室蘭本線

室蘭本線の 列車

室蘭本線の入場券

室蘭本線の想い出

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D51の牽く
下り貨物列車
'70.3 登別

C57135の牽く
旅客列車
'70.3 白老

キハ56系の
急行ちとせ
'70.3 白老

DD51重連の牽く
特急貨物
'70.3 苫小牧

       

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苫小牧駅の入場券

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室蘭本線の列車に初めて乗ったのは、1970年の3月のことでした。青森を19時10分に出航した青函連絡船27便は、夜の津軽海峡を横断して23時に函館港の桟橋に着岸ます。函館駅のホームでは、室蘭本線経由札幌行きの急行“すずらん6号”と、函館本線の山線経由の普通列車(小樽までは主要駅のみ停車の実質的には快速列車です)釧路行きが、長い編成を横たえて乗り換え客を待っています。

いずれも夜行列車で、急行“すずらん”には寝台車やグリーン車、普通車指定席も連結される一方、普通列車は荷物車と座席車の編成です。両方の列車とも、日付が変わる少し前に函館を発車し、札幌到着は翌朝になります。札幌着が6時10分で、普通列車より1時間半ほど早い、“すずらん6号”に座席を確保しました。

列車の先頭まで行ってみると、DD51型ディーゼル機関車がエンジン音を響かせています。函館本線の小樽−長万部間の山線区間で重連となり、長万部から単機で急行“ニセコ”を牽引してきたC62型蒸気機関車が、間合い運用で下りと上りの“すずらん6号”の函館−長万部間を牽引すると思っていたのですが、前年秋のダイヤ改正でDD51に交代したそうでガッカリ。

普通列車の牽引機はD51だったと思いますが、どちらも写真も撮らずに車内に戻ってしまったようです。

翌朝、目が覚めると、列車はもう千歳線を走っています。明るくなった車窓は白銀の世界で、一筋の煙が流れていきます。長万部か東室蘭で機関車を付け替えたのでしょう。終着駅札幌で下車して列車の先頭まで行ってみると、何と貨物用の蒸気機関車D51が牽いていました。

当時はまだ、D51は四国を除けば日本全国どこにでもいて、“何だ室蘭本線/千歳線なのにC57じゃないんだ”と思ったのか、札幌駅での写真も残していません。今から思うと残念なことをしました。

それから10日ほど道北から道東の観光地を巡り、釧網本線や石北本線では猛吹雪のドカ雪で列車が立ち往生や運休するアクシデントに見舞われながらも、何とか再び道南までたどり着きました。

登別温泉の熊牧場まで登り、遥か下界をいくD51の貨物列車を眺め、また白老駅近くで、当時最新型の運転台がパノラミックウインドウでスカート付きのキハ56を先頭にした札幌行き急行“ちとせ”や、C57の牽く室蘭本線の岩見沢行き普通列車を撮影していたとき、道北・道東帰りの目には、室蘭本線沿線の雪の少なさに道南の地が温暖であることの、一種の安心感をおぼえました。

風で煙が列車に巻いてしまったC57の普通列車ですが、牽引機は交通博物館に保存されているC57135号機です。6年近く後の1975年12月に同じ室蘭本線で、室蘭発岩見沢行きの最後の蒸気機関車牽引の旅客列車の先頭に立つとは、この時は知る由もありません。

旅客列車のみならず、長いコンテナ車を引き連れた特急貨物列車(“北たから号”だったでしょうか)には、当時の国鉄では、特に北海道では貴重な存在だったDD51型ディーゼル機関車が重連で先頭に立ち、旅客列車を待避させて高速で通過していきます。当時すでに室蘭本線が青函連絡船を介して内地と札幌や道東・道北の各地を結ぶメインルートだった証です。

2006/05記

 

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