下津井電鉄

下津井電鉄の車両

下津井電鉄の記念乗車券

下津井電鉄の想い出

最初のページに戻る



写真をクリックすると拡大写真が表示されます。

児島に到着する
モハ102
'82.9 児島

モハ102
の車内
'82.9 児島

鷲羽山に向け
登っていく
'82.9 琴海

ワンマンカー
モハ1001
'82.9 下津井
車庫で休む
クハ24
'82.9 下津井
         

編成を解かれた
サハ2
'82.9 下津井

気動車改造の
クハ5
'82.9 下津井

井笠鉄道から来た
ホジ3
'82.9 下津井 

貨車を改造した
車両
'82.9 下津井

フジカラー色に
なったモハ103
'89.9 鷲羽山

         

このページのはじめに戻る

 


1980年に下津井電鉄が発行した電化30周年記念乗車券の表と裏
ドイツ ユング社製Cタンク、ガソリンカー カハ51、電車モハ103+クハ24
裏は巨大な200円切符だが、表の200円と150円の2枚が正規の切符

 このページのはじめに戻る


 

かつては日本の各地にあった線路の幅が2フィート6インチ、762mmの鉄道も、今でも旅客営業を続けているのは三重県内の近鉄の2路線と、近鉄から三岐鉄道に譲渡された1路線、それに黒部渓谷鉄道だけになってしまいました。

軽便鉄道などとよばれ、地方鉄道の中でも小規模な路線が多かった762mmの狭軌鉄道は、その多くが経済の高度成長期にバスとの競争に敗れて姿を消していきました。今では、瀬戸大橋で本州と四国を結ぶメインルートである本四備讃線が、茶屋町で宇野線から分岐して児島に向かっていますが、1972年までこのルートを下津井電鉄の小さな電車が走っていました。

私が宇野から児島行きのバスに乗って下津井電鉄を訪ねたのは、茶屋町−児島間の廃止から10年を経た1982年のことです。路線の末端、児島から鷲羽山を経て四国連絡丸亀行きの船が出る下津井までは、バスを走らせる並行した適当な道路がないためか、廃止をまぬがれて小さな電車が行き来していました。

立派なバスターミナルの片隅にある、線路が1本だけの始発駅、児島に正面が2枚窓の小さな2両編成の電車が入線してきます。かつては茶屋町−下津井間の主力車両として活躍したモハ102とクハ22です。

この編成は、ラッシュ時に対応するため、東北の栗原電鉄(廃止が取りざたされている栗原田園鉄道)が、ゲージを762mmから国鉄と同じ1067mmに改軌したときにに譲り受けた車両を改造したサハ2を中間に組み込んだ3両編成でしたが、乗客数が減少したのでしょう、サハ2は使われないまま下津井に留置されていました。

モハ102の編成の車内はロングシートの簡素なものです。クローブに収まった白熱灯、吊革がないためすっきりとしています。児島を発車した電車は、鷲羽山への登りにかかり、車窓に瀬戸の美しい風景が広がります。

電車は20分もかからずに、終点の下津井に着きます。ここには車庫があり、当時の下津井電鉄の全部の車両がそろっています。

まずは、2枚窓の湘南型でおでこに2つのヘッドライトをつけ、側面はバス窓と、当時の流行を身にまとったモハ103とクハ24の編成。下津井電鉄の看板車両です。

乗客減への対応として、ワンマンカーの単行運転化のために、クハ23を電装したモハ1001号。後に赤いクレパス号として落書き電車になってしまいましたが、このときはまだきれいな姿をしていました。

このほかに、荷物台のある気動車を電化時に電車に改造したクハ5と、廃線になった井笠鉄道の気動車ホジ3、それに貨車が1両と、架線修理用の車両でしょうか貨車を改造して屋根が平になった車両が留置線に並んでいました。

1988年のJR本四備讃線、瀬戸大橋の開通に観光客が増えることを見越して、下津井電鉄は観光鉄道に生き残りをかけ、駅のリニューアルや展望車両を含むクラシックなデザインのメリーベル号を新造します。

しかし、瀬戸大橋ブームは一過性のもので、本業のバスまでJR本四備讃線に乗客をとられ、児島−下津井間の鉄道線は1990年に廃止されます。廃止の前年に児島から鷲羽山まで、モハ103の編成に乗車したとき、電車は緑のフジカラーの広告車になっていました。

2005/10記

このページのはじめに戻る

 


最初のページに戻る

inserted by FC2 system