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乗車した2等寝台の個室内設備は中国の軟臥車とほぼ同じ。上段の寝台は既にセットされていて、下段は座席の背ずりを手前に倒すとベッドになる構造。上段に登るときは、入口のドア脇の折りたたみ式梯子を引き出します。
▲ 2等寝台車の廊下
▲ 個室内は予備灯が点灯
▲ 2等寝台下段 左右にあるのは上段に登る梯子
▲ 2等寝台上段は発車前からセットされている
停車中の車内は予備灯が点灯しているだけで薄暗く、冷房が入らず蒸し風呂状態。電源車は連結せず、機関車から給電もせずに、各車両独立で走行中に車軸の発電機で電力を賄っているらしく、動き出すまではどうしようもないシステム。
同室はロシア人のカップル。発車するとすぐに、彼らに一声かけて食堂車へ。しばらくすると食堂車にも、やっと冷房が効き始めてきます。
▲ 食堂車の廊下と厨房
▲ 食堂車は4人がけのイスとテーブル
▲ 窓の向こうは暮れゆく海
▲ 食堂車のカウンター側
食堂車のメニューは、市中のレストランよりちょっと高くて量は少なめ。でも、これが日本人には適量です。一気に客が来たので、ウエイトレスは1人で大忙し。メニューを見て、1本200ルーブル(約400円で市内のレストランの2倍の価格)のロシアビールを注文しようとしたら無いといわれ、あるのは400ルーブル(約800円)のドイツビールだけ。何と、1本でバスに19回、トラムなら28回も乗れる勘定。
▲ ドイツのビールはロシアの物価にしては高い
料理は、レトルト食品をチンではなく、きちんと作っているようで注文してから時間がかかる。混雑してきたので、途中から相席に。
▲ サラダはイクラ入り
▲ 出来立ての熱々が来るけど注文してから時間がかかる
オケアン号の車窓
ぐっすり寝て翌朝目覚めると、オケアン号の車窓には道東とよく似た森林や草原、湿地帯が広がります。通過する駅には、人の姿は見えず。
▲ シベリア鉄道の車窓
▲ 途中駅を通過
やがて、車窓に貨物列車やディーゼル機関車、留置中の保線機械が見えてくると建物が増え、ハバロフスクに近づいてきたことがわかります。
▲ 貨物列車
▲ 保線機械を連結したディーゼル機関車
ウラジオストクから11時間余りの乗車で、午前1時15分、現地時刻8時15分、オケアン号はほぼ定刻に終着ハバロフスクに到着。降り立ったホームに屋根がありません。
▲ 終点ハバロフスクに到着したオケアン号
先頭の機関車では機関士が交代し、切り離された電気機関車が去っていきます。隣で待機している入れ換え用ディーゼル機が回送列車を牽引していくところまで見届けたいけど、パックツアーの客を待たせているので切り上げます。
▲ 入れ換え機関車が迎えに来た
▲ 乗務員が交代
跨線橋に上がると、オケアン号の他にも2本の客車列車が入線し、貨車も停車していて駅構内は賑やかです。
▲ オケアン号の機関車が引き上げていく
▲ 手前の編成がオケアン号
ホームにいた近郊電車、エレクトリーチカは相変わらず野暮ったいスタイルながら、駅のポスターにはスマートな車両の絵が。ロシアにもこんな新型車がいるのでしょうか。
▲ 停車中のエレクトリーチカ
▲ 駅のポスターに新型車の絵
迎えに来た現地ガイドのクルマで、市の南西方向、アムール川の近くにあるインツーリストホテルへ。旧ソ連時代に外国人を泊めていたホテルが今も健在です。
▲ ソ連時代からの外国人向けインツーリストホテル
▲ アムール河畔では高層ビルが工事中
ホテルの隣は、帝政ロシアの政治家で東シベリア総督をつとめたムラヴィヨフ・アムールスキーの名を冠した広い公園。川沿いの崖の上にある展望台から、アムール川の眺望が広がります。中国名は黒竜江。遡ると中ロ国境を流れ、極東ロシアからオホーツク海に至ります。対岸には建物はなく、地平線まで一面の緑が広がるだけ。
▲ アムール川の上流方向 遥か遡れば中国へ
▲ 対岸には建物はなく緑が広がるだけ
大砲が並ぶ公園内の高台から、ムラヴィヨフ・アムールスキーの像が見下ろしています。
▲ 大砲が並ぶ
▲ ムラヴィヨフ・アムールスキー像