宮津線 |
今では、第三セクターの北近畿タンゴ鉄道の一部となっている国鉄宮津線は、舞鶴線の西舞鶴と山陰本線の豊岡をむすぶ路線です。ここに写真のある1969年当時は、まだディーゼル機関車は入線しておらず、客車列車や貨物列車には蒸気機関車が活躍して いました。型式は旅客用がC58、貨物が9600型で、どちらも鉄道ファンには余り人気のない地味な型式でした。
またいずれも、ヘッドライトが小さなシールドビームに交換され、煙突にはクルクルパーと呼ばれた回転式火の粉止めを装備しているのも、ファンの気に入らないところでした。宮津線の汽車を撮ろうなどという物好きはあまりいなかったのではないでしょうか。
福知山から宮津を目指した北丹鉄道は、途中の河守で止まりで、宮福線はまだ開業していません。京都や大阪から宮津・天橋立方面のディーゼル急行“丹後”や“丹波”は西舞鶴経由で運転され、キハ55/58系の編成にはもちろんグリーン車キロ28が組み込まれていました。
普通列車はキハ10/20系で運転される気動車列車と、C58の牽くオハ35系や鋼体化オハ61系の茶色の旧型客車で編成される列車があり、一部の客車列車は京都から直通運転されていました。
自動車の普及率がまだ低かった当時は、宮津線でも行楽シーズンに臨時列車が運転されることがありました。春の“チューリップ”号と夏の海水浴列車急行“はしだてビーチ”号です。1969年の“チューリップ”号は、丹後木津(現木津温泉)駅近くにあるチューリップ畑への観光客輸送を目的に、西舞鶴側と豊岡側より、休日にそれぞれ1往復ずつの計2往復が運転され ていました。
いずれも、西舞鶴機関区に所属する蒸気機関車の運用でした。西舞鶴側からの1往復はC5887の牽引で、小さなヘッドマークが付いていました。豊岡側からのもう1往復は19690の牽引でした。普段は短い編成の貨物列車で力をもてあましている大正生まれの老兵9600型が客車を牽引して、小さな動輪を一生懸命回転させて走る姿は珍しくもあり、ほほえましいものでした。
2001/04記
2007/05追加