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バルコル(八角街)

拉薩のバルコルは、中国語では八角街。ジョカンを囲むように、マニ車などの仏具や貴金属、手工芸品をはじめとする土産物を売る店、レストラン等が並ぶ賑やかな商店街が歩行者天国になっています。参拝に訪れたチベット仏教徒はマニ車を回しながらパルコルをマニ車の回転方向と同じ時計方向に回ります。雑踏の中で、熱心に五体投地をする人も。一方通行?を逆走するのは、一部の観光客だけ。

バルコルを回る巡礼の人々
バルコルで店番の子供達

編み物をする女の子。売り物の仏具を手にする男の子。店番の子供達の笑顔がいいですね。

 

チベット料理のレストラン

夕食はパルコルにあるチベット料理のレストラン。中華料理とそれほど変わりはないようです。団体客用の店で、舞台ではチベットの踊りが披露されます。

前夜のホテルで就寝中に息苦しくなったので、アルコールは自重することに。

チベット料理の数々
チベットの踊り ヤクが出てきた

旧市街は、昔からのチベット族の居住地区。本当に面白いのは、パルコルより一本外れた通りの商店街。値札などない、地元の人向けの八百屋や肉屋、乾物屋などの各種商店が並び、表の通りにまで商品を積み上げています。子供が店のお手伝いをする姿も。

地元の商店街

夕闇が迫ってきました。ジョカン前の広場に戻ってくると、お灯明をあげる人、五体投地で祈る人々。

ジョカンの前で五体投地 格子の中はヤクのバターのお灯明

ホテルに戻ります。宿泊した拉薩飯店は、ポタラ宮から1kmほどの場所にあり、通常ならライトアップされたポタラ宮を見にノコノコ出かけるところですが、無理をしないでホテルでおとなしくしておきます。

フロントで、酸素ボンベをもらってきました。開封しなければ、買い取らずに返却できるとのこと。1日で身体が高地に順応したのか、拉薩の2泊目は息苦しさを感じることなく就寝でき、酸素を使う機会はありませんでした。

       
拉薩飯店         酸素のカセットボンベ

 


ノルブリンカ(羅布林卡)

5日目は、拉薩市内の西にあるノルブリンカ(羅布林卡)に向かいます。ここは、18世紀の半ばにダライ・ラマ7世が造営をはじめた夏の離宮。その中で最大の宮殿は、ダライ・ラマ14世が建てたタクテン・ミギュ・ボタン。屋根の上には、ジョカンと同じ金色の法輪と2頭の鹿が乗っています。1956年に竣工し、その3年後には中国人民解放軍の拉薩侵攻により、ダライ・ラマ14世は、この場所からインドに逃れたのだとか。

ノルブリンカの門 ダライ・ラマ14世が生活していたタクテン・ミギュ・ボタン
ノルブリンカの内部

ノルブリンカから道路を隔てた向こう側にチベット族の家が建ち並んでいます。舗装のない路地に足を踏み入れると、1軒の小さな商店の表に懐かしい足踏みミシンと、兄弟でしょうか小さな子供達。拉薩の日常の姿が垣間見られます。

周辺のチベット族の家 足踏みミシンのある小さな商店

 


拉薩空港から西安へ

拉薩の観光は、これでおしまい。ラサ・クンガ空港から、日本に戻るための乗り継ぎ地点の西安に向かいます。空港は拉薩の街から遠くて、南へ70km。一つ山を越え、川幅が数kmに及ぶ雅魯蔵布江がゆったりと流れる河原まで来ないと、飛行機が周囲の山に邪魔されることなく着陸できる滑走路を確保できる、平らな場所がないのだとか。空港に向かうバスの車窓に、周辺の山々を写し込む雅魯蔵布江の水面が広がります。

車窓から見た雅魯蔵布江
空港に向かう車窓 ラサ・クンガ空港

標高3570mのラサ・クンガ空港を離陸すると、はるかヒマラヤまで見渡せる?絶景と窓側席の人からは聞きましたが、私の席は羽根の上の通路側。中国では、長距離の国内線では機内食が出ます。

ラサ・クンガ空港 国内線でも機内食が出る

 


おまけの西安

青海チベット鉄道で35時間を要するラサから西安まで、飛行機なら直行便で2時間半。やっぱり楽ですね。西安は、1995年に洛陽からの列車で初めて訪れて以来12年ぶり。翌朝の帰国便までの時間つぶしに、2度目の訪問となる大雁塔へ。7世紀に三蔵法師がインドから持ち帰った仏像や経典等を保存するために、唐の高宗に申し出て建立した塔です。

大慈恩寺の境内に建つ大雁塔 西安中心部の鼓楼
ライトアップされた大雁塔 三蔵法師?

