長野電鉄

長野電鉄の車両

長野電鉄の想い出

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貨物列車の先頭に立つED5102 定山渓鉄道から転入して間もないころ '71.2

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長野電鉄に初めて乗ったのは、1971年のことです。駅名は忘れましたが、国鉄飯山線の駅から雪の中を歩いて、千曲川にかかる橋をわたると、今は廃線となった長野電鉄木島線の駅があったように記憶しています。

ローカル線ですが、やってきたのは当時の長野電鉄の看板電車、2000型でした。信州中野から先は特急にでもなったのでしょうか、車内は回転式クロスシートで、地方私鉄としては最高級の電車だったことが、強く印象に残っています。

雪晴れの中のリンゴ色の2000型を撮っているはずなのですが、残念ながら36年前の写真が出てきません。また、昭和初期の貴重な車両が残存していたはずですが、その記録も見つかりません (上田交通の項に移籍後の写真があります)。

唯一あるのが、このときに信越本線の接続駅、屋代で国鉄のホームから撮った、長野電鉄河東線の貨物列車を牽引する電気機関車ED5102です。当時は貨物輸送も盛んで、国鉄から受け取った貨車を牽引するために待機しているところのようです。

そのスマートな車体は、国鉄の名機EF58を短くした、ED58とでも呼びたくなるようなスタイルをしています。この写真の1年半ほど前に廃線になった、北海道の定山渓鉄道 の5002号機で、ED5101になった5001号機とともに移動してきたばかりです。その後、貨物列車の廃止により越後交通に転じ、1995年の廃線まで活躍したそうです。

長野電鉄には1980年代半ばにも、白根火山から菅平経由で長野に抜ける途中で乗車しています。1981年の長野市内の地下線化に伴い、東急の5000型アオガエルが赤ガエルにころも替えして進出してきていましたが、塗色が変わったとはいえ珍しくもない見慣れた車両と思ったのでしょう、写真 に残していません。

今では残念なことをしたと思いますが、田園都市線と同じ東急8500型を長野で見かけても、カメラを取り出そうという気にはならないのと、当時は同じ気持ちだったと思います。

2007/12記

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