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標高3810mのチチカカ湖

アンデス山中にあるチチカカ湖の標高は、富士山より高い3810m。汽船などが航行可能な湖としては世界で最も高い所にあるそうです。琵琶湖の12倍の面積を持つ淡水湖で、その真ん中にペルーとボリビアの国境線が引かれています。

湖畔の街プーノを背景にウロス島に向かう船 葦の間に開けたウロス島への航路

プーノの市街地の沖合いのチチカカ湖には、トトラと呼ばれる葦でできた浮島に先住民系のウル族の人々が居住していて、観光で生計を立てています。

このあたりは水深が浅いようで、葦が水面に顔を出している場所も多く見られます。船の航行を妨げないように一定の幅で葦を刈り取った航路が、ウロス島へと続いています。プーノから動力付きの船に乗って30〜40分。手こぎのボートで、のんびりと島に向かう観光客の姿もあります。

ウロス島に向かう船 手こぎのボートも

 

トトラでできた浮島ウロス島

全部で40ほどの浮島から成るウロス島の入り口には、航路に面して船から入場料を集める小さな島が浮いていて、島民が詰めています。どの島に観光客を上陸させるかも、彼らがここで割り振っているようです。

それぞれの浮島にはトトラでつくった住宅が建ち、見晴台を建てたり独自のシンボルマークを掲げる島もあります。ボートを島に横付けして上陸です。足で立つとフカフカの島です。

ウロス島の入場料を集める浮島 トトラでできた浮島
島ごとにいろんなシンボルがある この浮島に上陸することに

島には、概ね家族単位で居住しているようです。ご主人の歓迎を受けた後、実演を交えての島の作り方の説明です。と言っても、トトラの根をまとめて縄で縛り、その上にトトラの葉を積み重ねていくだけ。水中のトトラが腐って水が侵入してくれば、また新しい葉を積みます。

島を切り分けることもできるそうで、けんかをした翌朝起きてみたら、一人分だけ切り離されて沖に流されていることもあり得るのだとか。

浮島の構造と作り方を模型で説明

これがトトラ

トトラは食用にもなり、1本もらって皮をむいて幹の中身をかじってみます。長ネギのように見えますが、味は淡泊。熱が出たときは、トトラの幹を広げておでこに当てれば、熱さまシートにもなるのだとか。 ここでは何でもトトラで事足ります。

島の生活の紹介です。お姉さんがごちそうの材料のクイを持ってきて見せてくれます。そういえば養豚でしょう、豚が歩き回っている浮島もあります。チチカカ湖にはサケ科をはじめとする魚もいて、漁業も行われているそうです。

     
クイ(テンジクネズミ)を持ってきた      

島の女性達による物々交換の様子

現金が一般化するまでは物々交換で交易が行われてきたそうで、浮島の女性たちがその様子を賑やかに再現して見せてくれます。

続いて、各家庭に分かれて案内され、観光客も島の民族衣装に着替えて浮島の住民のコスプレです。同じアジア系を祖先に持つからか、カラフルな衣装は日本人にもそれなりに似合っています。ここでお土産屋さんが店開きして、いろんな民芸品が並びます。民族衣装を借りたのだから、少しは買ってあげないとという気にさせます。なかなか上手な商売のやりかたです。

観光客も民族衣装のコスプレ 女性達に見送られてトトラの船で出発
トトラの船は手こぎで進む チチカカ湖を行くトトラの船

チチカカ湖の伝統的な船は、やっぱりトトラでできています。双胴船で間に板を渡して連結し、それぞれの船首部分に1人ずつ乗ってオールで漕ぎます。ご主人ともう一人の男性が乗り組み、女性陣に見送られて出港です、と言ってもすぐ近くの島までですが。

竈は石の上 左に太陽光パネル 学校や診療所も浮いている

草に火が燃え移らないようにでしょう、竈は石の上に設置されています。昔は電気はなかったのでしょうが、今では太陽光パネルで自給自足のようです。

再び乗ってきた船でプーノに戻ります。途中にあった学校や診療所もやっぱり浮いています。トトラよりしっかりとした、工業製品の浮体に乗っていますが。学校の先生や看護師さんは、毎朝船でプーノの街から通勤してくるのだとか。

 


プーノからフリアカへ

プーノ市内も観光したかったのですが、パックツアーは素通りで首都リマに向かう空港のある隣町、フリアカに向かいます。峠越えの道から、車窓に山の斜面に広がる湖畔の街プーノが見渡せます。

チチカカ湖とプーノの街 山の斜面まで広がるプーノの街

この日は、プーノとクスコを結ぶ観光列車、アンデアンエクスプローラは運行しません。でも、フリアカからプーノに向かう線路に列車が走ってきます。チチカカ湖畔を、ペルーレイルのディーゼル機関車の牽引する貨物列車がプーノに向かいます。

ペルーレイルのプーノ行き貨物列車 チチカカ湖畔を走る貨物列車

フリアカの街に入ってきました。ここのタクシーはインドのオートリキシャタイプの他に、バイクをベースにした三輪車も走っています。一度乗ってみたい気もするが。

フリアカの街と三輪タクシー、バイクタクシー フリアカ駅のディーゼル機関車

クスコなどでもそうですが、街中にあるペルーレイルの駅は治安確保のためか塀で囲まれ、線路の部分にも扉があって列車の通過時以外は鍵がかけられています。バスの車窓越しに塀の向こう、フリアカ駅構内に停車するディーゼル機関車が見えます。

