根室本線

根室本線の列車

根室本線の動画

根室本線の想い出

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写真をクリックすると拡大写真が表示されます。

キハ82の特急
おおぞら
'69.8 帯広

客車改造の気動車
キハ08の普通根室行
'69.8 尾幌
   

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釧路から新得乗り換えで富良野へ キハ183とキハ40 1992年10月の車窓をご覧下さい



根釧原野を行く根室本線(花咲線)1992年10月の車窓をご覧下さい

 

 

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根室本線は、函館本線の滝川から帯広、釧路を経由して根室に至る全長448.8kmの北海道一長い路線です。1991年に石勝線が開通するまでは、札幌と道東を結ぶ列車は、全て滝川を経由していましたが、今では滝川−新得間のローカル線と、新得−釧路間の幹線、それに釧路−根室間のローカル線の3つの性格を合わせ持った路線です。

中でも、花咲線の別名がついた根釧原野を走る釧路−根室間は、釧網本線や宗谷本線とともに北海道らしい雄大な車窓を楽しめる、私のお気に入りの路線の一つです。

最近のキハ183系や283系の特急おおぞらや、花咲線のエンブレムを付けたステンレスのキハ54のワンマン列車の写真ならあるのですが、ここでお目にかけることができる時代の根室本線の写真は、この2枚だけです。

私が初めて根室本線の列車に乗ったのは1969年の夏休み、襟裳岬から朝の国鉄バスで広尾に出て、広尾線で帯広へ。そういえば、愛国から幸福行きの切符で有名になった広尾線ですが、この時はまだブームの前で、愛国駅も幸福駅も記憶に残っておらず、広尾線の写真は1枚もありません。

帯広駅のホームでキハ82の特急おおぞらを1枚スナップしています。急行が長距離列車の主力だった当時の北海道均一周遊券では、特急に乗るには別料金 が必要だったため、おおぞらを見送って後続の普通列車で次の宿泊地である厚岸に向かいました。

途中、釧路で乗り継いだ根室行きの普通列車の先頭に立つのは、木造車を鋼体化したオハフ62型客車を改造したキハ08型気動車。尾幌での列車交換待ちの間に1枚スナップしたようです。車体は手動ドアの客車そのものですが、車内も背ずりが板張りのままの狭いシートで、客車当時と何ら変わりません。この車両は避けて2両目以降のキハ22に乗ったと思います。

厚岸の宿は湾の向こう岸でした。この時はまだ厚岸大橋が架かっておらず、駅からフェリー乗り場まで歩き、道路公団経営のフェリーで対岸にわたりました。このフェリーは、 国道の延長との位置づけから歩行者(乗客)は無料だったと思います。

翌朝は、急行“ノサップ1号”で根室へ、バスに乗り継ぎ 北方領土を望む納沙布岬を往復した後、再び根室本線で標津線乗り換えの厚床へ、この時はキハ08と09の2両編成で、客車の床下からエンジン音が響くのは何ともミスマッチな感じです。

根室駅でこの気動車に乗ろうとした若い女性が、“いやだー、これ煙吐くの?”と言っていたのが印象に残っています。当時の根室本線の末端区間には、釧網本線と同様にC58の牽く客貨混合列車が運転されていました。キハ08を見てこれから蒸気機関車が連結されると思ったのでしょう。塗色ではなく車体の形状で客車と気動車を見分けていたようです。

根室の再訪はそれから23年後、国鉄からJR北海道になって4年目の1992年の秋です。この時の8mmビデオをデジタル化したので、釧路から根室まで の車窓をご覧下さい。釧路の街は立派になり、車両もキハ40とキハ54のワンマンに変わっていましたが、根釧原野の風景は昔と同じ、根室には昔の北海道の街の姿がそのまま残っていました。それからさらに21年を経た今も、根室は発展から取り残されているような。

一方、札幌から釧路までの路線は1981年の石勝線開通で大きく変わりました。その11年後、1992年に釧路から新得乗り換えで富良野まで、根室本線ルートをたどった時の車窓の動画をご覧下さい。

2004/7記
2013/2追記
2013/4追記

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