島原鉄道

島原鉄道の車両

島原鉄道の乗車券

島原鉄道の想い出

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島原鉄道
キハ4503
'74.4

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原城から島原外港行きの硬券 石油ショック直後の値上げで運賃
変更の印 原城駅には駅員さんがいて切符を売っていたのですね

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長崎本線の諫早を起点に、島原半島を東から南へ、口之津までぐるっと3分の2周する鉄道が島原鉄道です。2001年に諫早駅に立ち寄ったときには、JR九州の気動車によく似た黄色い軽快気動車風のキハ2500を見かけ、夕方のラッシュ時になると国鉄のキハ20型払い下げ車の2連も登場してきました。

私が初めて島原鉄道に乗車したのは1971年の春です。九州内の国鉄線が乗り放題の均一周遊券を手に、予定も立てずに気の向くままの貧乏旅行中です。門司港から大村線経由の長崎行き夜行普通列車に2連泊した翌日も長崎のYHに満室と断られ、今夜は揺れないところで寝たいと思って空室のあった島原のYHに泊まるため、やむなく別途運賃を払って乗車したのが島原鉄道で、翌日には島原外港からのフェリーで対岸の三角に抜けました。

東の関東鉄道、滋賀の江若鉄道(当時すでに廃線になっていましたが)に西の島原鉄道を加えて、非電化の3大私鉄といわれていました。長崎や佐世保、遠くは博多や小倉まで、自社の車両を国鉄の急行や普通気動車に併結して乗り入れていた関係で、国鉄とほぼ同じキハ20型や急行タイプのキハ55型、キハ26型を両運転台化した車両を多数保有し、3社の中では一番立派な車両をそろえていました。しかし、国鉄と類似の車両で塗色も国鉄急行色との違いがヒゲ3本であることに興味を見いだせなかったのか、このときは1枚も写真に残していません。

2度目に乗ったのはその3年後です。諫早から島原城に加えて原城址を往復しています。でも残っている写真は交換する列車の正面の窓越しに写したキハ4503の1枚のみ。今から思うと惜しいことをしました。

島原鉄道のキハ4500型は、国鉄の10系気動車と同じころに登場しています。その型式は、後にキハ17になった国鉄のキハ45000をもとにしているのではないでしょうか。

車体は国鉄のキハ10系と同じ小断面で、側面にもほぼ同じ配置でバス窓がならんでいますが、正面は湘南型2枚窓の非貫通式。1950年代の私鉄の気動車は、北海道の三井芦別鉄道や夕張鉄道から九州の島原鉄道まで、当時流行の湘南型が数多く見られました。他の多くが旧式の菱枠型の台車を履いているのに対して、島原では国鉄と同じDT19で、同類の中ではやっぱり一番立派な車両でした。

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