奥羽本線

奥羽本線の列車

奥羽本線の想い出

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C61の牽引する
旅客列車
'70.3 青森

C61の牽引する
旅客列車
'70.3 青森

ED75の牽引する
50系客車
'83.9 大鰐

ED75の牽引する
貨物列車
'83.9 大鰐

   

D51の後部補機
急行きたぐに
'70.3 秋田

EF71の牽引する
旅客列車
'89.3 山形

EF71の牽引する
旅客列車
'89.3
福島

EF71の牽引する
旅客列車
'87.8
福島

  

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福島から奥羽山脈を越えて山形へ、日本海側から青森まで結ぶ奥羽本線は、新幹線ができるまでは、特急“つばさ”や急行“おが”、夜行の特急“あけぼの”などにより、首都圏と秋田や弘前を結ぶメインルートでした。今では、福島−新庄間は通称山形新幹線に、新庄−大曲間はローカル線に、大曲−秋田間は通称秋田新幹線の一部に、秋田−青森間は羽越本線と組み合わせて日本海縦貫線と4つの性格を持つ路線に分けられ、線路の幅も異なることから直通列車は走れなくなっています。

福島と米沢の間にある板谷峠には1000分の33の急勾配があり、この区間には、古くは動輪が5軸の4100型蒸気機関車が、電化してからは回生ブレーキを持つEF16型電気機関車、交流に切り替え後はEF71型電気機関車が活躍し、客車列車や貨物列車は当然として、ディーゼルカーの時代には上野−秋田間の特急“つばさ”も、この区間では電気機関車の助けを借りていたそうです。

この区間は、1992年の山形新幹線の開通前の1980年代後半に、青春18切符で2回訪れています。急勾配の途中の平坦な部分に駅を設けるため、本線から一旦バックして駅に入る、スイッチバックの構造を持つ駅がいくつかありました。特急や急行は本線を通過していきますが、普通列車は各駅到着時または出発時に前進や後退を繰り返す、乗っていて楽しい路線でした。なかでも“峠”駅は、列車が入線すると“力餅”売りの元気な声が響いていました。

秋田から先は、裏縦貫線の一部を構成します。陣馬〜津軽湯の沢〜碇ヶ関間には1000分の25の急勾配を持つ矢立峠があり、1968年の東北本線の電化により、奥中山の蒸気機関車三重連が姿を消してからは、矢立峠の勾配を緩和する新線が開通するまで、3両のD51型が牽引する貨物列車が、鉄道ファンの人気を集めていました。

優等列車はDF50やDD51型ディーゼル機関車が担当するものの、旅客列車の一部は東北本線からまわったC61が牽引していました。連絡船で雪の青森駅に着いた夜、C6124の車体を蒸気が包んでいました。1971年の電化時には、一部のC61は最後の職場となる日豊本線に転出していったとか。

電化後は、旅客も貨物もED75型電気機関車の天下となります。1983年に訪れたときは、普通列車の客車は赤い50系に代わっていましたが、まだまだ長い編成の列車でした。2軸貨車を含む雑多な編成の貨物列車も、ED75が牽引していました。

2005/01記

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