 

急遽アレキパへ向かうことに

昼食のレストランの周辺の建物は、すぐに2階が建て増しできるように、長い鉄筋がニョキニョキと伸びています。フリアカだけでなく、首都リマ以外のペルーの街では一般的によく見かけます。これは実際に居住していても、まだ建築中ということにすれば固定資産税を払わなくても済むからなのだとか。未来永劫、建築途中のまま なのでしょう。

フリアカの街 建物から建築途中の鉄筋がのびる ラン航空の事務所前に観光客が並ぶ

ここで本日もまたトラブルが発生。ペルー全土でストライキを続けている学校の教職員の集団がフリアカ空港を襲撃したそうで、航空会社のカウンターが破壊され、滑走路では黒煙が上がっていて空港は閉鎖。ペルー政府は非常事態を宣言して、空港周辺への接近を禁じているとの情報です。

フリアカ空港の利用客は大半が外国人観光客とのことで、これを人質にとって政府に賃上げの約束を実行させようとの作戦でしょう。労働争議が大変なことになってきました。

でも、パックツアーですから現地旅行社がすぐに動いてくれて、フリアカ空港に送ることになっていたバスをそのままチャーターして、一番近い空港のあるアレキパまで250kmの一般道を走ることに。アレキパ空港からリマへ、何とか座席が確保できたのは夜の遅い便。フリアカの街中にあるラン航空の営業所前には、この時すでに観光客の長い行列ができています。

標高4,000m以上の車窓 道路と並行するペルーレイルの線路

バスはフリアカの街を抜けると、蛇行しながら流れてチチカカ湖にそそぐ川に沿った道を上流に向かってさかのぼっていきます。フリアカとアレキパを結ぶペルーレイルの線路が寄り添ってきますが、この間の旅客列車は10年ほど前に廃止され、今は走っていません。でも、レールが光っているので貨物列車は運行されているのでしょう。

この間の旅客輸送はバスがになっています。途中ですれ違ったプーノ行きの路線バスは二階建ての豪華な車両で、鉄道は太刀打ちできなくなったのでしょう。

アレキパとプーノを結ぶ路線バス フラミンゴの飛来するラグニージャス湖

道路はフラミンゴが羽を休める高原の湖、ラグニージャス湖の湖畔を通ります。車の少ないこんな場所にも、お土産屋さんが店を広げています。どこに住んでいるのでしょうか。

クスコとプーノの間の最高地点、ララヤ峠の標高が4319mですが、フリアカ−アレキパ間の鉄道にはこれを上回る4470mがあるのだとか。おそらく、ラグニージャス湖の先にある峠がこの最高地点はではないかと思われます。

   
湖畔の国道    

ここにもお土産屋さんが店開き

 


アレキパ空港からリマへ

太平洋から90km、アンデスの高原地帯にあるアレキパは人口90万人のペルー第2の街。標高は2350mで十分な高地ですが、それでもフリアカ−アレキパ間の最高地点から2000m以上降りていかねばなりません。長い長い下り急勾配をの先に街が見えてくる頃には、もう夕闇が迫っています。富士山型の火山、標高5821mのミスティ山は雪の帽子をかぶっています。

市街地の手前にアレキパ空港があり、オーバーブッキングが怖いので先にチェックインを済ませてから市内に夕食に向かいます。今日のフリアカ空港襲撃事件に関連してでしょうか、アレキパ空港内で市長が報道陣のカメラに取り囲まれています。

標高5821mのミスティ山 アレキパ空港

せっかくのアレキパなので、世界遺産の旧市街、アルマス広場ぐらいは見ておきたかったのですが、夕食後はまっすぐに空港に戻ります。搭乗を待つまでの時間が長い。アレキパから首都リマまでは1,000km余り。リマのホテルへのチェックインは、予定より6時間遅れて日付が変わろうとしています。

ところで、スケジュールの変更に要した費用ですが、旅行業約款(普通は読んでいませんが)によるとテロや暴動の場合は旅行会社は免責となり、全て個人負担となるとのこと。搭乗予定だったフリアカからのリマ便はアレキパを経由するものの、バスでアレキパに向かっていては間に合わないのでチケットは無効になったとの説明です。

報道陣に囲まれる市長 やっとリマに向かうLAN航空に乗れる

現地旅行社からの一人あたりの請求金額は、フリアカからアレキパまでのバスのチャーターが40米ドル、アレキパからリマのラン航空の新規手配が190米ドルの合計230米ドルでした。何故かE-チケットは渡せないとのこと。あとで、当日購入の場合のラン航空の運賃を調べたら130米ドル。E-チケットにはこの金額が記載されているからでしょうか。旅行会社の懐に入った手数料は1人60ドル+バス代のうちの一定割合だったようです。

約束した賃上げの実施を求めて空港を襲撃した教職員の月収が日本円で2〜3万円だそうですから、1週間分の給料に相当する旅行会社の手数料は高いように思いますが、非常事態だから堂々と請求すればよいのにと思います。また、変更不可の安い団体チケットとはいえ、フリアカ空港の閉鎖で欠航したラン航空から、これを手配した現地旅行社に本当に払い戻しが無いのか、疑問 が残ります。

 


 

 

 

 

 

 

  

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