1962年に、国鉄では記念事業の一環として、手宮駅の構内に赤煉瓦の機関庫を中心に、当時アメリカから輸入された蒸気機関車「しづか」号や、国産2号機として現存する国産最古の蒸気機関車「大勝」号などを集めて、北海道鉄道記念館を開設しました。

私が初めて手宮を訪れた1969年には、手宮線も貨物線として現役で、函館本線につながるD51の牽引する貨物列車が走り、手宮駅の構内では、C12が貨車の入れ換え作業にあっていました。北海道の鉄道の起点を示す0マイルの碑の前で記念写真を残しています。

当時は、最古の赤煉瓦の機関庫には、「しづか」号と「大勝」号が保存展示され、左隣の1908年に建設された機関庫には、開拓史当時の貴賓車とロータリー式除雪車が、屋外にはマックレーン式除雪車が展示されていました。

国鉄の貨物輸送が衰退する中で、手宮線は1985年に廃線になりました。しかし、小樽市内の線路跡はその後も長期間にわたってそのまま残存し、近年になって観光に力を入れる小樽市の手で当時の面影を残しつつ整備がなされています。

その後、北海道鉄道記念館はJR北海道から小樽市に移管され、1996年に小樽市が運営する小樽交通記念館としてリニューアルオープンしました。中央展示館が建設され、しづか号と開拓史時代の客車は展示場所がその中に移り、蒸気機関車の部品や整備時に使う工具類、かつて北海道で活躍したお馴染みの機関車のナンバープレート等と同じフロアに展示されています。

鉄道記念物の機関庫の前の転車台とこれにつながる線路は、幅を3フィート(914mm)に改軌され、1909年製のアメリカンタイプの蒸気機関車「アイアンホース」号の展示運転に使われています。1908年の機関庫は2連から建設当時の5連に復元され、アイアンホース号のねぐらにもなっています。

この他、かつての展示機に加えて屋外には、手宮駅で活躍したC126、宗谷本線で急行利尻を牽引したC5550をはじめ、引退したED76、DD51やDE10、除雪機能を持つDD14やDD15等の機関車、旧型客車からキハ22、56、82等の気動車まで、北海道で活躍した数多くの車両が保存展示されています。

リニューアルオープンから7年経過した2003年の秋に、34年ぶりに手宮を訪れました。記念館が立派になったことに驚くとともに、海の近くという立地が災いしてか、屋外展示車両の腐食による傷みの進行が気がかりです。順次車両の再塗装も行われていますが、維持管理の大変さが伝わってきます。

2003/11記

2003年の小樽交通記念館はこちら

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