信楽線/信楽高原鉄道

信楽線の列車

信楽線の想い出

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貴生川を発車した
C58の牽く貨物列車
'69.5 貴生川付近

C58の牽く貨物列車が
急勾配にさしかかる
'69.5 貴生川付近

信楽線の旅客列車
はキハ52の単行
'69.5 貴生川付近

   

信楽線の終点信楽駅
の先にタンク車が留置
'69.5 信楽

信楽駅前で発車
を待つ国鉄バス
'69.5 信楽

信楽高原鉄道に
転換した直後
'87.8 貴生川

   

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信楽線は、草津線及び近江鉄道線と接続する貴生川から陶器で有名な信楽を結ぶ全長14.7kmの盲腸線でした。貴生川を発車するといきなり1000分の33の急勾配が始まり、山の中に分け入っていきます。 ここに写真のある頃は、最初の停車駅の雲井まで10km以上もあります。

このことは、利用客が多くないことを物語っており、旅客列車は急勾配対応のエンジンを2台装備したキハ52の単行運転でした。今では気動車1両の列車はローカル線では普通に見られますが、国鉄の利用客が多かった1960年代末では珍しい存在だったのではないでしょうか。

そんな盲腸線のローカル線にも、貨物列車が運転されていました。線路の規格が低くてD51が入線できないからでしょう、貨客兼用機のC58が短い貨物列車の先頭に立っていました。終点の信楽にはターンテーブルがないため、帰りはバック運転で貴生川に戻ってきました。

貴生川の周辺には、今でもJRバスの路線がありますが、当時は信楽駅線を補完するかたちで、貴生川−信楽間の国鉄バスも運行されていました。また、信楽駅では、関西本線の加茂駅方面の 国鉄バスが接続しており、一部の便は奈良まで直通していました。信楽駅前の写真には、懐かしい旧塗色の国鉄バスが3台も写っています。

ここにある写真の前年、1968年に国鉄の諮問委員会が廃止の答申を出した全国83線区の赤字ローカル線の一つに、信楽線も含まれていました。信楽線がJR西日本から切り離されて第三セクター信楽高原鉄道に転換したのは、 それから19年後、国鉄が消滅した直後の1987年のことです。

2005/03記

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