只見線

只見線の列車

只見線の想い出

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只見線のキハ58と
磐越西線の50系
'88.8 会津若松

会津鉄道のキハと
磐越西線の50系
'88.8 会津若松

会津鉄道のキハと
DE10型DL
'88.8 会津若松

只見線の
列車交換
'88.8 会津川口

冷房なしで窓全開
のキハ58
'88.8 会津川口

         

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磐越西線の会津若松と上越線の小出を結ぶ只見線。戦前に、会津線として会津若松から会津宮下間と、西若松から分岐して会津田島に至る 線が開通し、戦後になって只見川のダム開発のために会津宮下から会津川口へ延伸するとともに、分岐線の方は会津滝ノ原まで延伸されています。

一方、戦時中に小出から大白川まで只見線が開通していて、戦後1960年代になって 会津川口から延びていたダム建設専用線を組み込みながら只見と結ぶことで、会津若松−小出間が全通し、同時に只見線に改称しています。

会津線として残った西若松から、会津滝ノ原を改称した会津高原までは、国鉄再建措置法により分割民営化後に第三セクター“会津鉄道”ととして分離されています。今では、終点の会津高原は会津高原尾瀬口と なり、新藤原から伸びてきた野岩鉄道と接続し、さらに東武鉄道と連絡して東京都内まで、三セク、私鉄のレールが続いています。

1970年代の前半までの只見線は、風光明媚な渓谷や山里を行く、C11の牽く蒸機列車が注目を集めていましたが、私が初めて乗車した1988年当時は青春18族に人気の路線となっていて、夏休みには全線 を乗り通すファンが大勢いました。上野から東北本線、郡山から磐越西線を乗り継ぎ、会津若松から只見線を走破し、小出から上越線、高崎線で上野に戻る、1日がかりの普通列車の旅です。

会津鉄道のディーゼルカーも、西若松から会津線に乗り入れて会津若松駅に顔を見せています。当時、ピカピカの新車だったAT100型やAT150型は、 こんな塗色だったんですね。すでに後継車両と世代交代が行われています。

写真で見ると、会津若松から乗った小出行きの只見線の列車は、キハ58と40系の3連だったようです。会津鉄道の冷房車に対して、急行型の気動車でさえ只見線では冷房がありません。それでも、シートのゆったりとしたキハ58を選んで乗車しま した。只見川に寄り添いながら、窓を全開して走る国鉄型の気動車。至福のひとときでした。

只見川の河畔に位置する会津川口で、会津若松行きと交換しています。向こうも窓は全開、青春18族で賑わっています。2011年12月現在、同年夏の集中豪雨による橋梁流出により、会津川口 の前後を含む会津宮下と大白川の間は不通となったままです。

2011/12記

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