石北本線

石北本線の列車

石北本線の入場券

石北本線の想い出

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C58牽引する普通列車
北見から急行大雪6号
になる  '74.7 網走

デフに JNR マークを
付けたC5833
'74.7 網走
ターンテーブルに乗る
C5833
'74.7 網走
駅構内の除雪をする
ロータリー式除雪機
'70.3 上川
       

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北見駅の入場券

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石北本線には何度か乗っているのですが、写真はほとんどありません。蒸気機関車末期の1974年の夏、釧網本線はDE10への置き換えによる無煙化が完了したばかりで、石北本線の末端区間、北見−網走間でC58が最後の活躍を見せていました。

夜の網走駅で発車を待つ札幌行き普通1528列車は、北見から夜行の急行“大雪6号”となるため、寝台車やグリーン車を含む長い編成の先頭にC58がたちます。この夜のC58は変形デフに JNR マークを付けた33号機。北見でDD51にバトンを渡した後、翌朝札幌からの大雪くずれ普通1527列車を牽いて網走に戻ってきます。

網走到着をねらうつもりで駅のそばに宿をとったにもかかわらず、不覚にも寝過ごしてしまい、駅に行ったときはすでにC5833号機は役目を終え、構内のはずれにあるターンテーブルに乗って向きを変えているところでした。

急行“大雪6号”に初めて乗ったのは1970年の3月。夕刻に稚内を発つの急行“礼文”で着いた旭川で、網走行きに乗り換えました。札幌から赤い電気機関車ED76に牽かれて入線した急行“大雪6号”は、ここでD51型蒸気機関車に付け替えて深夜の1時過ぎに旭川を発車します。前夜の札幌から稚内行き急行“利尻”に続いて夜行に連泊のため、上にある入場券を買った北見まで、座席車でも遠軽で進行方向が変わったのも何も知らずにぐっすりと寝ています。

この時、往路の石北本線は良かったのですが、復路は大変でした。釧網本線のページでも書きましたが、清里町の駅で猛吹雪のため立ち往生した列車で一夜を過ごし、15時間遅れで翌日の昼頃にやっと網走に着きました。湧網線はストップしています。

石北本線のダイヤも大幅に乱れていますが、札幌行き急行“大雪3号”が動くというので、これで道東から脱出することにしました。ところが、白滝駅までたどり着いたところで、積雪で線路の状態が悪く先に進めなくなってしまいました。

前夜の釧網本線の普通列車は空いていたのですが、キハ56系の急行“大雪3号”は満席です。再びこのまま車内に缶詰になって一夜を過ごすのは厳しいと思い、駅からユースホステルに電話をしてみたところ宿泊OKとのこと。タクシーで行こうとしたら、温泉方面は道路の状態が悪いからと乗車拒否にあい、地吹雪で前が見えない中を一人でとぼとぼ歩く羽目に。

宿では、同じ列車から降りた慶応高校の鉄研のグループも来ていて、その後旭川まで行動を共にすることになり一安心。翌朝、白滝駅に電話をすると、朝の上りの札幌行き急行“大雪1号”は通すがその後の見通しは立たないとのこと。

入線してきた列車に乗って驚いたことに、前日に前の席に座っていたおじさんがまた乗っています。一旦遠軽まで引き返して、その日は運転打ち切りとなったとか。途中の上川駅に停車中に、構内の除雪を行っているロータリー式の除雪機を1枚スナップしているのが、雪まみれの中の唯一の写真です。

こうして、昼前に旭川までたどり着いた急行“大雪1号”ですが、旭川から先の函館本線が不通となっているため、ここで運転打ち切りになってしまいました。運転再開を待つまでの間、行動を共にしていた慶応高校の鉄研のグループと、旭川機関区を訪ねてみることにしました。

結局、函館本線が動きはじめるのは翌日の午後となり、旭川YHに1泊してスキー板を借りて裏山で時間をつぶすことになります。

2004/7記

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