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オビドス散策

“谷間の真珠”と呼ばれるオビドスは、周囲を城壁に囲まれた人口1000人に満たない小さな村。13世紀にこの地に魅せられたイザベル王妃にデニス王が与えたことから、以後19世紀まで700年にわたって歴代ポルトガル王妃の直轄地として栄えたのだとか。

バス停前の階段を登った城壁に小さく開いた城門、ポルタ・ダ・ヴィラは敵の侵入を防ぐため通路が2回折れ曲がる構造で、中に入ると18世紀のポルトガルの青いタイル、アズレージョが出迎えてくれます。

   
オビドスの村へ入口の門 ポルタ・ダ・ヴィラ     城壁に登ってみる

ポルタ・ダ・ヴィラをくぐる抜けると階段があり、城壁に登ることができます。内側は幅が1m程の石積みの通路になって、城壁の上を歩けますが高いところは13m、手すりもなく向こうから人が来たらすれ違うのがちょっと怖い。日本と違って、登るのは自己責任の世界です。でも、城壁の上から見る白い壁に赤茶色の屋根が奥にそびえる城まで続くオビドスの村や、城壁の外、村の背後に連なる水道橋は絶景です。

   
城壁の上から見たオビドスの村     村の外に続く水道橋

城壁から下りて、雨上がりで濡れたオビドスのメインストリート、ディレイタ通りを先へ進みます。朝の9時半ではまだ早いのか、観光客の姿はなく、開店準備もこれから。

村の一番奥に建つ城はポサーダ・ド・カステロ。古い城の建物を利用した、国営の高級ホテルになっています。その近くに城壁の外に出る裏口があり、ぐねぐねと曲がった細い坂道が向こうの畑のなか、単線の線路の横にポツンと建つ無人駅、オビドス駅に向かって下っていきます。

お店も開店前の村のメインストリート ディレイタ通り ポザーダ・ド・カステロ
ポザーダ・ド・カステロに続く路地 ポザーダ・ド・カステロから見たオビドスの村

オビドスから、アルコバサ行きのバスに乗り継ぐカルダス・ダ・ライーニャまで鉄道なら1駅で、オビドス駅発の時刻も調べてあったのですが、カルダス・ダ・ライーニャで余裕を持ちたいのでバスで行くことに。ディレイタ通りをポルタ・ダ・ヴィラに向けて戻ります。

オビドスの真ん中あたり、通りに面したサンタマリア広場の向こうに建つサンタマリア教会。小さくても、15世紀にここで10歳のアフォンソ5世が8歳のいとこイザベラと結婚式を挙げた由緒ある教会です。内壁は、アズレージョで彩られています。広場の前に立つ石の塔は、15世紀の石の柱ベロニーニョ。罪人を見せしめのために籠に入れ、これから吊り下げたのだとか。

       
ベロニーニョとサンタマリア教会         アズレージョが美しいサンタマリア教会の内部

やっとディレイタ通りの店が開きはじめました。外壁に吊している商品は、夜間は店の中に取り込み、開店時に持ち出してくるようです。シーズンオフのこの時期、団体客が来なければ観光客はまだチラホラ。

店がオープンしたオビドスのメインストリート

1軒の店先で、一升瓶に赤ワインのようなお酒を置いています。サクランボをつけ込んだオビドス名産の酒、ジンジャです。チョコレートでできた小さなカップに入れて1€。ワインよりアルコール濃度が高そうだけど、甘くておいしい果実酒です。

観光客はまばら サクランボの酒シンジーニャ

 


カルダス・ダ・ライーニャからナザレ経由アルコバサへ

ポルタ・ダ・ヴィラの前のバス停から、カルダス・ダ・ライーニャまで10分。鉄道駅より街中にあるバスターミナルの方が立地は良好です。次のナザレ経由アルコバサ方面行きのバスまで、1時間の待ち時間の間にカルダス・ダ・ライーニャの町歩きに出かけます。

レプブリカ広場では、毎日朝市が開かれているとのことできてみたものの、何もありません。広場の一部が工事中だったからでしょうか。仕方なく、近くのドン・カルロス1世公園を散策して、バスターミナルに戻る途中でスーパーマーケットを発見。

