信越本線

信越本線の列車

信越本線の想い出

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EF63重連の押す
169系急行“妙高”
'71.2 横川

EF63重連の押す
189系特急“あさま”
'87.8 横川

EF63の連結を待つ
165系快速
'88.8 横川

碓氷峠を下る
EF62の回送
'71.11 軽井沢

       

碓氷峠を下る
169系の急行
'71.11 軽井沢

碓氷峠を登る
181系特急“あさま”
'71.11 軽井沢

181系特急“あさま”
の後部補機EF63
'71.11 軽井沢

181系特急“あさま”
の先頭に立つEF63
'71.11 軽井沢

       

駅構内に並ぶ
EF63
'88.8 軽井沢

客車列車を牽引
するEF81
'71.2 直江津

保存機
ED42 1
'71.2 横川

保存機
10000型
'71.2 軽井沢

       

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信越本線は、高崎から長野から直江津を経由して新潟をむすぶ幹線でした。かつてはわが国最長を誇った清水トンネルが開通して、東京から新潟方面が上越線で短絡された後も、首都圏と長野や北陸方面を直結する重要な路線でした。

横川−長野間の碓氷峠には553mの標高差があり、この間11.2kmは1000分の66.7の急勾配が連続し、1893年の開通時から1963年までは、ラックレールに機関車のギヤをかみ合わせて登るアプト式を採用していました。初めは蒸気機関車が、電化後はEC40やED40、ED41、ED42などの電気機関車が列車はさむように前後に付き、急勾配を上り下りしていました。

輸送の隘路解消のため、複線化と合わせて強力なEF63型電気機関車を投入して粘着式に切り替えたのが1963年、165系を使用した電車急行“信州”、“志賀”、“とがくし”が走り始めます。

1966年には181系の特急“あさま”が登場し、翌年には編成両数を増やすためにEF65と協調運転のできる急行用の169系が、1971年には同じく特急用の489系が登場します。

碓氷峠を初めて訪れたのは、そんな時代背景の1971年の冬のことです。信越本線の一番華やかだった時代でしょう。峠の釜飯で有名な横川駅に降り立つと、構内にはアプト式電気機関車ED42の1号機が、準鉄道記念物として保存され、EF63が牽引や後押しする列車が次々と出入りしていました。

碓氷峠では、空気バネ台車をはいた特急や急行電車は、安全のために枕バネのの空気バネをパンクさせます。横川駅を発車すると、軸バネのコイルバネだけになった台車から、ゴツゴツと振動が伝わり、急勾配で車両が前後方向に傾くのがよくわかります。国鉄でこんな体験ができるのは、信越本線の碓氷峠だけでした。

軽井沢側の線路脇でカメラを構えて待つと、急勾配をゆっくりと登ってくる181系“あさま”の、まずは運転台が、続いてボンネット、ヘッドマーク、そしてスカートが見え、前身が姿を現します。やがて横を通り過ぎる列車の後ろに付いた2両のEF63がモーター音を唸らせながら、軽井沢駅に進入していきます。

軽井沢駅の構内は、待機する多くのEF63で賑わっていました。駅前にはかつてここで活躍したEC40が登場時の10000型の姿に復元されて展示されていました。

1980年代になって青春18切符が発売されると、上野から高崎、横川、軽井沢、小諸、野辺山、小淵沢、新宿の一周コースによく出かけました。

翌年の長野オリンピックを前に、1997年秋に北陸新幹線(長野新幹線)が開通すると、碓氷峠の区間は廃止され、軽井沢−篠ノ井間はしなの鉄道に転換し、信越本線は分断されることになりました。

碓氷峠のお別れ乗車に、同年の夏休みに青春18切符を使って、上野からモントレー色の165系快速で軽井沢・小諸を往復したことが懐かしく思い出されます。

2009/1記

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