宗谷本線

宗谷本線の列車

宗谷本線の入場券

宗谷本線の想い出

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321レ
C5530
'74.7 剣淵
324レ
C5787
'74.7 名寄
9600型

'74.7 名寄
321レ
C5530
'74.7 美深
321レ
スハフ32274
'74.7 美深
         
321レ
スハフ32
'74.7 車内にて
急行利尻
C5516
'69.8幌延
貨物列車
9600型
'74.7 豊富
貨物と321レ
9600 C5787
74.7 兜沼
321レ
C5787
'74.7 抜海
         
321レと急行礼文
C5787 キハ56
'74.7 抜海
貨物列車
49603
'74.7 南稚内
急行利尻
14系寝台車と座席車
'85.7 南稚内
貨物列車
9600型
'70.3 稚内
322レ
C5550
'70.3 稚内
         
322レ
C5550
'70.3 稚内

急行利尻
C5549
'70.3 稚内

キハ22型
単行の普通列車
'85.7 稚内
急行利尻
オロハネ10
'74.7 滝川
C5549
保存機
'85.7 稚内港
         

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稚内駅の入場券

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旭川から稚内まで全長259km(線籍上は新旭川から?)、北海道の背骨のようなの宗谷本線。途中、名寄では名寄本線と深名線、美深で日本一の赤字線として有名になった美幸線、幌延では日本海に沿った羽幌線と接続し、音威子府では天北線が分かれ南稚内で再び合流していました。今ではこれらの路線は全て廃止されてしまいました。

特急“スーパー宗谷”が走る宗谷本線も、1970年頃の優等列車はキハ56系のディーゼル急行で、函館−稚内間(函館本線山線経由)の“宗谷”と、音威子府−南稚内間が天北線経由となる札幌−稚内間の“天北”、それに線内の“礼文”の3往復、 それにC55が牽引する札幌−稚内間の“利尻”が運転されていました。

“利尻”の編成は、郵便車、荷物車にオロハネ10を含む10系軽量客車のA・B寝台、座席車はブルーのスハ44系でグリーン車も組み込まれた長い編成でした。夏期の多客時に増結して牽引定数をオーバーすると、“利尻”はC55の重連となることもありました。

全線を通して運転される普通列車は3往復で、ディーゼルカーキハ22を除く1往復はC55が狭窓の並ぶ茶色のスハ32系を主体に、荷物車を含む客車を牽引していました。下り321列車は午前5時前に余市を出発して、14時間を要して終着の稚内には19時前に到着するダイヤで、小樽行きの上り322列車(後に324列車となりました)とは名寄で交換していました。

水掻き状のスポークが特長のC55は旭川機関区所属して、後に梅小路に保存された1号機をはじめ16号機の1次型、流線型改造でキャブに名残のある2次型の30号機、また元のスタイルに戻った3次型の47〜50号機等、バラエティーに富んでいました。

C57とならんで、均整のとれたスマートなC55は、私のもっとも好きな蒸気機関車です。蒸気機関車末期の1974年の夏には、C57が転入していていました。イベント列車を除けば私が最後に乗車した蒸機列車、宗谷本線321列車はC5787が牽引してくれました。このとき、急行“利尻”の牽引は、すでにDD51に交代していました。

貨物列車は、名寄本線なども含めて道北は大正生まれの9600型の天下で、名寄以南ではD51も活躍していました。

1985年に稚内を訪れたときには、キハ22はタラコ色になり、“礼文”を除く急行列車は14系客車をディーゼル機関車が牽引していました。また、かつて吹雪の中、私の乗った急行“利尻”を牽いたC5549は、稚内港のドームのそばに保存され た姿で出迎えてくれました。

2000.8記

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