ホテルで場所を教えてもらったスーパーマーケットで土産の買い出しのあと、市の中心に出て鼓楼の近くのレストランへ。1995年当時の西安の夜は、暗くて足元もよく見えない街に大勢の人と自転車が溢れていましたが、12年後には歴史ある建物のライトアップがまぶしい、光があふれる夜に大きく変貌していました。その後、地下鉄や高速鉄道も開業したのだとか。


旅のヒント

2015年1月段階で、西寧−拉薩間の青海チベット鉄道の列車は1日4〜5往復運行されています。北京西−拉薩間のZ21/Z22次直達特快、広州−拉薩間のZ265/Z266次直達特快、成都−拉薩間のT23/T24次特快と重慶北−拉薩間のT223/T224次特快がそれぞれ隔日で、蘭州−拉薩間のZ917/Z918次直達特快と西寧−拉薩間のZ6801/Z6802次直達特快がそれぞれ隔日で、上海−拉薩間のZ165/Z166次直達特快が隔日の運行です。

西寧−拉薩間の所要時間は22〜23時間で、西寧−格爾木間の複線電化工事完成によるものと思われますが、2007年当時に比べ1時間程度短縮されています。西寧発車時刻は15時から20時頃で、拉薩着が翌日の13時半から17時頃となっていて、北京から遙か西に位置する格爾木での機関車交換は夏期でもまだ夜明け前だと思われます。

また、西寧−格爾木間の改良工事で、全長32kmを越える中国最長のトンネルが既に貫通しており、路線の付け替えが行われるとさらに所要時間2時間の短縮が可能といわれています。

プラチナチケットといわれた青海チベット鉄道ですが、オフシーズンの2015年1月段階で 中国鉄路客戸服務中心 のウエブサイトで残りの枚数を確認すると、軟臥、硬臥、硬座のいずれも西寧−拉薩間で列車を限定しなければ入手可能です。

2014年には拉薩から西へ、ベット自治区第二の都市、日喀則(シガツェ)までの路線、拉日鉄路が新規に開業したとのことです。上記サイトではこの区間の列車やチケットの現状は確認できないようですが、開通時の時刻等はこちらにあります。この路線の機関車は中国製です。

チベット自治区の特殊事情により、ここにに立ち入る外国人には旅行会社を通じてチベット自治区旅游局発行の入境許可証の取得と、ガイドの同行が義務づけられています。2007年当時はチベット入境許可証廃止の噂もあり、管理も甘くて、この頃に許可証なしに拉薩をはじめとするチベットを個人で旅行した日本人のブログもあります。しかし、この旅行から半年後、2008年3月の拉薩で発生した大規模な暴動以後は締め付けが厳しくなっているそうです。

現地旅行会社へオーダーメードのスケジュールで発注して団体旅行の形を整えることも可能ですが、日本の旅行会社が募集するパックツアーへの参加が、青海チベット鉄道に乗って拉薩に行く現実的な方法でしょう。私が参加したのは、中小の旅行会社がネットで募集したツアーということもありますが、パックツアー客は定年退職後の年寄りが大半というイメージからかけ離れた、20代や30代の独身の男女の一人参加を含む若い人が中心で、西寧から拉薩までのスルーのガイドの男性、拉薩のガイドの女性も20代で、おじさんが若い人からエネルギーをもらった旅でした。

拉薩は、かつてはチベット族の街でした。そこに西部大開発の号令のもと、道路や鉄道が整備され、物資とともに商売に長けた漢族が大挙して押しかけ、観光や資源開発などによる儲けを独占しているように見受けました。日本語を話す若い男女のガイドも、もちろん漢族で、中国政府の公式見解に沿った説明をします。

観光で訪れたわずか2日間、表面を見ただけですが、北京オリンピック開催前の2008年に、拉薩でチベット独立を求めるデモをきっかけとして発生した騒乱の報道に接したとき、“やっぱり起きたか”と思いました。青海チベット鉄道は、短時間での武装警官や公安部隊の輸送にも役立ったことでしょう。下記のリンク集は、9件中7件は中国の公式サイトですが、チベット亡命政権と朝日新聞のチベット問題の記事へのリンク先も記載しておきます。

2007年9月旅
2015年1月記


お役に立つリンク集

これからお出かけになる方や鉄道ファンの方に役立ちそうなリンクをそろえました


 

 

 

 

 

 

 

  

 

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