宮福鉄道

宮福鉄道の車両

宮福鉄道のパンフレットとテレホンカード

宮福鉄道の想い出

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千歳緑の
MF100型
'88.8 宮津

鳶赤の
MF200型
'88.8 宮津
車庫で休む
MF100型
'88.8 荒河かしの木台
   
MF100型と200型
の2連
'88.8 福知山
新大阪から天の橋立へ
 特急エーデル丹後
'88.8 福知山
宮福鉄道開通前
現在は山陰本線と併走している区間 '68.10
   

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1988年7月の宮福鉄道開業時のパンフレットと開業記念テレホンカード

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宮福鉄道を知っていますか? 山陰本線と福知山線が交わり、北近畿タンゴ鉄道宮福線が分岐する京都府北部の交通の要所、福知山。

1988年に、京都府が出資する第三セクターとして、宮津と福知山を結ぶ鉄道として開通したのが宮福鉄道です。それからわずか1年後、国鉄からJR西日本になった、旧国鉄の特定地方交通線である宮津線を引き受けるかたちで、宮福線も含め、宮福鉄道は北近畿タンゴ鉄道に改名して再発足しました。

もとをたどれば、1923年に福知山−河守間を開業し、日本海を目指したものの路線の延長を果たせなかった北丹鉄道です。1966年、宮津と北丹鉄道の終点であった河守を結ぶ国鉄宮守線として、日本鉄道建設公団の手による工事が始まっています。

しかし、北丹鉄道は経営難により、宮守線の開通を待つことなく1971年に運行を休止し、再び列車が走ることなく1974年には廃止になりっています。

国鉄宮守線は、1970年からは宮津−福知山間の宮福線として、日本鉄道建設公団によって建設が続けられますが、国鉄再建措置法により1980年には工事が凍結、1982年に京都府が出資の主体となる宮福鉄道が設立され工事を再開、1988年7月16日に20年余りを経て開通にこぎつけます。

地元の熱烈な歓迎を受けて、宮津−福知山間に緑と赤のディーゼルカーが走り始めて、既に20年になろうとしています。開通から8年後には電化工事も完成し、今では、北近畿タンゴ鉄道宮福線として、京都や大阪から天橋立に直通するJRの特急電車も乗り入れています。

宮福鉄道に初めて乗車したのは、開業から3週間後の1988年8月のことです。青春18切符で、大阪から福知山線、舞鶴線、まだJRだった宮津線経由で宮津に到着し、18切符が使えない宮福鉄道乗車券を宮津駅で購入しています。この時、開通記念のテレホンカード(JRではないので、オレンジカードではありません)とパンフレットを入手したようです。

宮津駅の山側に新設された宮福鉄道の新しいホームに停車する、緑のMF100型と赤のMF200型の2両編成。車内はいずれも新幹線の発生品の回転式クロスシートを備えた、レベルの高い車両です。緑と赤は、座席のモケットの色と車内の照明が通常かシャンデリア風かの違いだけと見受けました。

河守−福知山間も、北丹鉄道の路線跡はほとんど活用することなく路線が建設されていましたが、宮福鉄道福知山駅は、北丹鉄道のホームに近い位置に設けられました。

パンフレットから開通当時のダイヤを見ると、自社の普通と快速が1日に14往復、これに平日運転1往復と休日運転2小槻が加わります。JRの車両では、宮福線内が快速となるキハ58系の大阪から天橋立行きの急行“みやづ”が1往復、夏期ダイヤで同じく宮福線内快速の臨時の海水浴急行“宮津ビーチ”が1往復、それに下りは土曜日、登りは日曜日運転の宮福線内も含め新大阪−天橋立間特急“エーデル丹後”がありました。

エーデル丹後は、急行用キハ65を前面展望室に改造し、座席もリクライニングシートに交換して特急用に格上げした車両です。新大阪−福知山間は183系電車“北近畿”に牽引され、大阪−福知山間の途中停車駅では客扱いをせず、福知山−天橋立間は宮津のみ停車でディーゼルエンジンで自走する、特異な運用が組まれていました。

開業時の宮福鉄道の車両の運用範囲は意外と広く、宮津線の西舞鶴や網野、山陰本線の綾部までの運用があったようです。

北丹鉄道は、こちら

2008/4 記

 

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