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標高160m余りのヴェッタ・スコルコラでケーブルカー区間が終わった後も勾配が続き、オピチーナまでさらに160m以上登ります。下りの電車がケーブルカー区間に突入しないように設けられた安全側線。

▲ ヴェッタ・スコルコラにある安全側線

▲ 水平な留置線もある

ケーブルカー開通時のものでしょう。近くには1927の浮き彫りのある巻き上げ機が保存。

▲ 1927年の表示があるので最初の巻き上げ機でしょう

この先は、ごく一部に併用軌道があるものの、大半はオピチーナに向かう道路と並走する専用軌道を、上り勾配に吊りかけモータを唸らせながら走ります。

▲ ここから先も登り勾配が続く

▲ コンコネロで2回目の交換

コンコネロで2回目の交換をすると、その先ではトリエステの街とその向こうに広がる青いアドリア海を見下ろす、この路線一の絶景区間を走ります。

▲ トリエステとアドリア海を見下ろす絶景区間

こうしてオベルダン広場から30分で終点、バルや売店を併設した停留所があるヴィラ・オピチーナに到着。乗客の乗降が終わると、電車はすぐに折り返していきます。

▲ 終点ヴィラ・オピチーナに到着

ヴィラ・オピチーナの電停に隣接して車庫があり、車両の検修等はここで行われています。また、開業当時の車両が動態保存されているとのこと。扉を開けて中を覗き、作業員に声をかけたら事務所に行けとの返答。

▲ ヴィラ・オピチーナには車庫がある

電停横の事務所で見学したいと申し出ると、アポ無しにもかかわらず案内してもらえました。

▲ 動態保存車6号

写真が撮りやすいように車庫の扉を全開し、オープンデッキでモニタールーフの2軸の木造電車6号のビューゲルを上げ、通電してヘッドライトと室内灯を点灯。

▲ ビューゲルをあげてヘッドライトと室内灯を点灯

▲ 6号の制御器とハンドブレーキ

1号から5号の5両で1902年に開業し、翌年に増備された6号(製造は1902年?)はオーストリアはグラーツのUnion Elektricitats Gesellschaft (UEG、後のAEG)製。当時の姿に復元されたのでしょう。運転台に窓はなく、大きな制御器は電気ブレーキ常用で、あとはハンドブレーキだけのようです。車内はクロスシート。

▲ 6号の車内

▲ 6号の台車 車輪の端面のブレーキに加えてレール面に押しつけるブレーキも装備

重ね板バネの軸バネを介して台車と一体化した台枠の上に、木造車体が乗っています。抱き合わせの制輪子の他、急勾配に配慮してか直接レールを押さえるレールブレーキも装備。

台枠には製造時に加え、開業100年を記念してか、復元時と思われる2002年のプレートも付いています。

▲ 1902年製造と2002年復元のプレートのようだ

デッキには、この車両の紹介パネルがあるものの、説明はイタリア語だけ。モータが22kW×2で速度が20km/hぐらいはわかります。

▲ 6号の解説があったけどイタリア語だけ

車庫の奥にもう1両の2軸車、1号が押し込められています。こちらは運転台に窓があります。

▲ 車庫の奥にもう1両ダブルルーフの2軸車がいた

車庫の中では401号と404号のメンテナンスが行われ、ピットの上でラストナンバー407号が休んでいます。

案内してもらった事務所の方に礼を言って、車庫をあとにします。日本の国鉄や私鉄でも、昔はこんな対応をしてもらえた時代もありましたね。

▲ メンテナンス中の現役車両401号と404号

▲ ピット上の407号

最後は、トリエステの鉄道博物館にあったトリエステ=オピチーナトラムの模型です。2本のビューゲルを立てて、オープンデッキにポール集電の電車を押し上げるのは、開業時のラックレールの電気機関車で、現在の電車の後ろにいるのは初代のケーブルカーではないかと想像します。

▲ 開業時の電車とラックレールの電気機関車の模型

▲ 現在の電車と初代のケーブルカーの模型

トリエステ鉄道博物館は、こちらにあります が2021年春現在で休館中。

トリエステ=オピチーナトラムも2016年の正面衝突事故以来、2021年春現在で運休、バス代行中です。訪問を計画されるときは、最新情報をご確認ください。


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