南部縦貫鉄道 |
野辺地 |
野辺地 |
野辺地 |
野辺地 |
野辺地 |
野辺地 |
七戸 |
七戸駅と南部 |
南部縦貫鉄道は、東北本線の野辺地と七戸を結ぶ鉄道でした。下北半島のむつ市に建設予定の製鉄所の原料として、沿線から産出する砂鉄の輸送を目的に、1962年に東北本線の千曳から七戸まで開通しました。貨物輸送が目的ですから旅客輸送はわずかと見なし、当時の富士重工のバスに鉄の車輪をはかせたような小さな2両のレールバス、キハ101と102の2両を用意しただけでした。
ところが国策会社のむつ製鉄の計画が頓挫して頼みの貨物輸送は期待できず、開通直後から経営は苦しく、早くも1966年には会社更生法の適用を受け事実上の倒産に追い込まれています。
1968年の東北本線の複線電化にあたって、千曳付近は新線に切り替えられたため、南部縦貫鉄道は千曳−野辺地間の旧東北本線の線路を借用して野辺地まで路線を延長して、何とか国鉄に対し、旅客列車の接続と貨車の直通運転をを確保ます。
旅客輸送は、常に2両のレールバスが主力でしたが、開通翌年の1963には、常総筑波鉄道(今の関東鉄道)筑波線(1987年に廃止)から機械式の気動車キハ302を譲り受けキハ103とします。予備車ながら時々は運行し、関東鉄道筑波線に残った同僚の301や303より長生きしたそうです。続いて1970年代半ばごろには国鉄から10系の気動車の払い下げを受けてキハ104として、ラッシュ時の輸送力を確保しています。
私が南部縦貫鉄道を訪れたのは今から20年前、1983年のことでした。朝の野辺地駅に降り立つと、ラッシュ時の輸送を終えたキハ104が先に回送で出発ていき、わずか2〜3名の乗客を乗せたレールバスが営業につきます。
当時すでに製造から20年以上を経過し、同世代のバスがほとんど現役を退いている中、青いビニールのシートや天井の小さな白熱灯、網棚や吊革に至るまで1960年代のバスそのもののレールバスは、十分レトロな雰囲気の乗り物でした。
運転手さんがクラッチを踏んでギヤを入れ、走り出すと何ともすざまじい乗り心地。レールの上を走っているのにガタガタ道をいくバスさががらで、呆気にとられてしまいました。国鉄から借用の区間を過ぎ、西千曳から先の自社線にはいると線路の事態は悪くなり、振動はさらに激しさを増します。
途中駅での乗降客は極めてわずかで、20.9kmに40分近くかかり終点の七戸に着きます。向かいのホームには、もう使われなくなったキハ103とともに、国鉄から乗り入れの2軸の有蓋貨車が留置されていて、当時はまだ一定量の貨物輸送が続けられているように見受けました。しかし、翌1984年の国鉄の貨物輸送の合理化で、他の多くの中小私鉄と一緒に切り捨てられることになります。
東北新幹線の青森延長の際は、新幹線七戸駅接続路線としての復活をかけ、何とか輸送を続けてきた南部縦貫鉄道ですが、国鉄精算事業団から借用していた西千曳−野辺地間の買い取りを求められて命脈が尽きたのが1997年のことです。
一旦は休止としましたが、復活することなく4年後の2002年には正式に廃止になりました。あの猛烈な振動のレールバスが1983年の訪問からまだ14年もの使用に耐えたのが驚きです。丁寧なメンテナンスのたまものと思います。
2003/10記