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マチュピチュ駅からビスタドームでオリャンタイタンボへ

私たちの乗車券はオリャンタイタンボまでですが、この列車はクスコポロイまで行くようです。列車に乗ったところで一悶着が発生。指定席に先にドイツ語を話す数名の乗客が座っています。立ち退かせたのですが、この車両に彼らの持っているチケット記載された座席番号が無いようで、ペルーレイルの乗務員に、英語で猛烈に抗議しています。

ペルーレイルの説明では、本来この列車はビスタドームの車両で2+2の4列のはずが、車両を振り替え2+1の3列となったため、座席数が少なくなったのだが、そのことは旅行会社に連絡済みであり、存在しない席のチケットを発券した旅行会社のミスだと言っているようです。また、あとの列車に振替を提示しても、ドイツ語圏ではあり得ないことなのか、彼らは引き下がりません。

ペルーレイルのスタッフにいつまでも抗議を続ける乗客 警察官も来たけれど

発車時刻が過ぎても夫婦2人だけは頑として聞き入れず、デッキにとどまったまま降りてくれないので発車できない様子。警察官も駆けつけますが何もできません。そのうち、隣のホームから後発のエクスペディアが時刻通りに出ていきます。あーあ! 1時間が経過し、次のポロイ行きビスタドームの発車時刻が迫ってきたところで、やっと振替を受け入れたようですが、今度はオヤジの方が車内の乗客に向かって英語で一方的に自分たちの正当性をダラダラと述べ始めます。Enough!!

夕闇迫る車窓のウルバンバ川 ビスタドームの軽食

1時間以上遅れて、機関車牽引のビスタドームは発車します。せっかく川側の席が確保できたのに、もう夕闇が迫っています。スタッフが、軽食と飲み物を配ります。後ろの車両ではどの時点でディナーが振る舞われるのか、発車前の騒動で、見に行くのをすっかり忘れていました。

列車ダイヤを乱したため、最初の交換駅での停車時間が延び、遅れが拡大します。停車中の車窓から、後続のディーゼルカーのビスタドームが近づいてくるのが見えます。続行運転を行っているようです。

車内に何かが出てきた

やがて日が暮れ、車窓は何も見えない暗闇に。その時、軽快な音楽と共に貫通路から何かが出てきます。乗客を驚かせながら車内を一回りすると、あちこちでカメラのフラッシュが光ります。続いて、先ほど軽食を配ってくれた乗務員がモデルになってファッションショーが始まります。

隣のボックスの、アメリカ人4人家族の娘さんがデッキの向こうに連れて行かれたと思ったら、モデルになって再登場してきて車内が盛り上がります。ショーのあとはここで紹介した商品の販売です。ペルーの物価にするとかなり高価ですが、それなりに売れています。

乗務員によるファッションショー

列車は、1時間以上遅れてオリャンタイタンボに到着します。このままポロイ駅まで乗って行きたかったのですが、パックツアーの狭いバスに乗り換えて山道をクスコに向かいます。

 


クスコの夜

バスがクスコに入る峠を越えるとき、眼下に広がる街の夜景は息をのむ美しさ。でも、走るバスの車窓から撮った写真はブレブレで、何だかよくわかりません。

サント・ドミンゴ教会のすぐ隣のホテルにチェックインして遅い夕食をとった後、歩いてクスコの中心アルマス広場に向かいます。夜のクスコは治安に問題ありとのことですが、脇道に入らなければ人通りもあり、大の男が2人いれば大丈夫だろうということで。

クスコ アルマス広場の夜景

広場とそれを取り囲む教会などの建物群はライトアップされ、山の中腹まで街の明かりが続きます。はるか上のサクサイワマン遺跡から、キリスト像がクスコの街を見下ろしています。

山まで広がるクスコの街の明かり サクサイワマン遺跡から見下ろすキリスト像

ペルーでは、何事もスケジュール通りに運ぶのは難しいようで、結局睡眠時間にしわ寄せが来ます。

 


プーノに向けてクスコを出発

翌日は、1日かけてクスコからチチカカ湖畔の街プーノまで、途中の寄り道を含めると400kmの移動のため早朝の出発です。両都市の間はペルーレイルの路線で結ばれていて、豪華列車アンデアン・エクスプローラーが週に3〜4便あり、この日は水曜日で運行日に当たります。切符はホームページから買えるので、私だけ勝手にパックツアーから抜け出して列車の旅に変更するか、出国前によく検討してみました。

