大井川鉄道大井川本線 |
SL急行“かわね路”号の乗車券・指定席急行券
鉄道博物館に保存されているC57135が、室蘭発岩見沢行きの最後の蒸気機関車牽引の旅客列車を牽引したのが1975年12月、 追分機関区入れ替えに残った9600型が火を落としたのが1976年3月です。そんな中で、1949年の電化以来27年間、電気機関車と電車で運行されてきた大井川鉄道の大井川本線、金谷−千頭間に蒸気機関車牽引の列車が復活します。今までに、大井川鉄道には1981年、83年、93年と3回訪問していますが、目的はいずれもSL急行かわね路号への乗車と、その奧の森林鉄道のような井川線の訪問です。
上に写真を掲載した、SL急行“かわね路”号の乗車券・指定席急行券には、51.7.9(1976年7月9日)SL運転開始、59.10.6(1984年10月6日)SL乗車100万人突破と書かれています。8年3ヶ月で100万人の中の1人に入りましたが、今では列車本数も増えており、その後の26年間で何百万人が乗ったのでしょうか。
大井川では本線に先立ち、まだ国鉄線上を蒸気機関車が残っていた1970年代前半に、大井川本線終点の千頭から井川線の側線を使って川根両国の間で小型の蒸気機関車を使用した トロッコのような列車の運転を開始しています。この経験をもとに、国鉄から北海道の標津線にあったC11227号機を購入して、大井川本線のSL急行かわね路号へと発展させていったのでしょう。
最初の訪問時には、本線の胴体保存機はC11227と予備機のC12164の2両で、キュウロクやB6などが静態保存されていました。その後、訪問する毎にタイ帰りのC5644や静態保存機復活のC11314などが加わり、SL急行も増発されていました。
今では四国と貨物を除くJR各社や三セク、私鉄も含め各地で復活SLなるもので賑わっていますが、それらと大井川鉄道の違いは、オハ35系やスハ43系の客車に乗ることができる点にあると思います。確かに国鉄の蒸気機関車現役時代にもオハ12系の臨時急行はありましたが、蒸気機関車には旧型客車が似合います。また、旧型客車そのものが貴重な存在で、たとえ牽引機がディーゼルでも電機であっても汽車旅の原点はこれです。
大井川鉄道は、電車も貴重な車両の宝庫です。訪問する毎に少しずつ車両が交代し、90年代になるとワンマン化も進みました。今ではここに写真のある電車は全て引退しましたが、買収国電に始まり、旧型国電の払い下げのほか、西武や名鉄、北陸鉄道などでかつては主力として活躍した車両が余生を送っていました。
ただ中古車を集めただけではなく、3扉を2扉にしてロングシートをクロスシートに交換する等、決して豊かではない台所事情の中でもサービスの向上につとめる姿は、毎日東京でお世話になっている231系や233系“走ルンです”の対極に位置するものと思われます。
2010/11記