野上電鉄

野上電鉄の車両

野上電鉄の想い出

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10型とクハ102号
日方
'86.2

10型
幡川
'86.2

20型23号
日方
'86.2

20型24号
日方
'86.2

20型24号
日方
'86.2

20型25号
日方
'86.2

30型32号
日方
'86.2

     

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国鉄紀勢本線の海南駅に到着する列車の車窓に、赤とクリーム色に塗り分けた小さな電車が何両も留置されているのが見られたのが野上電鉄でした。海南駅の裏手にある“日方”が野上電鉄の始発駅で、発車して加速する間もなく200mほど走ると国鉄 のホームに接続する“連絡口”に停まります。

この、200mほどの間に留置線があり、昼間はいつもZパンタをおろした小さな電車が並んで休んでいました。その大半は、1950年代まで、大阪梅田と神戸元町を結ぶ阪神電鉄で活躍した車両ですが、線路の幅の異なる野上電鉄にやってきたのは車体だけ、台車やモーターは明治時代に米国から輸入された南海電鉄の中古品、クラシックなブリル27Eやブリル27MCBなど をはいていました。

そんな小さな電車に出会うため、海南を訪れたのは1986年のことです。単行運転で昼間の運用に入っていたのは、もと阪神の小型車より一回り小さな10型でした。廃止された富山地方鉄道射水線の路面電車を購入して、高いホームに合わせてステップを撤去した車両です。

終点の登山口まで行くと、また同じ10型で折り返してくることになると思い、始発の日方から3駅か4駅先で降りて交換列車を待って戻ろうとしましたが、やってきたのはやっぱり10型でした。10型は1950年頃の製造ですが、野上電鉄では最も新しい車両で、重宝されていたのでしょう。富山時代からの小さなパンタグラフを屋根に乗せているのも、もと阪神車にはない特徴です。

日方に戻り、留置されている車両を何枚かスナップしています。20型の23号は、車体は鋼体化されているとはいえ、阪急電鉄が箕面有馬電鉄として開業したときの1型の生き残りで、 富山地鉄から転入車を迎えるまでは、阪神グループの中では唯一の異端車でした。

車体に一番特徴があったのは、20型の24号で、正面が卵形で貫通扉を持つ5枚窓、かつては阪神間の急行用だった600型で、車体にはリベットがいっぱいの初期の鋼製車の特徴をよく 残した貴重な存在でした。後に、アーモンドチョコレートの広告塗装になった車両です。

20型の25号から27号は木造車の車体更新(鋼体化)で生まれた阪神の小型車700型で、ローカル用のため貫通扉はありません。雨樋が改造され、阪神時代よりおでこが広くなっていました。

30型の31号と32号は、阪神の小型車の特徴の一つである扉間の窓の上に明かり窓を配したスタイルですが、木造車の車体更新(鋼体化)で生まれた1100番台の車両で、850型や860型のように床の近くまでガラス窓がある両開きの喫茶店タイプではなく、ごくふつうの貫通扉を装備していました。 やはり雨樋が改造されています。

ラッシュ時の増結用に、モーターのない制御車もいました。写真のクハ102号は、同じく阪神の1100番台の車両と思われますが、明かり窓がありません。雨樋はオリジナルのスタイルを保っています。

海南を訪問してから8年後、公共交通機関を維持するために赤字の一部を国が補填していた制度の見直しにより、野上電鉄に対する補助金が打ち切られたことから経営の維持が困難となり、1994年の春に野上電鉄は廃線になりました。

2006/02記

 

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