稚内駅の入場券
旭川から稚内まで全長259km(線籍上は新旭川から?)、北海道の背骨のようなの宗谷本線。途中、名寄では名寄本線と深名線、美深で日本一の赤字線として有名になった美幸線、幌延では日本海に沿った羽幌線と接続し、音威子府では天北線が分かれ南稚内で再び合流していました。今ではこれらの路線は全て廃止されてしまいました。特急“スーパー宗谷”が走る宗谷本線も、1970年頃の優等列車はキハ56系のディーゼル急行で、函館−稚内間(函館本線山線経由)の“宗谷”と、音威子府−南稚内間が天北線経由となる札幌−稚内間の“天北”、それに線内の“礼文”の3往復、 それにC55が牽引する札幌−稚内間の“利尻”が運転されていました。
“利尻”の編成は、郵便車、荷物車にオロハネ10を含む10系軽量客車のA・B寝台、座席車はブルーのスハ44系でグリーン車も組み込まれた長い編成でした。夏期の多客時に増結して牽引定数をオーバーすると、“利尻”はC55の重連となることもありました。
全線を通して運転される普通列車は3往復で、ディーゼルカーキハ22を除く1往復はC55が狭窓の並ぶ茶色のスハ32系を主体に、荷物車を含む客車を牽引していました。下り321列車は午前5時前に余市を出発して、14時間を要して終着の稚内には19時前に到着するダイヤで、小樽行きの上り322列車(後に324列車となりました)とは名寄で交換していました。
水掻き状のスポークが特長のC55は旭川機関区所属して、後に梅小路に保存された1号機をはじめ16号機の1次型、流線型改造でキャブに名残のある2次型の30号機、また元のスタイルに戻った3次型の47〜50号機等、バラエティーに富んでいました。
C57とならんで、均整のとれたスマートなC55は、私のもっとも好きな蒸気機関車です。蒸気機関車末期の1974年の夏には、C57が転入していていました。イベント列車を除けば私が最後に乗車した蒸機列車、宗谷本線321列車はC5787が牽引してくれました。このとき、急行“利尻”の牽引は、すでにDD51に交代していました。
貨物列車は、名寄本線なども含めて道北は大正生まれの9600型の天下で、名寄以南ではD51も活躍していました。
1985年に稚内を訪れたときには、キハ22はタラコ色になり、“礼文”を除く急行列車は14系客車をディーゼル機関車が牽引していました。また、かつて吹雪の中、私の乗った急行“利尻”を牽いたC5549は、稚内港のドームのそばに保存され た姿で出迎えてくれました。
2000.8記