七尾線

七尾線の列車

七尾線の想い出

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キハ58系の七尾線急行“能登路” 金沢 '84.10

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七尾線は、北陸本線の津幡と能登半島の輪島を結ぶ路線がでしたが、ほとんどの列車は津幡から北陸本線に乗り入れ、始発/終点は金沢となっていました。

七尾線に初めて乗車したのは、1970年のことでした。金沢発輪島行きの急行“能登路”は、キハ55系を主体とした編成だったと記憶しています。

その後、1980年代に穴水から分岐する能登線の小木を、国鉄時代とのと鉄道転換後の2度訪れています。高架になる前の金沢駅では、七尾線は0A番線、0B番線と名付けられたホームから発着していました。キハ58系の急行“能登路”は、丸いヘッドマークを掲げていました。でも、羽田から小松空港を経て金沢までに比べ、金沢から先の遠いこと。地元が能登空港の開港を待ち望んだことも理解できます。

1988年に、穴水から分岐して蛸島に至る能登線が第三セクターのと鉄道に転換します。七尾線に大きな転機が訪れるのは1991年、津幡−和倉温泉間が電化されて、大阪からの特急“雷鳥”が和倉温泉まで直通することになる一方で、七尾−輪島間がのと鉄道に転換します。

この頃、羽咋を訪れていますが、金沢からキハ58の急行が黄色い能登色になっていました。変な色、と思ってか写真は残していません。また、金沢への帰りは415系電車。3扉の近郊型に急行券を払うには抵抗を感じました。

石川県は空港と道路を選んだのでしょうね。2001年に七尾線の穴水−輪島間が廃止になり、2005年には能登線が廃止されます。

2009/7記

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