山陰本線 京都 二条 花園

山陰本線 京都 二条 花園の列車

山陰本線 京都 二条 花園の想い出

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山陰線ホームの先の
C5710
京都 '68.7

C5715と
C57152
京都 '68.7

C57牽引の臨時急行
“はしだてビーチ”
京都 '68.7

     

C5715の普通が
先に発車
京都 '68.7

C57牽引の“はしだて
ビーチ”発車
京都 '68.7

東海道線から山陰線
に入る臨時急行
京都 '68.7

     

東海道線から山陰線
に入る団体列車
京都 '68.7

休日朝の上りC57
重連の普通列車
丹波口 '68.3

C57牽引の臨時急行
“はしだてビーチ”
二条 '72.8

     

C57牽引の臨時急行
“はしだてビーチ”
二条 '72.8

下り貨物列車
を牽くD5125
花園 '68.3

休日朝の上りC57
重連の普通列車
花園 '68.3

     

朝の上りC57
牽引の普通列車
花園 '68.3

朝の上りC57
牽引の普通列車
花園 '68.3

休日夕刻の下りC57
重連の普通列車
花園 '68.3

     

C57とDF50の
普通列車の交換
花園 '68.3

上りDF50
牽引の普通列車
花園 '68.3

DD51牽引の
上り普通列車
花園 '85.3

     

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今では嵯峨野線の愛称がつき、高架の複線を287系の新型特急電車や221系の快速や普通が行き交う山陰本線京都ですが、単線非電化の線路を汽車が行き交った頃の、京都から花園間の写真をご覧いただきます。円町駅はまだありません。

この頃の京都駅山陰線乗り場は、東海道1番線の西に山陰1番線と山陰2番線のホーム1面2線だけ。これを拡幅して、“はるか”や“きのさき・まいづる”の発着しする30番線、31番線になったと思います。快速や普通の発着する32、33番線の場所は、機回り線や留置線があり、いつも旧型客車が並んでいました。

1960年代後半の山陰本線に特急はなく、優等列車はキハ58系や55系で編成する急行でした。普通列車には、キハ10系や20系の気動車列車もありましたが、主力はオハ35系やオハ61系の客車をC57型蒸気機関車やDF50型ディーゼル機関車が牽引し、DD54の投入が始まると、C57牽引の列車が順次これに置き換えられていきました。

山陰本線京都口を担当するC57の配置は、今では蒸気機関車館となっている梅小路機関区と福知山機関区。梅小路機関区のC57は、いずれも1次型で正面型式入りナンバープレートのC575、正面以外の3枚が型式入りナンバープレートのC5715、C5739、C5789、C57127、それに戦後のC59によく似た4次型のC57190の6両がいました。

梅小路機関区のC57の運用は、京都−園部間の朝夕の通勤列車を中心に、綾部まで午前の西舞鶴経由敦賀・豊岡行きを牽引していき、綾部−福知山間を舞鶴線のC58の前補機として重連で走って福知山機関区で夕刻まで待機し、夕刻の京都行きを牽引して戻る運用もありました。

休日朝の上りと夕方の下りには、休日運休となる京都−園部間の列車の機関車を回送するため、C57が重連となって牽引する旅客列車もありました。

福知山機関区にDD54の増備が進むと、同区のC57は定期運用を失いますが、故障の多いDD54の代走として、C5741、C57128、C57152の3両がかなり頻繁に京都駅に姿を見せていました。福知山のC57はドームの後ろに重油タンクを乗せていたので、すぐに見分けがつきました。

この他、福知山機関区のC57は臨時列車の牽引にも活躍しました。夏の海水浴シーズンには、海のきれいな日本海へ向けて、大阪から京都経由天橋立行きの臨時急行“はしだてビーチ”の牽引が想い出に残ります。まだ冷房車の少ない時代、乗客に冷房サービスを提供するため、早朝に下関から大阪に帰ってきた急行“音戸”の編成の寝台車をそのまま座席車として使い、大阪からEF58が牽引して、今では新快速の発着する京都駅の2番線に到着します。

この編成の後部に福知山機関区から迎えに来たC57が連結され、ブルーのオハネ12等できれいに揃った編成の蒸機列車が発車していきました。後に、オハ12系が量産されると客車はこれに代わり、牽引機もDD54になります。

1971年4月のダイヤ改正で、山陰本線京都口が無煙化されます。貨物列車を牽いていたD51も含め、DF50とDD54にバトンタッチ。梅小路機関区のC57は職を失い、全検切れのC5715と調子の良くなかったC57190は廃車、しばらくイベント列車用に残ったものもありますが、山陰や南九州に転属していきます。

その後もDD54のトラブルは続いていたようで、山陰本線京都口で私の出会った最後の蒸気機関車の牽引する列車は、無煙化から1年以上経過した1972年8月に、二条駅で見送ったC5741が12系客車を牽引する臨時急行“はしだてビーチ”です。

最後に1枚、山陰本線京都口から旧型客車が引退する1985年の写真があります。DF50やDD54は一足先に姿を消していて、牽引機はDD51になっていました。

2012/1記

 

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