バスターミナル前のメインストリート レプブリカ広場 何故か朝市はお休み?
スーパーで山積みになったバカリャウ(干しダラ) 食料を仕入れる

店内で、日本で見かけないものといえば、山積みになったポルトガルの国民食の干しダラ。大航海時代からの保存食です。パンとおやつを買って、バスターミナルの待合室のベンチでかじります。うん、なかなかいける。バスの発車時刻が近づいたので乗り場の方に行くと、何だバスターミナル内にカフェがあるじゃない。

バスは田舎道をトコトコ走り、50分ほどで車窓に漁港が見えてくると漁師町のナザレです。ここには後で戻ってくることにして下車せずに、そのままアルコバサに向かいます。

具材の入ったパン 結構いけます 漁船が停泊する漁師町ナザレ
       
ナザレの下の街と上の町をつなぐケーブルカー         バラード・ナザレ・アルコバサ駅

ナザレとアルコバサのほぼ中間で、バスはポルトガル鉄道のバラード・ナザレ・アルコバサ駅を通ります。しかし、列車もバスも本数は少なく、互いに接続は全く考慮していないダイヤです。駅前に人家はあるもののタクシーは見あたらず、バラード・ナザレ・アルコバサの駅名につられて、ナザレやアルコバサに行くために列車でこの田舎の無人駅に降り立ったら、途方に暮れることになりかねません。

 

アルコバサ修道院

バスは、ナザレから20分程でアルコバサのバスターミナルに到着します。ナザレへ戻るバスの時刻を確認してから、ターミナルからほど近い世界遺産のアルコバサ修道院に向かいます。

       
アルコバサ修道院         巨大な教会

アルコバサ修道院は、初代ポルトガル王アフォンソ1世が12世紀半ばに建設にかかり、70年を要して完成しました。その後も歴代の王による増改築がなされているため、ロマネスクからゴシック、18世紀のバロックまでの様式が見られます。正面の写真を撮ろうにも、その幅は200m以上に及び全体をおさめることができせん。

正面ファザードの入口を入ったところが教会です。身廊の幅が23m、奥行き106m、天井の高さが20mの巨大な空間が広がりますが、派手な飾りやステンドグラスはなく、内部は質素な造りです。

教会の翼廊 左にイネス・デ・カストロの棺 教会の翼廊 右にペドロ1世の棺

教会の翼廊の右にペドロ1世の棺、左にイネス・デ・カストロの棺が互いに足を向けあうように置かれています。復活後に起き上がったときに、互いの顔が見えるようにという王の遺言によるのだとか。有名なイネスとペドロ王子の悲恋の物語は、こちらをご覧下さい

翼廊の裏にある王室パンテオンには、王子をはじめ王家一族の棺も置かれています。

足を向けて向き合うように置かれた二人の棺 教会の王室パンテオンに置かれた王家一族の棺

教会の部分は自由に立ち入れますが、修道院に入るにはチケットが必要です。18世紀に建設された王の広間の壁面には、修道僧によって造られた歴代国王の像が並び、下部は修道院の歴史を描いた青いアズレージョで覆われています。

最盛期には1000人もいたという修道士の食事を賄う厨房は巨大な煙突を備え、水場には川の水を引き込む等、当時の先端技術が使われています。

王の広間 厨房の煙突
川の水を引き込んだ水場 説教台のある食堂

隣接する食堂の壁面には聖書を朗読した説教台と、そこに上がるアーチのある優美な階段が設置されています。また、食堂には極端に幅の狭いドアがあり、修道士の太りすぎをチェックしたといわれていますが、メタボになるほど良いものを食べていたのでしょうか。

       
修道士の太りすぎをチェックする扉         僧の広間

中庭を取り囲む回廊は14世紀に造られ、2階部分はアーチの付いたマヌエル様式で16世紀に増築されています。16世紀に建てられた、リスボンのジェロニモス修道院の回廊によく似ています。

中庭を取り囲むドン・ディニスの回廊

 


 

 

 

 

 

 

  

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