道路沿いの商店 朝の開店準備 クスコの街とお別れ

この列車、過去には地元の人々と一緒に乗れる車両も連結していたようですが、今では外国人観光客専用列車になっています。しかも、昼食のコース料理等が含まれるものの運賃が210米ドルと、マチュピチュ行きのハイラムビンガムに比べればまだ安いものの、同じ区間を走る外国人観光客用のガイドと途中観光付きバスの40〜50米ドル程度に比べるとべらぼうな価格設定です。しかも、鈍足かつ遅れることも多いのだとか。車窓から見える景色は同じなので、そのままツアーバスで行くことに。

荷物を屋根に積む地元民のバス クイ料理のレストランが何軒も並ぶ

旧市街のサント・ドミンゴ教会周辺は大きなバスは入れないので、まずはマイクロバスに分乗して新市街まで行き、プーノに向かうバスに乗り換えます。やっぱり今日も座席が窮屈な中型バスです。残念。地元の人々の乗っている満員の路線バスも多くは中型。大きな荷物は屋根に積んでいます。

クスコの市街地を抜けて郊外に出たティポンで、名物のクイ(テンジクネズミ)料理の店が軒を連ねるレストラン街を通ります。

   
パン屋さんの店先     大きなパン“チュータ”

次のオロペサの町の名物は、大きなパン“チュータ”。パン屋さんの前にバスを止め、焼きたてを1つ買い求めます。直径が50cm近くあるでしょうか、まるで座布団ですね。これ1つでツアー一行の16人前はありそうです。

バスは快適な高原の舗装道路を走ります。1990年から10年間の日系フジモリ大統領の時代に、道路の舗装や拡幅などの改良工事が行われたのだとか。独裁のツケで今では囚われの身ですが、学校の整備による教育レベルの向上等の実績が評価され、今でも人気は高いそうです。娘のケイコさんが2011年の大統領選挙に立候補したが、現在のウマラ大統領に惜しくも僅差で敗れたのだとか。

ペルーレイルの線路と交差 プレインカの遺跡ピキリャクタ

ペルーレイルの踏切を渡ります。日本と違って、踏切一旦停車などは一切無し。マチュピチュ行きの鉄道の線路幅が914mmの狭軌に対し、こちらは1435mmの標準軌です。

車窓をインカより古いプレインカの遺跡が横切ります。日干しレンガの壁でしょうか、ピキリャクタ遺跡です。

 

アンダワイリーヤス教会とウルコスの町

バスは幹線道路から外れて村の中へ。最初の下車地、アンダワイリーヤス村に到着です。この小さな村の教会は、17世紀にスペイン修道士によって建てられました。正面は工事中のため、横から内部に入ります。外観からは想像できない豪華な内装で、金箔で飾られた祭壇や綺麗な模様の天井、フレスコ画の壁画や絵画がありますが、残念ながら内部は撮影禁止。

アンダワイリーヤスの村 アンダワイリーヤス教会
横から教会に入る 十字架とアンデスの山々

教会前の広場には、定番の土産物を売る露店が並んでいますが、クスコに比べると安くて押し売りもなく、すれていないところが好印象です。

クスコより少しは標高が下がったものの、3000mを超えるアンデスの山々には木がほとんどありません。地図で見るとウルコスの町でしょうか、幹線道路沿い教会のある広場前に路線バスが発着し、鉄道の方は交換設備のようなものはあるものの、今では停車する列車がありません。

貯水池でしょうか ウルコス(おそらく)のアルマス広場
ウルコスの町(多分) ペルーレイルの駅

やがて車窓にウルバンバ川が寄り添ってきて、その谷を上流に向かいます。下流のマチュピチュ付近と異なり、この付近の川はのどかな流れです。対岸にはペルーレイルの線路が並行していて、黄色い小さな車両が1両併走しています。あとから来るクスコ発プーノ行きアンデアンエクスプローラ号の先導車が線路の状態を確認しているのでしょうか。

車窓のウルバンバ川 対岸の線路に何かが走っている
アンデスの山里を走るペルーレイルの小さな車両 ズームアップするとこんなクルマ

 


 

 

 

 

 

 

  

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